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第11話 闇からのいざない

 とある週末。

 魔法屋オカマジョの店舗兼住居であるコテージのリビングは騒がしかった。

 高校を休学中で魔女修行中の香月にとっては、週末も休日もないからいいのだけれど、集まっている面子はこうして騒いでいていいのだろうかと気になってくる。


「あのさ、みんな。ちゃんと勉強しないと。中間テストに向けての勉強会なんでしょ? 特に、コウくん。平松さんの教科書の隅にパラパラ漫画を描いてる暇があったら、提出用のワークを埋めて」


 スマホばかり気にする梨花、一心不乱にラクガキをするコウ、コウにちょっかいをかけたり香月をジッと見ていたりな綾人。何ともいえない面子が集まっている。


「武島、それ俺の教科書だったわけ? いい加減にしてくれよ」

「お前こそ、ボールペンをカーラーみたいにして俺の髪に巻くのやめろ。本数が増えると地味に重いんだよ」

「うー……倉本くんが今、休憩中なの。倉本くんが休憩終わって勉強始めたら、あたしもちゃんと集中するからー」


 もともとは、コウの勉強を見る予定だったのだ。それがなぜだか、梨花と綾人もついてきている。梨花は香月がかなり勉強ができると聞きつけて、綾人は香月がコウのことを好きでたまらないと聞いて、わざわざやってきたのだという。


「梨花ちゃん、倉本くんと付き合い始めたばかりで楽しいのはわかるけど、成績が下がったらきっと今後楽しく付き合っていけないよ?」

「は、はあい」

「それのコウくんと平松さんは真面目にしないなら帰って。平松さんは誰かに教わる必要なさそうだし、コウくんはこんな感じならひとりのほうがマシだから」

「うぅ……」

「……ちゃんとやるよ」


 香月がびしっと言うと、全員しゅんとなった。こんなふうにド直球に言われてしまえば、逆らうことは難しい。


「こんな塩対応されて、よく香月のことを他人に『俺のことが好きでたまらない子』なんて紹介したよね」

「そうだよね。あの日はダブルデートで浮かれてたから深く考えなかったけど、よく考えたら全然、好き好きオーラが出てなかったもんね」

「う、嘘も方便ってやつだよ……」


 勉強する、という姿勢になったのも束の間、三人はまたおしゃべりを始めてしまう。そんな光景を見て、秀才な香月は思うのだ。勉強なんて集まってするものではない、ひとりで集中してするものだと。

 でも、どうやら騒がしいのが嫌なわけではない、と気づいてはいるのだけれど。


「お昼ご飯ね、チーズと卵を乗せた焼きカレーにするよ。だから、ひとまず昼食まで集中して」

 

 とりあえず短時間でも集中させねばと、香月は高らかに宣言する。

 コウしかいないのなら、昨夜の残りのカレーをあたためるだけで済ませようと思っていた。でも、一応はお客様が来ているから、少しだけ手間をかけることにする。

 焼きカレーというワードが効いたのか、それから三人はわりと集中してテスト勉強に取り組んだ。

 器に入れて焼くだけだから、香月もすぐに暇になった。だから、行き詰まっているところの解き方を示したり、効率の良い暗記の仕方を教えたりしたのだった。



「香月ちゃん、うちの高校に来たらいいのに。てか、来てほしいなあ。勉強の教え方、うまいもん。先生いらない。香月ちゃんがほしいー」


 食事を終え、ひと心地ついた雰囲気の中、今にもゴロゴロし始めそうな様子で梨花が言った。

 昼時、特に食事のあとは眠くなる。すっかりくつろいでまったりとした空気になって、いつの間にかそんな話になったのだ。

 梨花に「香月ちゃんって、どこの高校行ってるの?」という質問に、香月は意外なほどにあっさりと「休学中なんだ」と答えることができた。

 その質問にコウと、いろいろ察しているらしい綾人は身構えたけれど、香月自身は何の引っかかりも感じなかった。


「高校かあ。面倒くさいなあと思っていたら、いつの間にかその面倒くささがテトリスのブロックみたいに積み重なっていっちゃって、身動きが取れなくなっちゃったんだよね。それで、思いきって休学してみてる最中だから、また通えるようになるか不安だなあ……」


