第五話 花散らしのレイニーブルー
「香月ぃー。田畑からのプレゼントを持ってきてやったぞ」
「え、いらない。庭にでも埋めといてください。万が一に必要なときがきたら掘り起こすので」
「タイムカプセルかよ」
新学期初日、短い日程を終えたコウは制服のまま、魔法屋オカマジョに来ていた。香月としては、ほぼ一週間ぶりに会うことになる。
コウは春休みをほぼすべて返上して補習を受けることで、何とか進級できることになったのだ。最後の一週間は徹底的にしごかれたらしく、オカマジョに寄る余裕すらなかったということだ。
本人はげっそりした顔で文句を言っていたけれど、香月としては教師たちの熱意と高校側の寛大な対処に正直驚いていた。
「香月、何やってんの?」
台所で耐熱容器の中の液体をぐるぐるかきまぜる香月を、コウは不思議そうに見ていた。その液体が食べ物でないのはひと目でわかるし、薄手のゴム手袋をはめて作業をしているのだから料理をしているのはあきらかだ。だから、不審に思うのも無理はない。
「石鹸を作ってるんです。って言っても、基礎となる石鹸を溶かして色と香りをつけてまた固めるだけなんですけど」
「難しそうだな」
「そうでもないんですよ。本当は苛性ソーダとオイルを使った一番本格的な石鹸を作りたいんですけど、苛性ソーダは強アルカリ性の劇物だから簡単に買えませんし、乾燥と熟成に時間がかかるから今はあきらめたんです」
「……香月は、難しいことを考えるのが好きなんだな」
石鹸作りについて説明すると、コウは疲れたように遠い目をした。別に難しいことは話していないけどなと、香月は首を傾げる。
「石鹸を作ってどうするんだ? 売るの?」
型代わりのプリンのカップに色とりどりの石鹸の液体が流し込まれていくのを、コウはジッと眺める。
「うーん。まだ考え中です。私の“魔法”として売り出せたらなって考えてるんですけど」
流し入れ終えて、香月は腕組みする。まずはならしでシンプルなものにしてみたけれど、何だか物足りない気がする。次はドライハーブでも閉じ込めたら可愛いだろうかと考える。
「そういえば香月はこの前、お客さんに“魔法”が売れたんだよな」
「うん。なし崩し的にというか、すごく運良くという感じなんですけど」
「そっか。……ああー! どうしよー!」
プリンカップの中身を見つめたり、ひとつひとつ香りをかいだりしていたコウが、唐突に頭を抱えた。少しずつ慣れてきたとはいえ、香月はコウのこういうアップダウンの激しい気性に度々驚かされる。
「……どうしたんですか?」
別にそんなに気にならないけれど、一応尋ねてみた。魔女修行の中には、人間社会になじむことも含まれている。だから、錆びついた対人スキルをどうにかしようと、香月は努力するつもりだ。
「いやさ、一年のとき同じクラスだったやつに頼まれごとしたんだけど。そいつ、この店のことをおまじないもやってる雑貨屋か何かだと思ってるらしくてさ、『今度の桜祭りが晴れるようなおまじない、何かちょうだい』とか言いだしたんだ……」
苦笑いを浮かべながら、コウは悩ましげに前髪をいじる。少し前までピンクベージュだったその髪は、一部の色が抜けたのか染め直したのか、ピンクの色味が強くなっている。桜祭りとはお花見シーズンに合わせてこの近くで催される祭りらしいけれど、コウの頭は早くも春満開といった感じだ。
「女子から頼まれたんですか?」
コウの様子から、香月はそう判断した。困っているのは本当なのだろうけれど、その頼まれごと自体はまんざらでもなさそうだ。
「え!? なんでわかった?」
「鼻の下が伸びてました」
「ウソ!?」
「嘘です」
顔を真っ赤にしたのを見て、香月は確信した。女子から頼まれた上に、コウはその女子のことを憎からず思っていると。
「布に綿でも巻いて可愛いてるてる坊主でも作ってあげたらどうですか? 顔の部分を描くんじゃなく刺繍にしたら、結構見栄えがよくなると思いますよ」
「そ、そうだな……とりあえず、それでやってみるよ」
香月に冷やかされてはたまらないとでも思ったのか、コウはそそくさと帰ってしまった。別に冷やかすつもりはなかったけれど、これから恋バナを聞かされると思っていたから、香月は何だか拍子抜けしてしまった。
「……お花見かあ」
