第七章 予防保全という思想
見習い昇降士として半年が経った頃、誠司はある提案を行った。
「定期点検の頻度を上げるべきだと思います」
昇降士ギルドの会議室で、誠司は上層部に向かって発言した。
居並ぶのは、ギルド長をはじめとする幹部たち。そして、中層の主要な昇降士たち。誠司のような見習いが発言を許されること自体、異例のことだった。
「現在の点検頻度は、三ヶ月に一度です。しかし、私の診断では、多くの昇降機構で一ヶ月から二ヶ月程度で劣化の兆候が現れています。三ヶ月では、発見が遅れる可能性があります」
「発見が遅れて、何が問題なのだ」
幹部の一人が尋ねた。
「故障が発生するまでは、機構は動いている。動いているものを、わざわざ止めて点検する必要があるのか」
「壊れてからでは遅いのです」
誠司は答えた。
「昇降機構の故障は、人命に関わります。先月の閉じ込め事故では、幸い大事には至りませんでしたが、もし救出が遅れていたら——」
「あれは例外的な事例だ。通常は、故障しても大きな問題にはならない」
「本当にそうでしょうか」
誠司は資料を取り出した。
「過去一年間の故障記録を分析しました。閉じ込め事故は十七件、そのうち救出に一時間以上かかったものが五件。また、重大な機械的損傷を伴う故障が八件ありました。これらの多くは、定期点検で早期に発見できたはずの劣化が原因です」
「早期に発見できたはず、とは?」
「例えば、軸受けの摩耗。私の聴診では、正常な状態と摩耗が始まった状態を区別できます。摩耗の初期段階で部品を交換すれば、故障には至りません。しかし、三ヶ月に一度の点検では、発見が遅れて故障に至るケースが多いのです」
会議室がざわめいた。
「そんな診断が可能なのか」
「魔力診断では、そこまで細かい異常は検知できないはずだが」
「私の診断方法は、魔力ではなく五感を使います」
誠司は説明した。
「音、振動、温度、匂い——これらの変化を捉えることで、魔力診断では検知できない異常を発見できます。実際、この半年間で私が発見した異常のうち、約四割は魔力診断では検知されていなかったものです」
ギルド長が口を開いた。
「セイジ。お前の能力は認める。しかし、点検頻度を上げるには、人員と費用がかかる。現在の体制では、対応しきれない」
「分かっています。だから、もう一つ提案があります」
誠司は深呼吸をした。
「『予防保全』という考え方を導入すべきです」
「予防保全?」
「壊れてから直すのではなく、壊れる前に直す。定期的な点検と部品交換によって、故障を未然に防ぐ。それが予防保全です」
会議室が静まり返った。
「今の体制は、『事後対応』です。故障が起きてから修理する。しかし、故障が起きると、その間、昇降機構は使えません。乗客に不便をかけ、場合によっては危険にさらします。修理費用も、予防的な部品交換より高くつくことが多い」
誠司は熱を込めて続けた。
「予防保全を導入すれば、故障の頻度を大幅に減らせます。結果として、修理にかかる費用と時間も削減できる。長期的に見れば、コストは下がるはずです」
「しかし、部品を早めに交換するということは、まだ使えるものを捨てるということだ」
反論が飛んできた。
「もったいなくないか」
「もったいないのは、故障で人が怪我をすることです。機械は直せますが、人の命は戻りません」
誠司の言葉に、会議室が再び静まった。
しばらくの沈黙の後、ギルド長が立ち上がった。
「面白い提案だ。しかし、即座に採用することはできない。実績を積み、効果を証明してからだ」
「では、試験的に導入させていただけませんか。特定の施設で、私の方式で点検を行い、結果を比較する」
ギルド長は考え込んだ。
「……いいだろう。ただし、条件がある」
「何でしょうか」
「対象は、中層の公共施設三箇所とする。期間は一年。一年後に、従来方式との比較結果を報告せよ。効果が認められれば、正式に採用を検討する」
「ありがとうございます」
誠司は深く頭を下げた。
会議が終わった後、廊下でガルドに呼び止められた。
