1-1 退社表明はツリーハウスにて
◇◆◇
評価はオール5、性格はトゲデレ(トゲトゲしてるけど、仲間になったら頼もしいの意)、恋愛経験はゼロ。
それが、彼の学生時代の周囲からの総評だった。
顔はまあまあ、ブスではないと自覚してはいる。
しかし、イケメンとも思っていない。何せ一度も告白されたことはないのが彼の経歴。
恐くて、恐くて、好きでも近付けない人が何人もいたことに、彼は未だに気付いていない。
学園祭で妙な歌声を披露して話題になったり、プールの授業で完璧な腹筋を露にしたりと、なかなかに個性的な学校生活を送ってきた。
自ら絶ち切ってはいたが、もしかしたらあの頃が一番楽しかったのかもしれない。
頬を赤らめながら恐る恐る話しかけてくれようとした女の子が、自分の睨みを見て恐がりながら何とも言えない嬉しそうな表情を見せてくれることが、いつだって快感だった。たまにいる、ゴミを見るような視線も彼にとっての爽快感は凄まじいものだ。
これが、彼の学生としての記録である。
――転機は四月、社会人になってから訪れた。
マルチソルジャー。
それが一応のオール5を毎回叩き出した彼の就職先だ。
田舎の高校は少しばかり過ごしにくかった記憶があるが、都心の一流大学、そしてその会社の群れの中で暮らすのはもっと苦痛だった。
いや、田舎ほうが断然過ごしやすかった。
彼は自然をこよなく愛していた。
家は何時だって花が飾りを付けていたし、夏の度にカブトムシを飼育して、図鑑という図鑑を読み漁った。
空気の悪い都会。
無駄にゴキブリの多い都会。
何もかも(主にビルと物価が)高い都会。
都会にはそんなイメージしかなかった。住んでみて、実際そうだった。
生活金を得るために、マクドでバイトしながら定職を探してみたが、都会というだけあって、どれもパソコンを使ったり工事をしたりというものばかり。
植物なんて欠片も見当たらない。
彼は都会の自然との解離に失望した。
仕事をするのは止めて、田舎に帰ろう。そんな考えが頭を過り始めた時だった。
『株式会社マルチソルジャー』。
寂れた公園の廃れた掲示板にでかでかと張られた広告の誘い文句は『大自然との調和、都会』である。
なんだこれ。
他にも紙には気になる情報はちらほら見受けられたが、その中でも特に目を見張ったものがあった。
彼はそれを確かめるため、張り紙を見た翌日、早速会社があるビルへと向かうことにした。
ビルには、一面に蔦が張られていた。
あの都会特有の、石で作られた壁などそこには存在しない。
在るのは、都内でも一番の高さと言われるその屋上まで、びっしりと張り巡らされた緑のカーテンだ。
さらに、なんとビルの中身が空洞となっていて、そのドでかい中庭にはビルの天辺まで届く大樹が植え付けてあった。
どこからそんな木を持ってきたのか、蔦は何故あんなに長いのかなど、疑問はあった。
あったが、そんなもの彼の目線には見えていない。
在るのは強い憧れと期待感だ。
これらを確認した彼は、このマルチソルジャーへの入社を決意した。
ここでは上手くやっていけそうだ。
だが、それなのに。
――そんな彼の晴々しい思いは、入社一週間で尽く崩れ去る。
仕事内容は、
・苗木研究
・アスファルトに咲きやすい花などの改良化
・会社の警備
・エトセトラ
・エトセトラ
・エトセトラ…………。
「しょうもねぇ! この会社緑舐めてやがる! さっさと倒産しやがれ、とっとと大樹はアフリカに寄付しろ蔦は軽井沢に運べぇー! 早くぅ、早くしろぉぉぉ!」
彼は、会社を辞めることにした。
給料の良さなんて知ったことか。ここまでの自然を侮蔑してることに、彼は驚きと困惑、そして怒りを抑えきることが出来なかった。
◇◆◇
入社から一ヶ月、5月にもなりたての頃。荒っぽく『辞表』と書かれた紙を片手に、彼は社長室へと向かった。どうせ辞めるのだ、ここぞとばかりに声を荒げてやろう。
堂々と自然との調和と嘯く代わりに、私達は軽いボランティア活動してますー。
は? 死ね。
自然を馬鹿にしたクソ企業に言いたい放題出来るのは、辞表を叩きつける瞬間のみ。
彼はもう最後になるだろう、IDカードをセキュリティパネルぎりぎりに反応させる最速技(出来るだけ会社にいる時間を短くしようと遅刻ギリギリに出社してた)を実践し、驚くおそらく同僚(仕事中は死んでいたので同僚の顔なんて覚えてなかった)をすり抜け、エレベーターではなく階段を駆け登る。
階段で疲れたくない。こんな会社で疲れてやるほど俺は温い奴じゃないし、そう思われたくもない。
だが、怒りを脚に込めながら段差を踏みしめて走ること以外で、敢えて階段を登ることには、もう一つの理由があった。
随分と登り、疲労とは別に怒りのボルテージも増してくる。
彼はほぼ意味のないノックをして、返事のある前に部屋に入り込んでいった。
その部屋は、『階段』でしか辿り着けないのだ。
――入り口は屋上、社長室はあの大樹に備え付けられていた。
つまりは……。
「ツリーハウスで……しかも東京で一番高いかもしれない大樹で、堂々と社員の愚行を見学する気分はどうだ? ……社長さんよ」
「……ふむ、こんな時間にどうしたんだい? 給料の底上げが狙いかな? それとも地位が欲しいのかな? 我が社は社員主義で有名だ。君にも、十分に発言する権利は――」
ドン!
