第六章 救出訓練
見習い昇降士としての生活が始まって、一ヶ月が経った。
誠司は「聴診士」としての訓練を受けながら、昇降機構の構造について体系的に学んでいた。この世界の昇降機構は、誠司が前世で扱っていたエレベーターと基本原理は同じだったが、細部は大きく異なっていた。
まず、動力源が違う。電気の代わりに魔導核を使用し、魔力をエネルギーとして利用する。魔導核の出力は、内部に封じ込められた魔力の質と量によって決まる。高品質な魔導核は、より大きな出力を安定して供給できる。
次に、制御方式が違う。電子回路の代わりに魔法陣を使用し、魔力の流れを制御する。魔法陣は特殊なインクで描かれ、その図形によって機能が決まる。回路設計に相当する「魔法陣設計」は、昇降士の中でも高度な専門技術とされていた。
そして、安全装置も違う。電気式のセンサーやリミッタースイッチの代わりに、魔力感知式の安全機構が組み込まれている。過負荷や異常振動を検知すると、自動的に停止する仕組みだ。
「基本原理は同じでも、実装が違うと勝手が違うな」
誠司は教本を読みながら呟いた。前世の知識だけでは対応できない部分も多い。この世界特有の技術を、一から学び直す必要があった。
しかし、それは苦痛ではなかった。むしろ、新しい知識を吸収することに喜びを感じていた。
「セイジ、聞いてる?」
隣でミラが呼びかけた。
「ああ、悪い。何だった?」
「今日の午後、実地訓練があるって。現場での作業を学ぶんだって」
「現場か……楽しみだな」
実地訓練は、中層の商業施設で行われた。
三基の昇降機構が設置されたビルで、見習い昇降士たちが先輩の指導のもと、点検作業を行う。誠司とミラを含めて、見習いは五人。指導役は、ガルドだった。
「今日の訓練内容は、定期点検の基本だ」
ガルドが説明する。
「昇降機構の状態を確認し、異常がないかをチェックする。発見した問題は報告書に記録し、対処法を検討する。これが昇降士の日常業務の基本だ」
見習いたちは、それぞれの持ち場に散った。誠司は一号機を担当することになった。
「セイジ、お前は『聴診』で診断しろ。魔力による診断との違いを見せてやれ」
ガルドの指示に従い、誠司は昇降機構に向かった。
まず、外観を観察する。扉の開閉状態、ボタンの反応、表示灯の明るさ。異常は見当たらない。
次に、かごに乗り込む。動作を確認しながら、音に耳を澄ませる。
「……モーターの音は正常。でも、わずかに高周波の振動がある。軸受けの摩耗が始まってるかもしれない」
誠司は手帳に記録した。
さらに、機械室に移動する。巻上機、制御盤、ワイヤードラム。一つ一つを確認していく。
「魔導核の温度は正常範囲内。魔法陣の劣化も見られない。ただ——」
誠司は巻上機のカバーを外し、内部を観察した。
「ギアオイルの色が変わってる。交換時期が近いな」
通常の点検では見落とされがちな、細かい劣化の兆候。誠司はそれらを一つ一つ拾い上げ、記録していった。
「セイジ、どうだ」
ガルドが確認に来た。誠司は報告書を見せた。
「軸受けの初期摩耗、ギアオイルの劣化、あとは——」
「待て。軸受けの摩耗? 魔力診断では、異常は出ていなかったはずだが」
「目に見える異常はありません。でも、音が違うんです。正常な軸受けの音と比べると、わずかに高い周波数の振動が混じっています」
ガルドは眉を上げた。
「それは……どの程度の精度なんだ」
「経験則ですが、このパターンだと、あと三ヶ月から半年で交換が必要になると思います」
「予測まで立てるのか」
「前世——いえ、以前の経験から、だいたいの目安は分かります」
ガルドは誠司の報告書をじっと見つめた。
「……興味深い。この情報は、管理局に報告する。お前の診断が正しければ、予防保全の精度が大幅に向上する」
「ありがとうございます」
訓練は順調に進んでいた。
しかし、その平穏は長くは続かなかった。
訓練の終盤、突然、警報音が鳴り響いた。
「何だ!」
ガルドが叫ぶ。管理室から走ってきた職員が、息を切らせながら報告した。
「閉じ込めです! 二号機で、乗客が閉じ込められました!」
閉じ込め。
誠司の心臓が、一瞬だけ跳ねた。
「状況は」
「停止位置は三階と四階の間、約半分の高さです。乗客は……子供が一人」
「子供?」
「はい。親とはぐれて、一人で乗っていたようです。パニック状態で、インターホンにも応答がありません」
ガルドの表情が引き締まった。
「よし、救出に向かう。見習いたちは下がっていろ」
「待ってください」
誠司が声を上げた。
「俺も行かせてください」
「何?」
「閉じ込め救出は、経験があります。役に立てると思います」
ガルドは誠司を見つめた。数秒の沈黙の後、頷いた。
「いいだろう。ただし、指示に従え。勝手な行動は許さん」
誠司は頷いた。
二号機の前に到着すると、すでに数人の昇降士が集まっていた。彼らは魔力を使って、かごの位置を特定しようとしている。
「三階と四階の間、ちょうど中間だ。かごは安定しているが、制御不能状態だ」
「原因は?」
「分からん。魔導核も魔法陣も、異常は検知されていない」
誠司は昇降路の点検口に向かった。中を覗き込む。
