雑木林をさ迷う
「森を駆ける」を読み終えて、近くの森へ探検に出かける少年がいた。一人で森に入るのは恐ろしいから、少年探偵団を結成して森に行くことにした。といっても近所の雑木林だ。しかし皆都合が悪く冒険を共にしてくれる同志はついぞ現れなかった。
意を決して雑木林の前に立つ。少年は足を踏み入れた。8月の初め、少年はミシミシと落ち葉や枯れ木を踏みしめて歩く。少年は一人で来たことに対して満足感があった。
「これこそが冒険の楽しみ方だ」
しかし、雑木林は狭く、先人の道しるべなどという代物はない。あるのは、近所の枝打ちをするおじさんが忘れて帰ったであろう比較的に清潔な軍手が一組と、封の開いていない缶コーヒーがひとつ置いてあるくらいだ。たとえ、もう本人さえも忘れてしまっている缶コーヒーであってもそれを勝手に飲むのには気が引けた。耳を澄ませてみると選挙カーの声が森全体に響いている。ウグイス嬢の甲高く切ない声が過ぎ去るのを少年は目を閉じてじっと待っていた。選挙カーによる壊れそうな喧騒が去った後も車が通り過ぎる音が時々聞こえる。少年は少しうんざりしとして、ため息をついた。大人世界の大切さを知っているからこそ、子供世界を揺さぶられることには了解していた。少年は、その場に座り込み、軍手と共にある缶コーヒーに手をかける。
「飲むべきか、置いておくべきか……それが問題だ。……飲んでみるか」
エリクサーに見立てた青い缶のプルタブに手をかけようとしたその刹那、少年の視界が何かをとらえたような気がした。
「持ち主かもしれない……!」
缶を置いて慌てて立ち上がる。少年が見止めたのは枝打ちのおじさんではなかった。少年が見たのはもっと若い存在であった。高校生ではない、彼は中学生だ。しかも恐らくは中学一年生だろうと思った。
夢遊病者のように、森をさ迷う中学一年生の姿は、奇妙であり、不格好で、不思議な存在感があった。彼は、アンバランスな体を不器用に使い歩いていた。
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木の冷たさに安心感を覚える。
目を閉じると、この町を住処とする小鳥たちや蛙や蝉などの鳴き声が聞こえる。うっすら目を開けると天上から降り注ぐ神々しい木洩れ日がまぶしく彼を励ました。
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少年はそんな彼の佇まいを見てギョッとした。
その姿は、まるで、あの森に現れた禽獣いや、獣のようであった。彼から放たれる重く悲壮なオーラと、筋肉質で痩せぎすの体躯を肩を落とし、ぼそぼそと歩いている。まるで木々から派生した精霊のようでもあった。精霊といっても、明るく愛らしく神々しいタイプとは、真反対の陰のような出来損ないの精霊の種族だ。リザードマンのような彼は、中指で首の後ろ側を掻いている。彼に存在を気づかれないように、息を殺して見守った。もう彼は既に森の住人としてのたたずまいである。両生類と呼ぶにはあまりにも巨大なものを少年は見ていた。
彼は、ふいにしゃがみ込み、何かの作業に没頭し始めたようである。どうやら太めの枯れた蔓を編んでいるようであった。フラフープほどの大きさの輪っかを作ると、それを使って遊ぶでもなく、枝にかけるでもなく、足元に放り投げた。続いて巨大な両生類は、のそのそと歩く。道行く歩みに迷いはない。彼が到達したのは、少しもりあがった地面だ。明らかに、そこには穴を掘った後に土をかぶせてできたようなそれは野ざらしの墓のようにも見えた。もしかすると、奴は殺人鬼で人をここに埋めたのかもしれない。おばあちゃんから聞いたことがある。おばあちゃんが言うには、僕が産まれて間もない頃に、1人の小学生が行方不明になった。
「丁度、今のお前と同じ頃だよ」
自分と同じ歳の子が行方不明になるという現実がこんなに身近にあることを聞いて戦慄が走った。そんな恐ろしい事件が実際にあったと確認するのは、少年がもう少し大人になってからのことだ。彼は、巨大な蛙のように股をわり、しゃがんで膨らんだ地面に手をついている。鞄からペットボトルを取り出し、しゃがんだままその頂きに液体を注いでいる。もうその行為は墓参りそのものだ。なにかぼそぼそと呟いている。死者に語りかけているのだろうか。様子を見ていると彼は少し落ち着いたように見えた。少し微笑んでいるようだ。その笑顔には気味悪さは全く感じなかった。ふいに突然彼は勢いよく立ち上がり、物凄いスピードでその場を立ち去った。少年は呆気にとられて立ち尽くした。巨大な両生類はその残像すら残さず、はじめからこの場所にいなかったかのように姿を消した。
彼を追うべきか、墓のような地面まで歩くべきか。思い悩んだ末、彼を追いかけることにした。