第九章 敵国の影
予防保全の試験運用が半年を迎えた頃、塔の周辺では不穏な噂が広がり始めていた。
「ヴェルディア帝国が動いているらしい」
ギルドの食堂で、同僚の昇降士がそう言った。
「ヴェルディア?」
誠司は聞き返した。この世界の地理については、まだ十分に把握していない。
「東にある大国だ。軍事力では、我が国を上回る。以前から、塔の技術を狙っているという噂があった」
「塔の技術を?」
「ああ。昇降機構——特に、古代文明が残した技術だ。あの技術を手に入れれば、軍事的に大きなアドバンテージになる」
誠司は眉をひそめた。
確かに、昇降機構の技術は、この世界では特別なものだ。人や物資を垂直に移動させる能力は、建築、物流、そして軍事の全てに影響を与える。もし、その技術を独占できれば——
「侵攻の可能性があるのか?」
「分からん。外交的な交渉は続いているらしいが、最近は険悪になっているという話もある」
誠司は考え込んだ。
戦争。
前世でも、戦争のニュースは見てきた。しかし、それは遠い世界の出来事だった。自分の生活に直接影響することはなかった。
しかし、この世界では違う。戦争が起きれば、誠司自身が巻き込まれる可能性がある。
「昇降士は、戦時にはどうなるんだ?」
「召集される。昇降機構の運用は、軍事作戦に不可欠だからな。物資の輸送、兵員の移動——全てに昇降士が必要だ」
誠司は黙った。
戦争に協力する。それは、人を殺す手助けをすることを意味する。誠司の技術は、人を救うためのものだ。それを、殺人の道具として使うことに、抵抗を感じた。
「……何か、できることはないのか」
「我々にできることはない。政治は、上層の人間が決めることだ。我々は、指示に従うだけだ」
同僚は肩をすくめて、食事を続けた。
誠司は食堂を出て、廊下を歩いた。
窓の外には、塔が聳えている。その向こうに、ヴェルディア帝国があるという。どんな国なのか、誠司には想像もつかなかった。
「セイジ」
声をかけられて振り向くと、ガルドが立っていた。
「ちょっと来い。話がある」
誠司はガルドに従って、彼の執務室に入った。
「座れ」
誠司は椅子に腰を下ろした。ガルドは机の向こうに座り、真剣な表情で誠司を見つめた。
「ヴェルディアの話は聞いたか」
「はい。戦争の可能性があると」
「そうだ。しかし、それだけではない」
ガルドは声を低くした。
「ヴェルディアには、昇降士がいる」
「知っています。向こうにも、昇降機構の技術があると——」
「いや、それだけではない。向こうの昇降士は、我々とは『流派』が違う」
「流派?」
「我々の昇降士は、魔力で昇降機構を制御する。しかし、ヴェルディアの昇降士は——」
ガルドは一瞬、言葉を切った。
「機構を『壊す』ことに特化している」
「壊す?」
「そうだ。昇降機構を停止させる、破壊する、無力化する——そういう技術を持っている。戦時において、敵の昇降機構を使えなくすることは、大きな戦略的意味を持つ」
誠司は理解した。
エレベーターを止めることができれば、高層ビルは機能しなくなる。物資の輸送は滞り、人の移動は制限される。現代の都市で、エレベーターが全て止まったら——想像するだけでも恐ろしい。
「ヴェルディアは、その技術を使って、我が国を攻撃しようとしている可能性がある」
「塔の昇降機構を、全て止める……」
「そうだ。そうなれば、塔は機能不全に陥る。下層から上層への移動は不可能になり、物流は停止し、社会は崩壊する」
誠司は拳を握りしめた。
「どうすれば防げますか」
「分からん。ヴェルディアの技術については、詳しいことが分かっていない。我々にできるのは、警戒を強めることだけだ」
ガルドは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
「セイジ。お前の『五感の診断』は、異常を早期に発見できる。もし、ヴェルディアの工作員が昇降機構に細工をした場合、お前なら気づけるかもしれない」
「俺に、何をしろと?」
「しばらくの間、重要施設の点検を担当してもらいたい。管制塔、軍事施設、政府機関——これらの昇降機構を、重点的に監視する」
誠司は頷いた。
「分かりました」
「危険な任務だ。工作員と遭遇する可能性もある。覚悟はいいか」
「覚悟はできています。俺の技術で、人々を守れるなら——」
ガルドは誠司を見つめた。
「お前は、変わった奴だな」
「よく言われます」
「前にも言ったが、お前には昇降士としての才能がある。しかし、それ以上に——」
ガルドは言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「お前には、『志』がある。技術だけでなく、何かを変えようという意志が。それは、この世界では珍しいことだ」
誠司は答えなかった。
「気をつけろ。そして、何か異常を見つけたら、すぐに報告しろ」
「了解です」
誠司は執務室を出た。
廊下を歩きながら、誠司は考えていた。
ヴェルディア帝国。昇降機構を破壊する技術。戦争の足音。
この世界は、誠司が思っていたより、はるかに複雑だった。単に昇降機構を直すだけでは、足りない。政治、軍事、外交——全てが絡み合っている。
「でも、やることは変わらない」
誠司は呟いた。
点検する。異常を見つける。直す。
それが、誠司にできることだ。それ以上のことは、今の誠司には難しい。しかし、自分にできることを、精一杯やる。それしか、道はない。
その日から、誠司は重要施設の点検任務に就いた。
管制塔、軍事施設、政府機関——普段は立ち入ることのできない場所に、誠司は足を踏み入れた。どの施設も、厳重な警備が敷かれていた。しかし、誠司の「聴診士」としての資格は、どこでも通用した。
「ここの昇降機構、最後の点検はいつですか」
「三ヶ月前だ」
「定期点検の記録を見せていただけますか」
「ああ、これだ」
誠司は記録を確認し、実際の機構と照らし合わせた。
「……おかしいですね」
「何が?」
「記録では、この部品は二ヶ月前に交換されたことになっています。しかし、実際の部品は、もっと古い。摩耗の程度から見て、少なくとも一年は経っている」
施設の担当者の顔色が変わった。
「それは……記録の間違いか、あるいは——」
「交換されていない、ということです。記録だけが偽造された」
誠司は内部を詳しく調べた。
「それだけじゃない。制御回路の一部が、正規のものと違う。これは——」
誠司は息を呑んだ。
「細工されています。遠隔で停止信号を送れるように、改造されている」
「何だと!」
「工作員の仕業です。たぶん、ヴェルディアの——」
誠司はすぐにガルドに報告した。施設は封鎖され、細工された部品は除去された。しかし、これは氷山の一角に過ぎないことが、すぐに明らかになった。
「他の施設でも、同様の細工が見つかった」
ガルドが報告した。
「工作員は、我々の想像以上に浸透している。軍の昇降機構、政府施設、さらには民間の主要施設にまで——」
「どれくらいの規模ですか」
「まだ調査中だ。しかし、少なくとも数十箇所は細工されていると見ている」
誠司は愕然とした。
数十箇所。それだけの昇降機構が、遠隔で停止させられる状態になっている。もし、一斉に発動されたら——
「戦争が始まる前に、塔の機能を麻痺させるつもりだ」
「その通りだ。我々は、時間との戦いに入った」
ガルドは誠司の肩を叩いた。
「セイジ、お前の能力が必要だ。細工を見つけ出し、除去する。それが、今我々にできる最大の防衛だ」
「了解です」
誠司は頷いた。
戦争が近づいている。しかし、誠司にできることは変わらない。点検する。異常を見つける。直す。
それが、誠司の戦い方だった。