桜は好きでも人混みは嫌いだから、花見は家の近くを歩き回って山桜を愛でるだけにしておこうと、そのとき香月は考えていた。
***
それから数日後、香月はエンジュに見立ててもらったとっておきのコーディネートで桜祭りの会場近くにいた。
コーラルピンクの春らしいゆったりとしたニットに、白のチュールスカートを合わせている。着慣れないとびきりなガーリーな着こなしで、お花見の気分をさらに盛り上げてくれる感じだ。
その隣には、非常に不本意ながらコウがいる。
けれども、今日この場ではコウほど不本意に思っている人はいないだろうから、香月な不平を漏らす気はなかった。
コウはちょっと気になる女子にお手製のてるてる坊主を渡して、とても喜んでもらったらしい。
そこまではよかった。
そのあと、何と桜祭りに誘われたのだ。……その女子と、その子の好きな人と出かけるという、地獄のような桜祭りに。
断るに断れず、それでコウは香月に泣きついたというわけだ。
怖気づくな、まだその二人が付き合ってないならアピールすればいいじゃないかと香月は言ったのだけれど、どうやらそういうことではないのだという。
香月としては、知らない人のデートに巻き込まれてダブルデートみたいな状況になるのはごめんだ。でも、必死すぎるコウに「俺、雨男だから! だめなんだよ! 雨男だから!」などと押し切られてしまった。
「……晴れてよかったですね」
内心でいろいろツッコミを入れながら、香月は隣に立つゆるカジコーデで決めているコウに言った。白のTシャツにゆったりとしたカーディガンを羽織り、サスペンダー付のサルエルパンツとスニーカーを合わせるという、全体的に力の抜けた着こなしなのだけれど、その抜け感が絶妙で、今日のために時間をかけてコーディネートしたのがわかる。
「香月、雨男なんて嘘じゃんとか思ってるんだろ?」
「別に。ただ、せっかくのお祭りだから晴れてよかったって言っただけです」
取り繕ってはみたものの、コウは不機嫌そうに香月をジッと見る。着慣れない可愛い服を着ているのを品定めされているような気がして、落ち着かない。
「あのさ、その敬語やめろよ」
「あ、うん」
「今日の香月は、“俺のことが好きでたまらない子”って設定だから」
「……は?」
知り合って時間が経つのに失礼だったかと一瞬思ったのに、その直後に聞かされた言葉に香月は凍りついた。見栄を張るにしてもそんなことを言ったのか、と。
「……わかった。その代わり、今日は美味しいものたくさん買ってもらうから」
「げっ」
ニヤッと笑う香月にコウは何か言いたそうにしたけれど、ちょうどそのとき待ち人が来てしまった。
「ごめんねー。お待たせ」
コウの姿を見つけて早歩きで近づいてきたのは、ショートカットヘアが爽やかな女子。ロング丈のネルシャツにショートパンツ、足元はハイカットスニーカーという、女子受けも男子受けもするバランスの良さそうなコーディネートだ。
こういう子が好きなのかと、香月は意外な気持ちで見つめた。コウの日頃の言動から、もっとエキセントリックな女の子が好きなのかと思った。
爽やか女子の少し後ろをついてきていたのは、やや緊張気味な様子の男子だ。パーカーの上にジャケットを着て下はジーンズという、よく見かけるザ・男子高校生ファッションだなというのが香月の感想だ。「どうも」「どうも」と微妙な挨拶を交わすのを見る限り、どうやらコウとは顔見知り程度の関係のようだ。
「初めまして。武島くんの友達、だよね? 加藤梨花っていうの。よろしくね」
「川本香月です。よろしく」
爽やか女子・梨花に微笑まれ、香月も微笑み返した。対人スキルレベルは低いままでも、場を取りなすのがうまそうなこういう子の相手は何とかなりそうだ。
「じゃあ、行こうか。美味しそうな出店がたくさんあったよ」
「うん」
梨花に先導され、一行は祭りの会場へと歩きだした。
大きな森林公園の中に、ずらりと出店が並んでいる。それらの間を縫うようにして、たくさんの人たちが行き交っている。公園内の桜は見頃を迎えているのだけれど、会場に来ている人の多くにとっては桜はオマケで、食べ物のほうがメインな感じだ。それは香月にとっても同じ。
「コウくん、次はフライドポテトとアメリカンドッグがほしいな」
「お、おう。わかった。加藤さんは何かほしいものある?」
「私も香月ちゃんと同じもので。あ、あとでお金はちゃんと払うから」
