6月6日(つづき5)
間が空いてしまいました。アブリールと咲也、走り出しました。
真行院は、斜面に傾いて建つ古い学校だ。新校舎と呼ばれている建物すら相当古いが、理科センターは最新式のピカピカで、そのとなりの美術室は築60年のガラス張りの不気味な温室のよう。そして、学生会館。それらに囲まれた第1グランドは、校庭という体裁で、体育館を見ながら坂を上ると、今にも崩壊しそうな旧校舎と第2グランドがある。
駅伝部の練習は、この第2グランドを基点に校周を走ったりするので、まず私は逢坂を案内して坂道を上に向かった。坂のずーっと下はチンチン電車の走る大通りで、上に抜けると住宅街だ。
ちょうど体育館の下手から、アブリールと咲也が走ってきた。2人はものすごいスピードで坂を上ってきた。真っすぐ前を見て、私たちにも気づかない様子で、急勾配に息も乱さず上半身を使って、速度を落とさず一気に駆け上がってくるのを、逢坂は瞳が吸い寄せられるように見つめる。
「すごいね。」
率直な感想に、私もうれしくなる。
「あの2人は、1500mが得意のスピードランナーやから。」
だから、あと3周も走ればへばり始めるのだが。
「ああ、神矢さん、フォーム完璧だね。」
なにしろ長身で無駄な筋肉のない、長距離向きの体型だ。鋼のような痩身と言うべきか。並走する咲也は、ひとまわり小柄でもっとしなやかで成長途上で、あぶなっかしいが、その走りはどこか天性のものだった。
逢坂は、しかめ面になる。ガールフレンドの一乗沙加を、また思い出してしまったのだ。
やんでいた雨が、いつのまにか降り出していた。ザーザーというでもないが、スプレーで吹いたような細かい雨粒が四方八方から、髪や肌にまとわりつく6月の雨になった。
それでも、アブリールは走り続ける。あれから3周以上走っても、まだへばらない。茶色いねこ毛は湿気を吸ってぼとぼとになっている。咲也は付き合いでまだ走っているが、逢坂と天六は旧校舎のひさしの下で、1年生2人と柔軟などしながら、雨空を見上げ、
「今日はもう、やめよっか?」
と、話し合っている。
そこへ、黒い傘を傾けて、制服のスカートを濡らした明石有が現れた。
「天六、アブリールはどこ?」
彼女がアブリールの名を口にするとき、いつもどことなくナーバスになっている。
「走ってる。何かあったん?」
雨足が早くなり、バサバサと赤土を打つ音が声を遮るほどになっていた。明石は何か言おうとしたけれど、体育館の方にアブリールの姿を見つけて、そのままそちらへ駆け出した。
真行院は、関西屈指の進学校だ。明石有は学業成績優秀でとにかくまじめ、そして温厚で親切な、典型的な真行院の生徒だった。だから、明石に全盲の転校生・日高海里は手に余る。それどころか、彼女は、親友であるアブリールでさえ、実のところは持て余していたのだ。