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霽安行  作者: 莫定


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第一節

燃えさかる火が天へと巻き上がる。熱に灼かれて痛む喉、煙に燻されて疼く鼻。少年は苦痛に顔を歪めながら大きく息を吸い込み、両脚を無理やりにもう一歩、さらにもう一歩と踏み出した。地獄のような中心へ向かって駆けていく。

この忌まわしい過去は、いつだって執拗にまとわりつく。

斧を手にした男は軽く眉を寄せ、何もない室内をひととおり見回してから、視線を上げて窓の外を見た。

夜の霽安城は、昼の喧噪とは対照的にひっそりと静まり返っている。店は戸を下ろし、大通りに残るのは旗を抜ける風の細かな音だけ。月光は白く冷たく、瓦の上に薄霜のように降り注ぎ、夢に見る人間地獄と鮮やかな対比を成していた。

フードを被った男が塀の外側へと降り立つ。足が地に触れても、ほとんど音はない。

墨雲策は斧に手を添えた。護衛の任を引き受けて以来、これで三度目の“来客”だ。

どうにも胡散臭い。そう思い、口元にわずかな笑みが浮かぶ。

護衛しているものは薬材らしい。近くに疫病が流行る兆しがあり、備えねばならない——依頼人はそう言いはしたが、言葉を濁し、鏢局の中でも意図的に話題を避けていた。——誰かが暗がりで網を張っている。そんな匂いがする。

院にはかすかな灯が残り、燕沉霄は塀を越えて中へ入った。廊下の軒下に着地する。今日は最低限の革鎧だけ。長剣は背に負い、柄には布を巻いて金属の触れ合う音を殺している。

戸は半分ほど開いていた。外に揺れる灯りがある分、室内の闇はなおさら濃く見える。

燕沉霄が身を寄せて戸を押す。二寸ほど開いた瞬間、冷たい光が走った。

短刃が、喉元を掠めていく。

燕沉霄は体を捻ってかわし、反手で腰の短剣を抜いた。抜刀は無音、だが刃は冷たい。

墨雲策は眉を上げる。侵入者の動きは異様に速い。細身で、フードが顔を覆い、余計な情報を一切晒さない。

二人の交錯は一瞬で、壁にはすでに亀裂が走っていた。

燕沉霄は相手が急所を狙ってこないことに気づく。追い詰め、探りを入れているだけだ。利害を瞬時に天秤にかけ、これ以上の深入りは不利と見て、即座に撤退を選ぶ。力を借りて後退し、剣勢を転じ、窓を破って逃げようとした。

逃げる気配を察し、墨雲策は踏み込んで捕らえにかかる。斧刃に内力が乗り、防御用の短剣を叩き砕いた。力がいったん逃げた長斧は重すぎる一撃ではなかったが、慣性のままに相手の脇腹へ刺さり込む。

燕沉霄の息が止まる。胸腔が裏返るような痛みが込み上げた。喉奥に滲む鉄臭い甘さを無理に押し殺し、つま先で地を蹴って、窓を破って外へ飛び出す。

夜風が顔を打つ。吹き上げる風がフードをわずかにめくり、燕沉霄は身を翻して振り返った。危険な人物だと、ただそれだけを確かめると、すぐさま屋根の上へと身を躍らせ去っていく。

墨雲策は窓辺に立ち、その影が屋根の稜線に溶けるまで見送った。目は深く沈む。

——月光のような瞳。

そう思い、武器を収めると、元の空き部屋へ戻った。

燕沉霄は三つの通りを越えたあたりで視界が暗くなった。

体術を修めたやつは本当に厄介だ。袖で口元から溢れる紅を拭い、城外の小山にある朽ちた寺へと身を滑り込ませる。

鏢局には戻れない。少なくとも今夜は。

彼はボロ布で包んだ長剣を抱きしめ、寺の最も暗い隅で眠りに落ちた。


足音が、陽光とともに近づく。急がず、乱れず。

燕沉霄は顔を上げた。

男が廟に入ってくる。襟元は整い、表情は静かだ。背には長柄の斧。高い背丈が朝日の眩しさを遮り、燕沉霄の視界から光を奪っていく。

「お前、面白いやつだな。空き巣に入って命まで捨てる気か?」 墨雲策が口を開く。低く、澄んだ声だった。

燕沉霄は剣の柄を握り締める。剣は抜いているが、切っ先は地を指したまま。突如張り詰めた警戒で、ようやく塞がりかけた傷がまた裂け、赤が滲む。ここで再びやり合えば敗北が濃い。彼は周囲の退路を素早く観察しながら、問いの芯をぼかして返した。

