第五章 五感の診断
中層は、最下層とは全く異なる世界だった。
視察団と共に昇降機構——それは修理されたものとは別の、稼働中のものだった——に乗り込み、誠司とミラは初めて塔の上層へと移動した。
かごが上昇するにつれて、空気が変わっていく。湿気が減り、光が増える。窓から差し込む光は、最下層では見たことのない明るさだった。
「まぶしい……」
ミラが目を細める。誠司も同様だった。
中層に到着すると、二人は塔管理局の本部へと案内された。
石造りの建物で、荘厳な雰囲気がある。内部は整然と整理されており、役人たちが忙しそうに行き来している。最下層の混沌とした環境とは、まるで別世界だった。
「ここが昇降士ギルドの本拠地だ」
ガルドが説明する。
「お前たちはここで適性試験を受ける。合格すれば、見習い昇降士として登録される」
「不合格なら?」
「最下層に戻される。ただし、以前の奴隷身分ではなく、一般労働者としてだ。それでも、最下層であることに変わりはないが」
誠司は頷いた。失敗は許されない。しかし、不安よりも興奮の方が大きかった。
適性試験は、翌日から始まった。
試験の内容は、大きく三つに分かれていた。
第一に、魔力の測定。第二に、機構への感応。第三に、実技試験。
最初の魔力測定で、誠司はいきなり躓いた。
「……ほとんど反応がないな」
測定官が、怪訝そうな顔で言った。
「魔力値、測定限界以下。これでは昇降機構を動かすことは不可能だ」
誠司は黙っていた。予想はしていた。この世界の昇降士は、魔力で機構を制御する。魔力がなければ、話にならない。
「しかし……」
測定官は首を傾げた。
「機構への感応値が、異常に高い。これは何だ」
「感応値?」
「機構と精神的に繋がる能力だ。通常、魔力値と相関関係にあるはずだが……お前の場合、魔力はないのに感応値だけが突出している」
誠司は考えた。「感応」とは、おそらく機械の状態を感じ取る能力のことだろう。誠司が前世で培った「五感による診断」が、この世界では「感応」として認識されているのかもしれない。
「私の診断方法について、説明してもよろしいですか」
「許可する」
誠司は、自分の技術について話した。
音を聞くこと——異常な振動、摩擦音、不規則なリズム。これらを聴覚で捉え、故障の兆候を見つける。
触れること——温度の変化、振動のパターン、表面の状態。触覚で機械の健康状態を診断する。
匂いを嗅ぐこと——焼けた臭い、油の劣化臭、金属の腐食臭。嗅覚で目に見えない異常を察知する。
「魔力は使いません。五感だけで、機械の状態を把握します」
測定官は、信じられないという顔をした。
「そんな方法は聞いたことがない。昇降士は魔力で機構と繋がり、内部の状態を直接感知する。五感で、というのは……」
「では、実際にお見せしましょう」
誠司は言った。
「何か、故障している昇降機構はありませんか。私が原因を特定してみせます」
測定官は他の役人と相談し、誠司を別の場所へと案内した。
そこには、停止した昇降機構があった。
「この機構は、三日前から動かなくなった。原因は不明だ。昇降士が調べたが、魔導核にも魔法陣にも異常は見つからなかった」
誠司は昇降機構に近づいた。
まず、目で全体を観察する。外観に明らかな損傷はない。埃の堆積具合から、定期的な清掃は行われているようだ。
次に、耳を澄ませる。魔導核に手を触れ、かすかな振動を感じ取る。
「……振動はある。魔導核は生きてる」
さらに、制御盤の魔法陣に耳を近づける。
「ここからも、正常な信号が出ている。回路の問題じゃない」
では、何が原因か。
誠司は昇降路の方へ移動した。点検口を開け、中を覗き込む。
暗い。しかし、目が慣れてくると、細部が見えてくる。
ワイヤー、滑車、ガイドレール——
「あった」
誠司は呟いた。
ガイドレールの一部に、何かが付着している。近づいて確認すると、それは樹脂のような物質だった。
「これは……何かが溶けて、こびりついてる」