と、一会社の天辺の目の前、辞表が叩きつけられた。
「辞める権利は、私にもあるはずです……って、言い直して言ってやる」
「おーやおや、ご機嫌斜めのようだね」
そう言って、件の社長は貫禄を見せつけるように笑みを浮かべ、無駄に大きめの机に肘をつき、指を組んだ。
全てが木材で組みこまれた室内に、数々の観葉植物たち。飾られた絵画よりも目立つのは、部屋の中央――社長机の、社長の後ろに設置されている、今も動き続ける大きなアンティーク振り子時計。
存在する場所、そして内装も外装もアレだが、ここは紛れもなく社長室だ。
入社の時、そう、まだあの期待感に胸を弾ませていたあの頃、ベテラン社員に案内されて入ったのが最後――三週間前だ。
あのベテラン社員はどんな精神をして会社に残り続けているのか、今では想像も付かない。マスクを常時着用していたあいつは、もう四年目になるとか言っていただろうか。
それだけ、社長は信頼を勝ち取っているとでも言うのか。とりあえず、彼はそんなこと微塵も感じたことはない。
ほとんど顔も見せないまま、さらには存在すらあやふやで、自然を馬鹿にしている企業の運営主であるこの社長に好意を抱け――不可能に近い。
仕事内容はあんなにしょぼくさいのに、社長だけは随分とまあ……
「――緑と茶色が多くて、いい部屋だろう? 自慢になるから自慢するが、お金ちゃんに物を言わせた代物だ。因みに、企業の経緯はひ・み・つ、だよ」
「いちいち鼻につく社長さんだな、それでも有望起業家かよ」
件の社長『福見徹浪』は、ここ最近でも有名な起業家の一人だ。
まだ四十ともいかない歳に、尖って鋭く伸びた髪。それに合わせて、大物感漂わせる佇まい、正統派イケメン――良くも悪くも、彼と正反対な存在だ。
胸ポケットには、きらびやかに存在の主張を続けるバッジが三つ程付けられていて、多分一つは『優秀な社長賞』か何かの記念品だっただろうか。
何でかは知らないが、徹浪は社員や世間からの評判もよく、安定した位置に居座り続けている。少なくとも起業家としては成功していたようだった。
そこまでだったら、完璧だ。
「……よくも緑と自然を侮辱してくれたもんだな。社員にさせる仕事内容への見解を求める」
「えー……と。君は『鍛原軌道』君、現二十三歳。私立ラインバル高校と国立 檀黎大学卒業。特技は相手がMかSか見極めること……あ、これは言わなくてもよかったかな?」
「とりあえず、社長さんからは相手を嘲笑う趣味格好を持つ微Sの波動を感じるが」
「ふふっ……まぁ、仕事については、それなりにやってくれてると思っているよ。内容については…………あまり声を大にして言いたくはないね」
やはり、何か隠していることがあった。
そう確信した彼――軌道は顔をしかめて、改め社長である徹浪と向き合う。
「……なるほど、氷が好きなんだねぇ。出掛ける前はいつも一つ二つ、口に入れて出社してくるそうじゃないか」
「氷……確かに氷は好きだ。そんで、頬張った氷で誤魔化してた時間ももうすぐ終わる……と、良いんだが。そう、易々と解雇しちゃくれないんだろ?」
徹浪は紙のようなもの――おそらく軌道が書いた履歴書をめくり、特に関係のない項目を見て面白がる。
こんな時間に、軌道が殴り込んでくることはあちら側も予想外だったはずだ。
それなのに、徹浪は一瞬で軌道の履歴書を取り出してみせた。
やはりどこかずれているし、少し気味悪い。
意思を曲げない軌道と、おどけるように話を逸らしにかかる徹浪。
対極を成す二人の対話は、まずは徹浪によって切り出される。