「追い打ちでもしに来たのか?」

墨雲策は笑い、「どう思う?」と返す。

燕沉霄は黙した。相手が本気で殺意を見せれば、無事では済まない。

血が衣の裾から滴り落ち、床に紅い染みを作る。

墨雲策の視線がその暗い点に落ち、眉がほんのわずかに寄った。

「かなりやられてる。」

「お前には関係ない。」

「ある。」墨雲策は淡々と言う。「俺が原因だろう。」

そう言って、一歩近づいた。

燕沉霄は刃をわずかに持ち上げる。その動きが傷を引き裂き、痛みに一瞬顔が歪む。墨雲策はその隙に手首を押さえ、内力で長剣を震わせて手から弾き落とした。

燕沉霄は冷えた目で見上げるが、疑念を隠しきれない。

相手の指は温かい。力は重く、抗いを許さぬが、痛みを与えるほどではない。

二人は言葉もなく見つめ合い、やがて燕沉霄は失血のせいで闇に呑まれ、墨雲策の胸元へと倒れ込んだ。

次に目を覚ました時、鼻腔には薬草の香が満ち、ぼんやりとした視界の向こうで灯火が柔らかく揺れていた。

燕沉霄ははっと目を見開き、反射的にいつも剣を置く場所へ手を伸ばす。——剣がない。

「そこだ。」

声に促され、横を見る。墨雲策が卓の端に座り、薬草を選り分けていた。

燕沉霄は身を起こして剣を取る。連なる動作が脇腹の激痛を呼び、目の前がくらむ。それでも瞳だけは鋭く、相手を警戒していた。

「動くな。」

墨雲策は溜息まじりに立ち上がり、彼を寝台へ押し戻す。ついでに髪を払って額に手を当てた。

「まだ少し熱がある。傷は巻き直したが、内息が乱れすぎだ。死にたくなければ大人しくしてろ。」

「どうして殺さない。」燕沉霄は墨雲策を睨む。

墨雲策は包帯を整えながら、淡々と言った。

「殺すのは面倒だ。」

「面倒が怖いのか。」

「かなりな。それに殺しは、最も面倒な類だ。」

指が脇腹の傷に触れる。力はごく軽いのに、寝台の上の身体が強張り、歯を食いしばるのが分かった。

「声を出してもいい。」墨雲策が面白そうに目を上げる。

「聞きたいのか。」燕沉霄は鼻で笑った。

墨雲策が一瞬目を瞬かせ、すぐに笑みを深くする。

「お前、冗談も言うんだな。」

室内の灯火は静かに燃え、窓の外では風が軒を撫でている。しばらくして墨雲策は湯薬を持ってきた。

「墨雲策。」不意に彼が言う。

「……何だ。」燕沉霄の視線が僅かに揺れる。

「俺の名だ。」薬碗を寝台脇に置く。 「俺の家で一晩寝たんだ。主人の名くらい知っておけ。」

燕沉霄はしばらく黙し、表情は迷いとも逡巡ともつかない。やがて普段身を覆う外衣を引き寄せ、フードを深く被って顔を隠した。

「……黒帽子。」鏢局の者がつけたあだ名だ。

墨雲策は笑った。

「なるほど、お前か。」言外に、意味の読めない納得が滲む。

「俺を知っているのか。」 燕沉霄は眉根を寄せた。

「知ってるってほどじゃない。」墨雲策は薬碗を持ち上げる。「ただ、鏢局に、剣と身のこなしに長けているのに、いつも簡単な仕事しか受けないやつがいるって話は聞いた。」

——まさか、こんなに綺麗だとは。彼は心の中でそう思った。

「飲め。」

燕沉霄は答えず、黙って、墨雲策が唇元へ差し出す薬を見つめた。

「毒が入ってると思うか?」

「……」

「殺すなら、今まで待つ必要もない。」

燕沉霄は小さく息を吐き、眉を寄せたまま碗を受け取ると、一息に飲み干した。苦味が舌の奥に広がる。

そして俯いたその瞬間、墨雲策の瞳に浮かんだ、ごく淡い好奇心を見落とした。

初めて長編小説を書いてみました、

よろしくお願いします。

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