誠司はその物質の匂いを嗅いだ。
「……潤滑油が劣化して、固着してる。これがガイドレールに引っかかって、かごの動きを止めてるんだ」
測定官たちに報告すると、彼らは半信半疑の様子で確認に来た。
そして、誠司の診断が正しいことを認めた。
「信じられん……魔力を使わずに、これを見つけたのか」
「五感で診断しました。異常がある部分は、必ず何かのサインを出しています。音、熱、匂い、振動……それを読み取れば、原因は特定できます」
測定官たちは顔を見合わせた。
「前例がない。しかし、結果は認めざるを得ない」
「この者の処遇は、どうする」
「……上に報告する。判断を仰ごう」
数日後、誠司は昇降士ギルドの上層部に呼び出された。
そこには、ギルド長と思しき老人がいた。白髪で、深い皺が刻まれた顔。しかし、その目は鋭く、知性が光っていた。
「お前がセイジか」
「はい」
「魔力を持たぬ昇降士。面白い存在だな」
ギルド長は、誠司を値踏みするように見つめた。
「お前の能力は、我々の常識を覆すものだ。昇降士は魔力で機構を制御する——それが何百年も続いてきた伝統だ。しかし、お前は魔力なしで同じことを成し遂げた」
「同じではありません。私は機構を『動かす』ことはできません。ただ、『診断する』ことができるだけです」
「だが、それこそが重要だ」
ギルド長は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
「昇降士の仕事は、機構を動かすことだけではない。機構を『守る』ことも含まれる。故障を未然に防ぎ、異常を早期に発見する。そのために、診断能力は不可欠だ」
「はい」
「しかし、魔力による診断には限界がある。魔導核や魔法陣の異常は感知できても、物理的な摩耗や劣化は見落とすことがある。お前の『五感の診断』は、その弱点を補う可能性がある」
ギルド長は振り向いた。
「セイジ。お前を正式に見習い昇降士として登録する。ただし、従来の昇降士とは異なる役割を担ってもらう」
「役割、ですか」
「『聴診士』——五感による診断を専門とする、新しい職能だ。お前がその第一号となる」
誠司は頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼はいい。結果を出せ。お前の能力が本物であることを、証明してみせろ」
こうして、高森誠司——異世界でセイジと呼ばれる少年——は、昇降士ギルドに正式に所属することになった。
ミラも、適性試験に合格していた。彼女は従来型の昇降士——魔力で機構を制御するタイプ——として登録された。魔力は弱いが、訓練次第で伸びる可能性があるという評価だった。
二人は、中層の宿舎に部屋を与えられた。最下層の奴隷小屋とは比べ物にならない、清潔で快適な空間だった。
「信じられない……」
ミラが、部屋の中を歩き回りながら呟いた。
「本当に、ここで暮らせるなんて」
「まだ始まったばかりだ」
誠司は窓から外を眺めた。中層の街並みが見える。人々が行き交い、店が立ち並び、活気に満ちている。
「ここから、もっと上を目指す」
「上?」
「最上層だ。塔の頂点。そこに、何かがある。俺は、それを知りたい」
ミラは誠司の横顔を見つめた。
「セイジは、変わってるな」
「そうか?」
「普通、ここまで来たら満足するだろ。最下層の奴隷が、中層の昇降士になったんだ。もう十分じゃないか」
誠司は首を振った。
「十分じゃない。俺は……」
言葉を止めた。
「俺は」の続きは、「前世の技術を使って、もっと高みを目指したい」だった。しかし、それを口にすることはできない。
「……まあ、これからだな。一歩ずつ、上に行こう」
ミラは肩をすくめた。
「よく分からないけど、付き合ってやるよ。私も、もっと上を見たいしね」
二人は笑い合った。
窓の外では、塔が空に向かって果てしなく伸びていた。
最下層から中層へ。
次は、さらに上を目指す。
誠司の挑戦は、まだ始まったばかりだった。




