僕が彼女を好きになった理由
ただの嫌味に聞こえるかもしれないが、どうやら僕は、イケメンに分類されるらしい。
中学三年生のころ、学校一の美少女と謳われていた井川さんから告白された。だけど、受験に集中したいからと、適当なことを言って交際は断った。
無事志望校に合格し、有言実行できたのはよかったが、入学してから一ヶ月も経たないうちに再び井川さんから告白された。彼女も同じ高校に通っていたのだ。今度は何て断ったらいいかわからず、つい馬鹿正直に「井川さんのことは、別に好きじゃないから」と言ってしまった。すると、彼女はぼろぼろと涙を流し始め、口許を手で覆いながら「ごめんね、ごめんね」と何度も僕に謝った。女の子に目の前で泣かれると、こんなにもいたたまれないものなのか、とこのとき初めて実感した。
幼稚園のころから一緒で、親友の敬二にこのことを話すと「なんてもったいない!」と本気で語気を荒げられた。だって仕方がないだろう。井川さんとは同じクラスになったことがなく、まともに話したことすらないのだ。突然、好きだと言われても、「はい。それじゃ、付き合いましょう」とは言えない。ところが、敬二に言わせれば「とりあえず付き合ってみて、合わなけりゃ別れればいいんだよ。お前は真面目すぎる」ということらしいが、その主張に賛同する気にはなれなかった。渋面を敬二に見せていると「お前はイケメンだから選び放題でいいよな。これからもいろんな女子から告白されるぞ」と羨むように言われた。まさか、と僕は鼻で笑ったのだが、敬二の予言は見事に的中していた。
二学期が始まると、次から次へと告白されるようになった。同じ轍は踏んで堪るかと、断り方を僕なりに工夫した。「今は、恋愛よりも部活に集中したいんだ。ごめんね」と最後は笑顔で断れば、丸く収まった。ところが、ある三年生に告白されたとき、いつも通り断ったところ、「デートしてくれなくてもいい。ただ、一日一回メールを返してくれるだけでいいから」と追いすがってきたのだ。そんなの絶対にイヤだ、と喉奥まで出てきていたのだが、必死に飲み込んだ。うまい切り返した方が浮かばず、僕が黙ったままでいると、彼女から「好きな人がいるの?」と訊かれた。その瞬間、僕の全身が総毛立った。僕はこれまで人を好きになったことがなかった。敬二は小学一年生のころに初恋を経験し、他の友人たちも中学卒業までには経験していた。もしかしたら、僕は異常なのかもしれない、と一時期不安に思ったこともあったが、人並みにエロ本やDVDを見るのは好きなのだから、たまたま好きな子が現れていないだけだ、と今は自分を納得させていた。「どうしたの?」と訝る彼女に、僕はカッとなってしまい「関係ないだろ!」と声を荒げて、その場を立ち去った。
数日後、高校では僕に対するホモ疑惑が広がり始めていた。噂の発信者は、あの三年生に違いない。逆恨みもいいところだ。しかし、噂が立ったところで、告白してくる女子の数に変化はなかった。月平均三人。もちろんすべて断った。
二年生になって、井川さんと同じクラスになった。二回も振ったというのに、彼女は、初めて教室で顔を合わせたとき「やっと一緒のクラスになれた」とはにかみながらうれしそうに言った。井川さんは、まだ僕のことを好きなんだ、と実感した。
休み時間に教室でぼーっとしていると、視線を感じることがあって、教室を見回すと決まって井川さんと目が合った。気まずくて、僕はすぐに目を逸らすのだが、同じようなことが何度も続くので、極力教室から離れることにした。自分の教室が最も落ち着かない場所になろうとは、本当に最悪だ。
そんな居心地の悪い学校生活を送っていた六月のある日、調理実習の授業が行われた。りんごの皮さえ満足に剥けない僕は、卵を割ったり、ピーラーでじゃがいもの皮を剥いたりと、包丁を使わない作業を任された。