「じゃあ俺、飲み物買ってくるよ」
宣言通り、香月はコウにたくさん食べ物をごちそうしてもらう気でいる。もうすでに、たこ焼きと人形焼を買ってもらって食べた。
最初こそぎこちない四人だったものの、香月がコウをせっついて食べ物を買いに行かせるうちに、梨花の想い人である倉本も進んで自分から買い出しを申し出るなど、いい感じになってきた。
倉本は悪い人ではなさそうだし、梨花のことをどうやら好きそうなのだけれど、女子に対する接し方が不慣れな様子だ。
その点は、日頃エンジュを相手にしていることで慣れているからか、コウのほうが気づかいはできている。
「香月ちゃんって、甘え上手だね」
「そうかな?」
「うん。武島くんを買い物に行かせるのがうまいなって思ってたんだ」
男子二人を待つ間、梨花が感心するように言う。嫌味ではなく純粋にそう思っているようで、香月は笑いだしそうになってしまった。
「今日はほしいものがあったら言ってって言われてたから、その通りにしてるだけだよ」
「わ! 何か小悪魔って感じの発言だ!」
楽しそうに言う梨花に香月も微笑み返すけれど、コウは小悪魔ではなく悪魔だと思っているだろうと考えると、やはり悪い笑いが浮かびそうになる。
「いいなあ。私も香月ちゃんみたいに積極的になれたらいいんだけど。お祭りに誘うだけで精一杯でさ。それで勇気出せなくて、武島くんを巻き込んじゃった。香月ちゃん、二人きりでまわりたかっただろうに、ごめんね?」
女子同士だけになったということで気が緩んだのか、梨花は照れたように話し始めた。その顔はまさに恋する乙女そのもので、今ここにコウがいなくてよかったと思う。
「ううん。こういう機会がなければ、コウくんとお祭りに来ることはなかったと思うから」
梨花に気を使わせないように香月は言う。嘘は言っていないけれど、物は言いようというやつだ。でも、梨花の気持ちは楽になったようだ。
「好きな人と出かけるって、楽しいけど勇気がいるよね。今日も実際に誘うまでうじうじしちゃって、悩んでたところを武島くんが背中を押してくれたんだ」
聞きながら、なるほどと香月は納得した。コウはきっと、こうして一生懸命な梨花を見て、放っておけなかったのだろう。背中を押すことで自分の気持ちが叶わなくなるとわかっても、それでも応援してやりたくなったに違いない。
「武島くんは見た目があんなだし、先生にもよく注意されてるけど、話したら面白いし、良い人だよね」
「そうだね」
頑張っても、気づかいができても、“良い人”で終わってしまうコウのことを思って、香月はちょっぴり気の毒になる。
「武島くんと話すみたいに倉本くんと話せるようになったらいいんだけど」
「好きなんだね」
「うん」
自分にはない感情を胸の中で育てている最中の同い年の少女を、香月は眩しい気持ちで見つめる。
「お待たせー。混んでてさ」
「ありがとう」
「何か、可愛いジュースがあったから買ってきたよ」
「わー! 可愛い! ありがとう!」
女子二人で話している間に、無事に物資調達を済ませた男子たちが戻ってきた。コウの手には香月が頼んだ食べ物類が、倉本の手には最近流行っていると以前聞いたことがあった電球ソーダとやらが四つ、抱えられていた。
「……あれ、高いやつだ」
電球ソーダはその名の通り電球を模したボトルに炭酸飲料が入れてある可愛いものだ。でも、通りすがりにちらっと見て、その値段に驚いていたものだった。それを四人分払わせたのだと思うと、申し訳なくてたまらなくなる。
「大丈夫。俺と香月のぶんはもう渡してあるから。ついでに俺の懐も心配しなくていいぞ。実はエンジュさんから軍資金もらってるんだ」
財布を出そうとする香月を、コソッとコウが制した。先回りして気を利かせてくれたのはありがたいと思いつつも、軍資金云々は初耳だった。だから、ちょっぴりムカッとする。
「いろいろそろったところで、そろそろ歩きながらお花見しようか」
「うん」
梨花に呼びかけられ、香月は歩きだすことにする。本当はコウの隣を歩くのは癪なのだけれど、仕方がない。梨花と倉本を邪魔するわけにはいかないし、今日の香月の立ち位置は“コウのことが好きでたまらない子”というものなのだから。
歩きながら、この意趣返しは近いうちに必ずせねばと香月はこっそり誓った。