暗い空間の中に、かごが見える。その中で、小さな人影が蹲っているのが分かった。
「大丈夫か! 聞こえるか!」
誠司が呼びかけるが、反応がない。子供は泣いているのか、身体を丸めて震えている。
「まず、原因を特定する必要がある」
誠司は五感を研ぎ澄ませた。
音を聞く。かすかな振動音。しかし、それは正常な範囲内だ。
触覚で感じる。壁に手を当てると、微細な振動が伝わってくる。異常な振動パターンはない。
匂いを嗅ぐ——
「……これだ」
誠司は何かを感じ取った。
焦げた匂い。かすかだが、確実に。
「制御盤の方向から、焦げ臭い匂いがします。魔法陣のどこかで、過熱が発生している可能性があります」
「何だと?」
ガルドが近づいてきた。
「魔力診断では、異常は出ていないが——」
「魔法陣自体に異常がなくても、接続部分で抵抗が上がることがあります。そこで発熱して、制御信号が遮断されたのかもしれません」
誠司は制御盤を開けた。
魔法陣が描かれた銅板。その接続部分を確認する。
「ここだ。接続端子の一つが、腐食してる。そのせいで抵抗が上がって、過熱した」
「直せるか」
「接続を復旧させれば、制御を取り戻せるはずです。でも、時間がかかる。子供を先に救出した方がいい」
ガルドは判断を下した。
「分かった。制御の復旧は後回しだ。まず、物理的に救出する」
「俺にやらせてください」
誠司は言った。
「方法があります。『HHK』——外す、広げる、壊す。人命最優先の救出手順です」
「HHK?」
「まず、点検口のカバーを『外して』、昇降路内にアクセスします。次に、かごの天井にある非常口を『広げて』、救出経路を確保します。それでも駄目なら、最終手段として扉を『壊して』でも、中の人間を助け出します」
ガルドは一瞬、躊躇した。
「壊す、か。機構に損傷を与えることになるが——」
「機械は後から直せます。でも、人の命は戻ってきません」
誠司の言葉に、ガルドは頷いた。
「やれ」
誠司は昇降路に入った。
安全帯を装着し、梯子を伝って降りていく。かごの上部に到達すると、非常口のハッチを確認した。
「錆びてる……普通には開かないな」
誠司は工具を取り出した。ハッチの周囲のネジを外していく——「外す」。
ネジが外れても、ハッチは動かなかった。長年の放置で、フレームに固着している。
「次は『広げる』——」
誠司はバールを差し込み、てこの原理で力を加えた。金属が軋む音。少しずつ、隙間が広がっていく。
「もう少し——」
ガコン、とハッチが開いた。
誠司はかごの中に降りた。
暗い空間の隅で、子供が蹲っている。五歳くらいの男の子だ。涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになっている。
「大丈夫だ。助けに来たよ」
誠司は優しく声をかけた。子供は顔を上げ、誠司を見た。
「……こわい」
「分かる。怖かったな。でも、もう大丈夫だ。俺と一緒に出よう」
誠司は子供を抱き上げた。軽い。こんな小さな身体で、一人で暗闇に閉じ込められて、どれほど怖かっただろう。
「上に行くぞ。しっかりつかまってろ」
誠司は子供を背負い、梯子を登り始めた。一段一段、慎重に。
点検口から外に出ると、待機していた昇降士たちが駆け寄ってきた。
「救出成功!」
歓声が上がる。子供は誠司の背中から降ろされ、待機していた親のもとへと運ばれていった。
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
母親らしき女性が、泣きながら誠司に頭を下げた。
「いえ、仕事ですから」
誠司はそう答えながら、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。
前世でも、何度か経験した感覚だった。閉じ込めから乗客を救出した後の、この感覚。
「点検は、命を守る仕事だ」
かつて誰かに言われた言葉が、再び脳裏をよぎった。
「セイジ」
ガルドが近づいてきた。
「見事だった。『HHK』とやら、覚えておこう」
「ありがとうございます」
「それと、制御盤の修理も頼む。お前の診断が正しければ、接続端子の交換で復旧できるはずだ」
「了解です」
誠司は制御盤の前に戻り、作業を開始した。
腐食した端子を取り外し、予備の部品と交換する。魔法陣への接続を確認し、魔力の流れをテストする。
「……よし、復旧した」
制御盤に魔力が流れ、昇降機構が再び動き始めた。
その日の夜、誠司は宿舎の部屋で一人、天井を見つめていた。
閉じ込め救出。
前世で何度も経験したことだった。しかし、この世界で初めて行った救出は、前世とは違う感慨があった。
「俺の技術が、役に立った」
前世では当たり前だった。しかし、この世界では、誰も知らない技術だ。魔力を使わずに診断し、物理的な手段で救出する。それが、この世界では「異端」とされる。
しかし、結果は出た。子供は救出され、昇降機構は復旧した。
「これでいい」
誠司は呟いた。
「俺のやり方で、人を助けられる。それが証明された」
窓の外では、塔の上層部が星空に向かって伸びていた。
まだ遠い。しかし、少しずつ近づいている。
誠司は目を閉じて、明日からの訓練に備えて眠りについた。




