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第七話 秘密のミニプルギス・ナイト

 ある日の夜、魔法屋オカマジョの台所には美味しそうな匂いが漂っていた。

 エンジュと香月とコウが、各々料理を作っている。

 一番張り切っているのは、料理に不慣れなコウだ。「めっちゃうまいもん食わせてやる」と言って作っているのは、フレンチトースト。厚めに切ったフランスパンを卵液に漬けて、バターをひいたフライパンで焼いている。……ところまではよかったのだけれど、そこからがよろしくなかった。

「俺は炎の料理人だ!」

 そう叫んで、コウはなぜかラム酒を振りかけ、フライパンを傾けた。すると、揮発したアルコールにコンロの火が引火し、大きな炎があがった。


「うわっあっち!」

「蓋! 怖いなら蓋をすればいいから!」


 自分でやったくせに炎に恐れをなしたコウに呆れ、香月が横から手を伸ばしてフライパンに蓋をした。


「うぅ……前髪焦げた……」

「これに懲りたら、もうやらないことだね」


 天ぷら油に引火したとかとは違い、フランベの炎はアルコールが飛んだら消えてしまう。だから、量を間違わなければ数秒で消える。それでも、コウは怖かったらしい。


「怖いなら、フランベなんてわざわざしなければいいのに」

「いや、びっくりしただけ! 怖くないし。それに、やっぱ料理は派手なほうがいいだろ?」

「美味しくて、ちゃんとお腹にたまるほうが大事だと思うけど」


 コウの主張に呆れつつ、香月は電子レンジの中を覗いた。中のものは、いい感じに焼き色がついている。あとは、焼きあがりを知らせる音が鳴るまで待つだけだ。

 その隙に、食器や調理器具の洗い物を済ませておくことにする。


「香月は本当、慣れてるな」


 効率良くシンクの中を片づけていく香月を見て、コウが感心したように言う。


「うん、これは慣れ。コウくんもやってたら慣れるよ」

「そんな何でもないことのように言うけど、すごいよな。この前もその料理スキルで、依頼を無事に片づけたんだろ?」

「あれは、まあ、運良くっていうか」


 前田家でのことを過剰に褒められるのが何だか気恥ずかしくて、香月は軽く流してかわそうとした。今夜の食事会だって、香月が料理上手と聞いてコウが食べたいと言い出したからすることになったのだ。でも、香月としては正直言って荷が重い。


「そうそう。そういえば香月の読み通りでね、ヤエさんのお母さんが山口県出身だったって。しかも、けんちょうが好物じゃなかったっていうのも正解だったらしいわ。妙子さんが、ヤエさんの弟さんに電話で尋ねてわかったらしいの」


 香月への評価が過大だとは思っていないエンジュが、またさらに情報を追加する。


「すげえ! マジで名推理だったんだな」


 追加された情報に、ますますコウの目が輝く。

 ちょうどそのとき、焼きあがりを知らせる音が鳴ったから、香月はコウの視線から逃れるようにミトンをはめて電子レンジのほうに向かった。


「わあ、うまそう!」


 取り出されたものを見て、コウが感激の声をあげた。

 焼きあがったのは、ミートタルトだ。タルト生地の中には、トマトソース仕立ての挽き肉とチーズが層になっている。こんがりととろけて焼き色のついたチーズの上にパセリを散らせばできあがりだ。


「ミートローフとりんごカスタードタルトだった予定を変えて、このミートタルトにしちゃうところがすごいわ」

「だって、甘いものが二品になっちゃうのってどうかと思って」

「え? りんごタルトをデザートにしたら何の問題もないだろ?」


 コウの中でフレンチトーストは立派な食事だったらしく、香月の言い分に納得いかない顔をしている。

 ともかく、これでメニューはそろったから、三人は各々自分の席についた。そして、手を合わせる。


「何か、エンジュさんの手抜きじゃね?」


 テーブルの上に並んでいるのは、フレンチトースト、ミートタルト、ポタージュスープ、それから油と具材がグツグツいっているタコ焼き器だ。コウの不満げな視線は、そのタコ焼き器に注がれている。


「手抜きじゃないわよ、アヒージョよ。これも立派な料理なんだから」


 そう言ってエンジュはピックに小エビを突き刺し、パクッと食べた。それから、満足そうに白ワインを飲む。

 それを見ていたら香月も猛烈に食欲をそそられ、タコを口に運んでみた。


「……んんっ!」


 あまりの美味しさに、思わず香月は目を見開いた。

 噛んだ瞬間、ジュワッと油がほとばしり、それがタコから出たダシと合わさって旨味が口いっぱいに広がった。ほのかに塩気やニンニクの香りも感じられ、それがあとを引く美味しさになっている。


「アヒージョって聞いたことはあったんですけど、こんなに美味しいものだったんですね。オリーブオイルと塩とニンニクだけで、こんなに美味しくなるなんて……」

「でしょー? これに鷹の爪とかラー油を加えてピリ辛にしても美味しいし、具材のダシがしみ出したオイルにパンを浸して食べるのも格別なのよ!」

「奥が深い……」


 自分で作ったミートタルトよりもずっと、香月はこのアヒージョに夢中になってしまった。パンを浸して食べるのも楽しみなのだけれど、具材としてパプリカや白身魚を入れてみたらどうだろうとか、ゆがいたショートパスタをダシが出たオイルに絡めて簡易ペペロンチーノを作れないだろうかとか、そんなことを考えるのもわくわくした。


「香月ちゃんはチーズフォンデュとか、こういうアヒージョみたいなものが好きだね」

「今度はナスでやってみるでござる」


 香月が黙々とアヒージョを楽しんでいると、興味がわいたのかパスカルとヨイチが近くに来た。アライグマとナスだから当然、人間の食べ物は食べられない。そのくせ、人が食べているのを見るのは好きなのだ。