じゃがいもの芽を取るのに四苦八苦している僕の横からトントントンと小気味いい音が聞こえてきた。視線を向けると、同じ班の女子が、慣れた手つきで玉葱をみじん切りにしていた。それが終わると、輪切りにした大根の皮を器用に桂剥きにしていく。あまりの手際の良さに、僕は手を止めて、しばらく見とれていた。淡いピンク色の三角巾とエプロンがよく似合っている。こんな子、うちのクラスにいたかな、と僕は首を傾げながら、ようやくじゃがいもの芽をほじくり出すことに成功した。
完成間近、煮込んでいたスープの味見を班全員でして、塩加減を調整することになった。僕は、味見用に用意した小皿を全員に渡していく。その皿に少量のスープを注ぐのは、さっきの名前もわからない女子だった。
「あ」僕はつまらない失敗をしたことに気づいて間抜けな声を洩らした。どうした、とみんなの視線が僕に集中する。
「自分の分の皿持ってくるの忘れてた。取ってくる」
僕が食器棚の方へ体を向けた瞬間、「大丈夫だよ」とスープを注いでいた彼女が言った。「松永君が最後だからスプーンでいいよね?」
僕は「うん」と頷いた。それもそうだ。わざわざ洗い物を増やすこともない。彼女は、傍らにあったスプーンでスープをすくうと、ふーふーと息を吹きかけてからこぼさないように左手を下に添えて、僕の口許に差し出した。
なんだか変な気持ちだった。ずっと前にテレビでこんなシーンを見たことがあったと思う。確か二人は新婚のカップルだった。僕は戸惑いながらもスープをすすった。コンソメの香りが口に広がった。
「うん。おいしい」
お世辞抜きの感想だった。すると、彼女は「うれしい」と微笑んだ。
このとき、僕の心臓に向かって体中のエネルギーが流れ込むような感覚が走った。そして、肥大した心臓は、どくんと高鳴った。こんな経験は初めてだった。突然の異変に、僕は文字通り放心状態となってしまった。
「どうしたの? やっぱりしょっぱいかな?」
僕は慌てて首を振った。「そんなことないよ。これが一番いいと思う」と言って、何とかその場を繕った。
それから僕は彼女のことが急に気になり始めた。彼女の名前は、高橋美沙。間違いなく僕と同じクラスメイトだった。ちょっと気にかければ色々わかってくるもので、彼女は英語が得意で、成績も上位のようだ。そして、一年のときに敬二と同じクラスだったということもわかった。
「え? 高橋さん?」
敬二は目線を上げて、少し黙った後、パチンと指を鳴らした。「ああ、知ってるよ。同じクラスだった」
「いま僕と同じクラスなんだ」
「へえー。それは知らなかった」敬二は興味なさそうに言った。「で、彼女がどうした? 告白でもされたか?」
僕は一瞬どきりとしながらも表情には出さないように事も無げに言った。「いや。ただ料理がうまかっただけ」
「ふーん。かなり地味なコだから、まともにしゃべったこともないんだよなー」
どうやら敬二にとって、彼女の印象はすこぶる薄いようだ。
「そーいえば、料理部に入っているとか言ってたな」
なるほど、それで料理があんなにうまいわけだ。新しい情報を仕入れることができて少しうれしかった。
「なんだよ。お前、高橋みたいなのが好みなのか?」
いやらしい目つきを向けてくる敬二に僕は本気で否定した。「そんなわけないだろ!」
すると敬二は手を叩いて笑った。「そりゃそうだ。お前と高橋じゃ、不釣り合いすぎるもんな」
彼女が美人の部類に入らないことは僕もわかっている。小顔で目が大きいわけでもなく、胸が大きくて脚が長いわけでもなく、性格が明るくて人懐っこいわけでもない。
でも、僕は彼女のことが好きになっていた。
卒業したら告白しよう。本当は今すぐにでも付き合いたいのだが、そうなれば、きっと彼女は周りの女子からひどく妬まれてしまうだろう。イケメンは女子への気遣いが本当に大変なのだ。
今日もまた知らない女子から告白された。卒業までに一体何度同じことを繰り返すのだろうか。僕の答えはすでに決まっている。
「ごめん。他に好きな人がいるから」