「大胆な提案だったな」
「すみません、出過ぎたことを——」
「謝る必要はない。お前の言っていることは、理にかなっている」
ガルドは腕を組んだ。
「実はな、私も以前から、今の体制には疑問を持っていた。故障が起きてから対応するのは、後手に回っている。しかし、伝統的なやり方を変えるのは、簡単ではない」
「伝統ですか」
「昇降士ギルドは、数百年の歴史がある。その間、基本的なやり方は変わっていない。変化を嫌う者は多い」
誠司は頷いた。前世でも、同じような状況を何度も見てきた。
「でも、変わらなければ、いつか限界が来ます」
「そうだな。だからこそ、お前のような存在が必要なのかもしれん」
ガルドは誠司の肩を叩いた。
「一年後、良い結果を出せ。期待している」
それから、誠司は予防保全の実践に没頭した。
三箇所の公共施設——図書館、市場、劇場——の昇降機構を、毎月点検する。五感による診断で異常を発見し、必要な部品を事前に交換する。
作業は地道だった。しかし、効果は徐々に現れ始めた。
「先月は故障がゼロだったな」
三ヶ月後、ガルドが報告書を見ながら言った。
「はい。軸受けとシールの予防交換を行ったので、当面は安定するはずです」
「従来方式の施設では、同じ期間に二件の故障があった。比較すると、明らかに差がある」
「まだ三ヶ月です。一年間のデータが揃えば、より説得力のある結果が出ると思います」
誠司は慎重に答えた。
しかし、予防保全の効果は、数字だけでなく、現場でも実感されていた。
「最近、エレベーターの調子がいいね」
図書館の司書が、誠司に声をかけてきた。
「前は、たまに変な音がしてたんだけど、最近は静かで」
「ありがとうございます。定期的にメンテナンスしていますので」
「あなたが来るようになってから、安心して使えるようになったわ。本当にありがとう」
誠司は頭を下げた。
こういう言葉が、この仕事の報酬だと思った。
しかし、すべてが順調だったわけではない。
予防保全に反対する声も、少なくなかった。
「余計なことをするな」
ある日、先輩の昇降士に呼び止められた。
「お前のせいで、俺たちの仕事が増えている。点検の頻度を上げろ、部品を早めに交換しろ——そんなことをしていたら、きりがない」
「しかし、故障を未然に防ぐことで——」
「故障を防いでどうする。故障が起きれば、修理の仕事が入る。俺たちの収入になる。お前は、それを奪おうとしているんだ」
誠司は絶句した。
「……故障が起きた方が、収入になるから、故障を防がない方がいい、と?」
「そういうことだ。お前は若いから分からないかもしれないが、この業界はそうやって回っているんだ」
誠司は拳を握りしめた。
「それは、間違っていると思います」
「何だと?」
「昇降士の仕事は、人を安全に運ぶことです。故障を起こして修理費を稼ぐことではありません。人の命を預かっているという自覚が、あなたにはないのですか」
先輩の顔が、怒りで赤く染まった。
「生意気な——」
「やめろ」
鋭い声が割って入った。ガルドだった。
「セイジの言っていることは、正しい。我々の本分は、安全な運行を守ることだ。収入のために故障を放置するなど、昇降士の名折れだ」
先輩は舌打ちをして去っていった。
「すみません、ガルドさん。言い過ぎました」
「いや、お前は正しいことを言った。ただ——」
ガルドは誠司を見つめた。
「正しいことを言うだけでは、人は動かない。理屈だけでなく、感情にも訴える必要がある。そこを、覚えておけ」
誠司は頷いた。
予防保全を広めるためには、技術的な証明だけでなく、人々の意識を変える必要がある。それは、簡単なことではない。
「でも、やるしかない」
誠司は心の中で呟いた。
「俺のやり方で、この世界を少しでも良くする。それが、俺がここにいる意味だ」
窓の外では、塔が空に向かって聳えていた。
まだ道は長い。しかし、一歩ずつ、前に進んでいる。
誠司は、明日からの作業に備えて、報告書の作成に戻った。