「あ……」
花より団子状態ではあるものの、一行がおしゃべりをしつつ花見を楽しんでいたとき。
ポツリと、鼻先に不吉な水滴が落ちてきた。あっと思ったときには、滴は次々と落ちてきて、すぐに本降りになることを予感させた。
「これ、雨宿りしたほうがいいかも」
香月が言うと、すぐに梨花と目が合った。そのアイコンタクトの意味が理解できなかったけれど、彼女が倉本のジャケットの袖を引いて駆け出したのを見て、ようやく理解できた。
「ほら、私たちも行くよ」
降り出してしまった空を見上げ呆然としているコウをうながし、香月は梨花たちが駆けていったところから少し離れた木の下に行った。
「……降っちゃったよ。やっぱ、だめなんだよ、俺」
自称雨男のコウは、目に見えて落ち込んでいる。これだけ大勢の人が参加する祭りの天気が一人の人間に左右されてたまるかと思うから、香月は何と言って励ましたらいいかわからなかった。
「俺さ、昔からそうなんだよ。遠足とか宿泊訓練とか、全部雨。そのくせ俺が風邪で参加できないときは晴れるんだから、嫌になるよな」
「それは、気の毒にね……」
「自分で思うだけじゃなくて、他人に言われるようになったのも嫌でさ。……俺の名前、漢字で書くと呼ぶ雨で#呼雨_こう_#なんだよ。そのせいで、いつの頃からか自他共に認める雨男ってことになってた」
コウの声があまりに暗くて、香月は軽はずみな慰めを口にするのをやめにした。学校という狭く小さな社会では、名前やその他のささいなことがからかいやいじりの対象となる。周囲から見れば何てことなくても、それをされている本人からすればすごくつらくて、消えない傷になることもあるのだ。
そんな狭小な社会で必死でバランスを取っていた香月には、それがよくわかる。
「俺、おまけに水属性だからさ……それがわかって納得したけど、正真正銘の雨男なんだよ。そのせいで、今回もまた台無しにしちまった……」
悲しげなコウの呟きを聞きながら、小さな東屋の中に逃げ込むことができた梨花たちを見た。
「別に、台無しにはなってないみたいよ」
コウを突き、仲良く肩を並べている梨花と倉本を指差す。二人は、出店めぐりや花見をしているとき以上に親密な様子だ。濡れた倉本の肩をハンカチで拭ってやっている梨花は、幸せそうな顔をしている。
「ほら、雨降って地固まるじゃないけど、雨のおかげでうまくまとまるものもあるんだと思うよ」
「……そうだな」
梨花たちを見て複雑そうに微笑んだコウは、ポケットからスマホを取り出して何かメッセージを打っている。
「じゃあ、俺たちは帰ろうか」
そう言って、コウはスマホの画面を見せてきた。そこには『香月が雨が嫌だって駄々こねるから帰るな』『OK。今日は楽しかったよ。また一緒に遊ぼうね』というメッセージのやりとりが表示されていた。
空気を読んで退散することには同意だ。でも、“コウのことが好きでたまらない子”という設定の他に、またさらに駄々をこねるワガママキャラが追加されたことは不満だ。
「私、別に雨は嫌いじゃないんだけどなあ。でも駄々こねなきゃいけないらしいから。あーやだ。雨やだやだ」
カバンから折り畳み傘を取り出して広げ、香月はさっさと歩きだした。一瞬呆然とそれを見ていたコウは、あわてて追いかける。
「ちょっと待てよ! 何でひとりで傘さして帰るんだよ」
「だって私の傘だし」
「入れてくれたっていいだろ。てか、普通入れるだろ」
「……頼み方がおかしいなあ」
強引に入ってこようとするコウを避けるように、香月はひょいと傘を傾けた。するとコウは、口をへの字に曲げる。
「……傘に入れてください、香月様」
「よろしい」
実に嫌そうにコウが言うのを聞いて、ようやく香月は気持ちを落ち着けた。それに、いつまでもこんなやりとりをしていたら、二人ともずぶ濡れになってしまう。
だから、傘の柄をコウに握らせて歩きだした。
「今日は、ごめんな。ついてきてもらったことと、結局雨になっちまったこと」
しばらく歩いていると、ポツリとコウが言った。どうやら、まだしょげているらしい。
雨に濡れる桜を見て歩きながら、香月は首を振る。
「ううん。雨、別に嫌いじゃないし。雨の中で見る桜もきれいだと思うよ」
「……ありがとう」
雨は止む気配はないけれど、香月の言葉を聞いてコウの表情は少しだけ晴れた。