 嘘ではなく、本音を何割かもらしてみた。“何が”“どう”面倒くさいかということを明言しないだけで、ずいぶんとマイルドになるものだと思って、何だかおかしくなった。


「これだけ頭良いってことは、進学校か。それなら、いろいろ面倒くさかったんだろうね。でも、うちの高校はゆるいから、たぶんそういう面倒くささとは無縁だし、香月の頭なら学年首位とか楽勝だよ。そしたら、大学も推薦でそれなりのところに入れるんじゃない? まあ、それなりのところの推薦枠しか、うちの高校は持ってないってのがネックだけど」


 梨花の言葉に便乗するように、綾人もそんなことを言い出した。編入してくるメリットについて話してくるあたり、もしかして今日はプレゼンするつもりだったのだろうかと考えてしまう。


「推薦かあ」

「お前らさー、打算的なこと言いすぎ。俺は単純に、香月と学校で会えたら楽しそうだし、嬉しいけどな」


 ニヤッとしながらコウが言う。綾人の発言を“打算的”と言っただけあって、自分はそうではないという主張なのだろう。


「武島、自分だけいい感じの発言しようとすんな」

「そうだよ。あたしだって、香月ちゃんが来てくれたら嬉しいし、楽しいって言いたかったんだもん。勉強を見てもらうのはついでだよー」


 打算的と言われた二人は、不満そうにしている。

 それから、口々に言いたいことを言うものだから、そのうちにまた騒がしくなっていった。

 いつもはコウと話すだけだから、こういった年の近い人間数人と一緒にいるのは久しぶりだった。

 教室という狭い空間で四十人前後の同級生を相手にするのと比べれば、三人なんてうんと少ない数だ。

 だからなのか、かつて感じた嫌悪や圧迫感が胸に押し寄せてくることはなくて、そのことに香月は不思議な気持ちになっていた。

 ああだこうだと言い合ってから、三人はまた数時間ほどテーブルに向かって勉強して、それから帰っていった。


「武島みたいなやつだって、ドロップアウトせずにやれてるんだ。香月にだって、やれないわけがない。このままじゃ、もったいないよ」


 帰り際、綾人が真剣な顔で言った。なぜかはわからないけれど、どうやら気に入られているようで、彼は香月が編入してくることを本当に望んでいるらしい。


「もったいない、か……」


 田畑に同じようなことを言われたときは反発心しかなかったのに、今はそれもあまりなかった。

 人間なんて嫌いだし、学校には背を向けて二度と振り返らないつもりでいたのに、「編入してくればいいのに」と言われたことによって、香月の気持ちには変化が生じていた。



 その日の夜、香月はエンジュに呼ばれた。

 そして、紙袋を渡された。

 中を見ると、それはクリーニングのタグがついた、コウたちの高校の制服だった。


「あの、これ……」

「果穂ちゃんから譲ってもらったのよ。物持ちがいいわよね。かなりの美品よ。果穂ちゃん、あそこの卒業生なんだって」

「はあ……」

「で、あんたってかなり細いから、もしお直しが必要なら妙子さんにお願いしましょうね」

「……」


 大事な話があると言われエンジュの部屋に呼ばれたときから、何となくどんな話をされるかは予想していた。そして、制服を渡されて、その予想が正しかったのだとわかる。でも、何と答えていいかわからなかった。


「香月、コウと同じ高校に編入してみるつもりはない? 田畑先生がいろいろあんたが休学してる高校と連絡を取り合ってくれてわかったんだけど、あんたは普通に進級できてるって。ギリギリではあるみたいだけど。だから、二年生として編入できるってさ」

