6月6日(つづき)
もう一人の転校生もとんでもない・・・
ところで、逢坂の思考は実りのない行きつ戻りつをしている。3列前でノートをとっているヒメサクヤの微かに揺れる髪を見つめながら、あんなフユカイなヤツがいる駅伝部なんか絶対入ってやらない、という思いと、そんなにイヤなら入ってもっと嫌がらせてやろう、という思い。どちらも幼稚きわまりなく、ランナーとしても人としても彼の前途に何ももたらさない、不毛な思慮であるにもかかわらず。
1校時が終わると、逢坂の方から歩み寄る。
「おい、ヒメサクヤ!」
と、えらい剣幕で。サクヤはなぜかにっこり笑って、指先で机上に「比売咲也」と書いて見せた。逢坂は、咲也の笑顔を見ても、依然好感を持つに至らない。
「駅伝部に入ってやる。放課後に部室に連れてけ。」
まるで平手打ちでもくらわす勢いで宣言したのに、咲也の反応は素っ気なかった。
「ええよ。」
と、言っただけで、真正面に視線を合わせてきた。逢坂は、咲也の美しい顔を今はっきり見て、思わず1歩退く。
「じゃ、放課後にな。」
その後の時間は、なるべく咲也の方を見ないようにして、他の新しいクラスメートたちと積極的に話して過ごした。1人の例外もなく大阪弁をあやつる、逢坂にとってはテレビでしか見たことのない異空間に、少しずつ慣れようと努力した。
一方、昼休みの3年C組は、神矢アブリールの独壇場だった。アブリールは、親友の明石有と向かい合って弁当を食べながら、延々としゃべり続けていた。
「そりゃ、勉強では負けませんと言うからには、そうなんだろう?」
なんと、アブリールは標準語でしゃべる。明るい茶色の髪に灰青色の瞳。
「文部省推薦、涙と努力と感動の物語だ。」
言葉と言葉の間にサンドイッチをパクつきながら、アブリールは止まらない。何かを吐き出すみたいに話す。
「俺たちが心洗われちまったりするんだよ、きっと。」
「もう、やめとき、アブリール。関係ないやん。」
明石が、うっとおしそうに口を挟むが、アブリールの眼中じゃない。せっかくの母の手作り弁当を、明石はまずそうに口に運ぶ。黙って、機械的に。
なにしろ、このクラスの転校生・日高海里は強烈だった。自己紹介で、開口一番こう言ったのだ。
「日高海里です。お勉強では目明きに負けません。」
ほとんど閉じたままの両眼に表情が乏しいと思ってか、前髪を長くして隠すつもりが他意なくも生意気に見えてしまう、長身の全盲の日高に、アブリールはカチンと来たにちがいない。
「けど、関係ないやん。ほっといたらええやん。」
明石は、いささかおヒス気味に繰り返しながら、関係ないわけにいかないことを承知している。明石有は、理系のこのクラスに3人しかいない女子の1人で、級長で、この特別な転校生を担任から頼まれているのだ。
明石は、親友のアブリールには何も期待していない。せめてもめごとだけ起こさないでほしいと、最低限願っているだけなのに。
「日高くんは、友だち100人作りたくないのかなー?」
もう独り言のように呪文のように、まだまだ言いつのるアブリールを、明石はうんざり見つめる。3年前、アブリール自身が明石の通う公立中学に、フランスから転校してきた時のことを思い出しながら。