「まず……君たちにやってもらっていた仕事は、仕事じゃない」
「は……ぁ?」
それは、やっぱり会社に疚しい事がある証拠となる発言だった。
だと言うのに、徹浪の態度は余裕そのもの。
こちらの気がいくらあっても足りないような気がするので、軌道としては早めに話は終えて、とっとと別の仕事を探しにかかりたいのだが。
「仕事じゃ、ない……?」
「つーまーりーは、君たち社員にやってもらっていた仕事は、本当のジョブ、役割じゃないわけ。本当に働いてもらっているのは……あんまり教えたくはないがね。因みに、我が社の『社員数』は……うん、せいぜい五十人くらいじゃないかな。大体、騙されて入社してくれた新米くんだよ」
「!? そ、そんな筈はない! そんな人数で形成されてる会社じゃないことは、実際に働いた俺が一番良く知ってる! それに、四年目になるエリートがいたじゃねぇか! あいつは何なんだ!?」
「あれは……ロボットだよ。しかも、君は出社こそしてはいたけど、ほとんど勤務していないようなものだったじゃないか。実際に視察してた僕が一番よく知ってると思うよ?」
「な、なんだと!?」
片目を瞑り「ひゅー」と口を吹きながら、徹底は堂々と、入社六年目のエリート社員が、『実はロボットでした』と告白してみせた。
あれほどまでに精巧で、人の真似を出来るロボットなど見たことも聞いたこともない。
だとしたら、本当にそうなのだとしたら、常時マスクを着けていたことにも途端に納得がいく。普通に考えて、怪しまれないようにするためだろう。
だからこそ、この『会社』は何かがおかしいと実感できた。
軌道は、自らの癖毛を指に巻きつつ深呼吸を実行する。
――思い出せ、何のためにこうやって会話を続けてる。
本当は、辞表を叩きつけた瞬間に罵声を浴びせ、急に立ち去っていっても良かったのだ。
だが、軌道は残ることを選んだ。
何故か。
――これ以上、好き勝手にされては困る。
「一体、何を……何を、隠してるんだ?」
「ああ、その通り、我が社は何かを隠している。その何かを……当ててみる気はあったりするかい?」
木製の天窓から入った渦巻く風は、軌道の癖毛を強めに撫でた。道理でやけに明るいと思っていたのだ。
だが、軌道の心情は風のように穏やかではない。
――青い都市ガスのように、燃え盛っているのだ。
燃え盛るとは言っても、単純にキレるだけでは辞職を認められないかもしれない。ちゃんと調節くらいは出来る。
軌道は本能的な恐怖感に負け、安全策として言葉選びはきちんとしているつもりだ。
あくまで、つもりだけだ。
「まぁ当たらないと思うよ? 幾つか試してみるといい。僕は正直に答えると約束する」
「……実は麻薬売ってたり?」
「ぶぶー、だね。付け加えると、そういうモノに手を出したことも、させたこともない。我が社は優秀の上の最優秀だから、その上の指導も徹底しているつもりだよ」
「……宇宙人と密会してたり?」
「不正解と言わざるを得ないね。――宇宙人、か。僕は以前、似たようなものに会ったことはあるけどね。因みに社員の中で、宇宙人に会ったと社内アンケートに答えた者はゼロだ。ロボットだがね」
「……政府を裏で操ってたりは?」
「……いや、そんなことはないよ。一時期は悪辣なる政治家がこの職場に潜伏していた事件もあったが……当の昔話さ」
「だ、だったら何を――!」
「――隠しているか、だね。……いいさ、君には、『君だけ』には、僕が何を知っているのか教えてあげよう」
「――――」
「――めでたいめでたい、『退社特典』として、ね?」