「留年してると思ってました……」


 編入してみないか――いざ言われてみると、落ち着かない気分になった。それに加えて、進級して二年生になっているということにも驚いてしまった。

 逃げ出し、背を向けている間にとっくにコースアウトしてしまっていたと思っていたのには、まだかろうじてギリギリ踏みとどまれているらしい。

 もう一度一年生をやるのだとしたら真っ平ごめんだと思っていたけれど、そうでないのなら話は別だ。


「学校なんてね、死ぬほど行きたくないのなら、行かなきゃ良いじゃなってアタシは思ってんのよ。高卒認定に合格しちゃえば大学受験もてまきるわけだし、別に学がなくても生きていく道はある。学校に通うことがあんたの心を苦しめて仕方ないっていうなら、無理強いするつもりはないの。でも、そうじゃなくて、もし少しでも行きたいなって思うのなら、行かせてあげたいわけよ」

「そのほうが、この国では生きやすいからですか……?」


 エンジュの言葉に、香月は綾人が言っていたドロップアウトという単語を思い出していた。

 生きていけないわけではないものの、この国では高学歴でないと生きづらいと香月は信じている。高収入の職に就きたければ高学歴を目指すべきだし、収入が少ないことを嘆く人がいて、もしその人の学歴が低ければ“自己責任”だと言われることを知っている。そこに至る努力をしなかったからだと、怠けて脱落ドロップアウトしたから悪いのだと。家庭環境や経済的次条などもあったかもしれないのに、そんなことは鑑みられないのだ。

 だからこそ、香月はずっと勉強してきたのだ。

 生きにくい世を少しでも生きやすくするために。大勢の人と違うことをして生きるほど器用ではないことを自覚していたから、しがみつきさえすれば歩きやすい道を選んだつもりだった。……そこから蹴り出されて、今に至るわけだけれど。


「え? そんなむずかしい話じゃないわよ。ただ、学校があんたにとって少しでもたのしい場所なら行ったほうがいいんじゃないのって思ったのよ。香月が勉強が好きなのは、見てればわかるもん。学ぶのが好きなタイプっているのよ」

「たしかに、知識が増えるのは楽しいです」

「でしょ? でね、学生って、その学ぶって行為だけに集中してても怒られない貴重な時間なのよ。大人になってももちろん学べるけど、それだけに集中することってなかなかできないわけ。猶予期間モラトリアムってよく言われるものね」

「たしかに、そうですね……」


 香月の今の“休学中”という立場も、学生という身分の延長線上にあるものだ。そうでなければ、働くなりなんなりすべきところを、その身分ゆえに見逃してもらっている。


「それにさ、制服って可愛いじゃない。制服を堂々と着られるの、今のうちよ? 香月、制服似合うんだから、着なきゃ損よ」

「損、ですか」

「そうよ。二十歳過ぎて制服を着たくなったってコスプレになっちゃうんだから」


 香月はあれこれ難しいことを考えているのに、エンジュは何でもないことのように笑っている。

 将来や人生のために復学しろというのではなく、学ぶのが楽しいなら行ってこいと、制服を着られるうちに着ておけと、この人は言っているのだ。


「無理強いはしない。でも、もしあんたがまた学校に行きたいっていうなら、遠慮することないのよ? コウたちの高校に編入するっていうのは選択肢のひとつで、専門学校とか別のところに入り直すのでも全然構わないの。急かすみたいになっちゃったのは、踏み出すなら早いに越したことないと思って」