「チーズフォンデュとかアヒージョって、身体のための食事っていうより、食べながら楽しいって要素のほうが大きいでしょ? だから、好きなのかも」


 実家でもスミヱの家でも、そういう食事をとる機会はなかった。味に不満があったわけではもちろんないけれど、こういう楽しみの要素が大きい食事というものにはこれまで縁がなかったのだ。


「さっきさ、派手さより美味しさと腹にたまることのほうが大事って言ってたくせに」


 アヒージョに夢中な香月に、コウは不満そうにしている。でも、そんなコウもミートタルトを食べつつ、アヒージョに手を伸ばしているのだ。


「もちろん、美味しいこともお腹いっぱいになることも大事だけど、誰かと食べたときに楽しい気持ちになるのも大事だと思うんだ。それに、エンジュさんのすごいところは、こういう美味しいものをそんなに手間をかけずに用意できちゃうこと。そういうのってね、慣れてるからこそできるんだよ」

「手抜きにはそこに至るまでの技術がいるってわけ?」

「そういうこと」

「まあ、絵でもそうだもんなあ。シンプルな線に到達するのも、そこに至るまでにどれだけたくさん線を描いてきたかってことが答えな気がするからな。最初からは、無理なわけだ」

「そうそう」


 わかったような口を聞きながら、二人はパクパクとアヒージョを口に運ぶ。一番手軽そうでいて、一番胃袋を掴んだのは間違いなくこの一品だった。


「二人とも、良いことに気がついたわね。その、複雑さや大変さを知らなければ“簡単”にはたどり着けないっていうのは、魔法にも言えることなの」


 アヒージョをパクつく香月とコウを見て、エンジュは言った。小休止なのか、フレンチトーストを口にしている。


「アタシが魔法のことより他のことをいろいろさせるのは、結局そこなのよね。いろんなことを知らなければ、魔法のすごさも大切さもわからないから。その逆に、魔法に頼りきりになって、他に方法があるのに思い至らなくなるっていうのも怖いしね」


 まだまだ未熟で途上にある二人は、エンジュの言葉をわかりかねるようだった。食べながら、ポカンとした顔で話を聞いている。

 そんな二人の弟子にわかりやすいように、エンジュは噛み砕いて話をしていく。


「今は本当に便利な世の中になって、空を飛ばなくても早く移動できる手段はあるし、灯りも電灯があれば、火もライターやガスコンロがあれば手に入れることができる。医療も研究が進んで、様々な治療法や薬が出てきてる。ぶっちゃけ、魔法なんて出る幕ないのよ」


 自虐ではなく事実として述べるエンジュに、確かにそうだと香月もうなずかざるを得なかった。

 ここに来て、エンジュが魔法を使っているのはあまり見たことがない。暖炉に火を入れるのも着火ライターを使っているし、魔法で風を起こすことも水を出すこともない。

 せいぜい薬を作るときと、パスカルとヨイチの維持くらいにしか使ってない気がする。


「でも、魔法が役に立つこともあるから、この店があるんだろ?」


 魔法を全肯定しないエンジュの言葉に不安になったのか、コウの眉間には深い皺が寄っている。


「そうね。魔法をなくさずにいるのは、アタシたちが魔法と共にある存在だからその使い方を知っておくべきだからなの。それに、もしかしたらこの便利な世の中になっても救えない何かを、魔法が救えるかもしれないからよ」

「それだったらなおさら、俺たちにもっと魔法を教えてくれてもいいんじゃないのか?」

「魔法に頼ることを覚えてほしくないのよ。魔法にのめり込みすぎると、魔法そのものになってしまうの。そうなってしまったら、もう人間としては生きていけない。人間でも魔女でもなく、魔法を使うためだけの何かになってしまう。それっておかしいし、何だか怖いでしょ?」


 ずいぶんと易しい説明だったのだけれど、コウはまだわからない様子だ。香月だけが、エンジュの言葉を噛みしめるように考え込んでいた。


「そういえば、こうやって集まって騒ぐのってあれみたいだな。魔女集会の……ワルギプス?」


 難しいことを考えるのを放棄したらしいコウが、そんなことを言い出した。


「何、その粗悪品のギプスみたいなの。ワルプルギスの夜でしょ」


 甘いものとしょっぱいもののループを楽しもうとフレンチトーストとミートパイを交互に食べていた香月が答えると、エンジュが白ワインを吹き出した。


「あー、あれね。アタシもてっきりギプスのことかと思ったわ。魔女と修行中二人じゃ、ミニプルギスの夜ね」

「ミニプルギス……」


 エンジュのネーミングセンスに、今度は香月がくすりとした。


「何か、ミニプルギスじゃかっこ悪いな。もっとこう、ダークな響きが欲しいんだけど」

「あんたが魔女にどういうイメージ持ってんのかわからなくなるわね。あと、ワルプルギスの夜って元々はキリスト教が広まる以前の、ヨーロッパの宗教で春を祝うお祭りの前夜のことだからね。別にサバトがどうとかじゃないのよ?」

「えー、そうなんだ。って、サバトとかよくわかんねえけど」


 エンジュとコウは、それからワルプルギスの夜が何なのかとか、魔女のイメージはとか、そんなことをとりとめもなく話していった。

 それを聞きながら、香月はエンジュの言っていた“魔法そのものになってしまう”という言葉について考えていた。


(人間じゃなくなったとしても、魔法そのものになってしまえば、私の望みは叶うのかな……)


 それは口にはできない、ほの暗い部分。

 楽しげな食事の席に似つかわしくないことを、香月はこっそり思いを馳せていた。

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