 二年生に編入できるとはいえ、おそらく復学のリミットは今なのだろう。それも、田畑がいろいろ調整してくれているからだということもわかる。

 せっかく動いてもらっているのに、それらをふいにするのは申し訳なかった。

 そのことを抜きにしても、香月の気持ちは復学するほうに大きく傾いていた。


「……どうして、ここまで良くしてくれるんですか?」


 エンジュの気づかいをありがたいと思うと同時に、心苦しくもあった。

 ただ親戚の子供を押し付けられただけなのに、受け入れて世話をしてくれるだけでもありがたいのに。親ですら、ここまでしてくれなかったのに。


「どうしてって、そうねえ……。恩返しみたいなものかしら?」


 不思議そうにする香月に、エンジュは艶然と笑ってみせた。


「アタシは、今後誰かと一緒になることはあったとしても、自分の子供を持つことはないわけじゃない? そしたら、これまで自分が周囲やこの社会にしてもらったことへの恩返しをする先がないわけよ。まあ、子供を生んで育てるだけが恩返しってわけじゃないんだけど、困ってるあんたがいて、アタシにはそんなあんたを世話できる余裕があったってだけの話よ」


 茶目っ気たっぷりにパチッとウインクされたけれど、香月はうまく笑い返せなかった。だから、制服の入った紙袋を抱きしめて、頭を下げることしかできなかった。


「ありがとうございます。……また学校に行ってみたいです」

「親にいちいち頭下げてお礼なんて言わないものよ」

「……エンジュさんは親って年じゃないから、お姉さんです」

「お兄さんって言わなかったから、まあ合格ね」


 すねたみたいなエンジュの表情を見て、ようやく香月は笑うことができた。

 親よりも親身に、優しくしてくれるこの人に報いたいと、そのためにせめて笑おうと思ったのだ。



 それから、香月はコウと同じ高校に編入すべく準備が進められていった。

 動いてくれているのは主に田畑とエンジュで、香月はただ試験を受ける用意と心の準備をすればいいだけだった。

 いい機会だからと、実家の両親には近況報告とお礼の電話をしておいた。

 香月が大変な目に遭ったときになにをすればいいかわからず、結果として放置してしまった人たちだ。それでも、これからかかる経済的負担の代部分を引き受けてくれるのはこの人たちなわけだから、一応は……という気持ちで。

 復学すると聞いて、彼らはほっとしているようだった。それが何となく面白くなかったけれど、香月は彼らを安心させてやりたくて学校に行くわけではない。逆にいえば、困らせたくて休学していたわけでもない。だからもう、気にしないことにした。

 でも、そんなふうに自分を縛っていたものを切り捨てて前に進もうとしても、簡単には捨てられないものもある。


「何、これ……」


 ある日、これから必要になるかもしれないという理由で、教科書や参考書などをダンボール箱に入れて母親が送ってきた。

 その中に、一枚の色紙と手紙が入っていたのだ。

 それらを見て、香月は動悸とめまいがした。


『ずっと友達だよ』

『新しい高校でも頑張ってね』


 そんな感じの言葉が、乏しいバリエーションで色紙の上に踊っていた。それだけでも、十分すぎるほど気分が悪いものだった。

 義務的に、あるいは儀礼的に、書けと言われたから書いたのだろう。

 そういうことをさせる人間だったのだ、香月のクラスの担任は。なかったことにすれば、それで済むと思っているのだ。


「あの女……」


 色紙にも手紙にも、黒いもやがまとわりついていた。普通の人には見えなくても、香月には見える。だから、触れずに避けておけばよかったのに。

 でも、香月は確かめたかったのだ。

 自分が、憎しみを捨てられたかどうかを。

 エンジュのところに来たばかりのときと同じように、まだ呪い殺したいと思っているかどうかを。

 それに、そんな負の感情を抱え続けたままでは、学校という年の近い人間たちの群れに帰ることは思い込んでいたのだ。

 だから、確かめたかったのだ。


 でも結局、そういったものから簡単に逃げられるわけはなかった。


「……やっぱり、許せない……」


 元担任からの手紙を広げた瞬間、香月の身体は黒いもやに包まれた。

 それが手紙と色紙にまとわりついていたものだったのか、香月の身の内から噴き出したものだったのか。

 わからないけれど、闇に飲まれ、香月は意識を失った。

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