第四章 昇降士の資質
兵士たちから逃げ切った誠司とミラは、機械置き場の片隅で息を潜めていた。
「危なかった……見つかってたら、どうなってたか」
ミラが小声で言う。誠司は頷きながら、状況を整理していた。
昇降機構は動いた。わずかな時間だったが、確かに動作した。ミラの魔力と、誠司の修理技術。この二つが組み合わされば、停止している昇降機構を復旧できる可能性がある。
「でも、あのままじゃ続けられない。兵士に見つからずに作業するのは難しい」
「……方法はある」
ミラが言った。
「三日後、塔管理局の視察がある。その日は、最下層の警備が手薄になる」
「塔管理局?」
「塔全体を管理してる役所だ。中層に本部がある。定期的に下層を視察して、問題がないか確認するんだ」
誠司は考えた。視察の日に警備が手薄になるなら、その隙を突いて作業を進められる。しかし、リスクも大きい。視察団に見つかれば、より厳しい罰を受けることになる。
「やるしかないな」
誠司は決断した。
三日間、準備に費やした。
誠司は機械置き場から使えそうな部品を集め、修理に必要な道具を揃えた。魔法陣の補修に使うインクも、さらに精製して品質を上げた。
ミラは、魔力の制御について独学で調べていた。昇降士の技術は秘伝とされているが、断片的な情報なら最下層にも流れてくる。それをかき集めて、自分なりの方法を模索していた。
そして、視察の日が来た。
早朝から、最下層は慌ただしい雰囲気に包まれていた。監督官たちは労働者を整列させ、視察団を迎える準備をしている。誠司も列に並ばされたが、視察が始まれば機械置き場に戻ることを許可されていた。
「セイジ、お前は機械の管理を見せろと言われるかもしれん。準備しておけ」
監督官にそう言われ、誠司は頷いた。好都合だ。機械置き場にいる口実ができた。
視察団が到着したのは、正午過ぎだった。
中層から来たという役人たち。清潔な服を着て、見下すような目で最下層を見回している。彼らにとって、ここは「視察する場所」でしかない。ここで生きている人間のことなど、眼中にないのだろう。
誠司は列から離れ、機械置き場に向かった。途中でミラと合流する。
「警備はほとんどいない。今がチャンスだ」
二人は、昇降機構のある場所へと急いだ。
三日前と同じように、巨大な鉄の扉をくぐる。埃の匂い、錆びた金属の匂い、そしてかすかな油の匂い。
「前回の修理は持ってるみたいだ。魔法陣のひび割れは広がってない」
誠司は確認しながら言った。
「今日は、他の部分も見てみる。全体的な状態を把握しないと」
誠司は昇降路に目を向けた。上を見上げると、暗闇の中にかすかな光が見える。どこかの階で、外からの光が漏れ込んでいるのだろう。
「まず、ワイヤーの状態を確認する」
誠司はかごの上部に登り、ワイヤーを触診した。表面に錆はあるが、芯まで腐食してはいない。張力も適正範囲内だ。
「ワイヤーは大丈夫。次は巻上機——」
誠司が機械室に相当する場所を探そうとした、その時だった。
「おい、そこで何をしている」
鋭い声が響いた。
振り向くと、入り口に男が立っていた。
視察団の一人だ。役人の服を着ているが、他の者たちとは雰囲気が違う。目つきが鋭く、油断がない。そして——
「昇降機構の前で、子供が二人……何をしていた」
男は歩み寄りながら言った。誠司は反射的に身構えたが、逃げる隙はなかった。
「答えろ」
「……見ていただけです」
誠司は嘘をついた。しかし、男は誠司の手を見た。油と金属粉で汚れている。作業をしていたことは明らかだ。
「見ていただけ、か。その手の汚れは何だ」
誠司は黙った。言い訳は通用しない。
男は昇降機構に目を向けた。制御盤の魔法陣、誠司が修理した部分を、じっと観察している。
「……これは、お前がやったのか」
「……はい」
もう隠しても意味がない。誠司は正直に答えた。
「魔法陣のひび割れを補修しました。魔力の漏れが止まって、出力が回復したはずです」
男は眉を上げた。
「ほう。では、この機構を動かせるのか」
「いえ、俺には魔力がありません。でも——」
誠司はミラを見た。ミラが一歩前に出る。
「私が、魔力を流しました。少しだけですが、動きました」
男はミラを見つめた。
「お前、名は」
「ミラです」
「ミラか。昇降士の血を引いているようだな。魔力の質が違う」
ミラが息を呑む。男は視線を誠司に戻した。
「そしてお前は……魔力がないのに、この機構を直したのか」
「直したというか、壊れていた部分を修復しただけです。構造を観察して、原因を特定して、対処しました」
「魔力を使わずに?」
「はい。音を聞いて、触って、匂いを嗅いで。異常がある部分を見つけました」
男は、不思議そうな顔をした。
「聞いたことがない。昇降士は魔力で機構を感知する。お前のような方法は……」
しばらくの沈黙の後、男は何かを決めたように言った。
「来い。二人とも」
「え……」
「視察団の責任者に、お前たちを見せる。逆らうな」
誠司とミラは、視察団の本部——最下層の管理棟——に連行された。
そこには、視察団の責任者と思しき人物がいた。恰幅の良い中年の男で、偉そうな態度で椅子に座っている。その前に、誠司とミラは跪かされた。
「これは何だ、ガルド」
責任者が、誠司たちを連れてきた男——ガルドというらしい——に問う。
「興味深い者たちを見つけました。報告いたします」
ガルドは、昇降機構での出来事を説明した。誠司が魔力を使わずに機構を修理したこと、ミラが昇降士の血を引いていること。
責任者は、はじめは退屈そうに聞いていた。しかし、話が進むにつれて、その表情が変わっていった。
「……待て。魔力を使わずに、昇降機構を直したと?」
「はい。私が確認しました。魔法陣の補修は完璧でした。長年の経験がある昇降士でも、あれほどの精度は難しい」
「しかし、こいつは奴隷だぞ。しかも子供だ」
「だからこそ、報告したのです」
ガルドは誠司を見た。
「お前、名は」
「セイジです」
「セイジ。どこでその技術を学んだ」
誠司は一瞬、迷った。「前世で」と言っても、信じてもらえるはずがない。
「……独学です。機械置き場で、壊れた機械を観察して、構造を覚えました」
「独学? たった数週間の観察で、昇降機構を直せるようになったと?」
「構造は同じなんです。どんな機械も、基本的な原理は変わりません。動力があって、それを伝達する部分があって、制御する部分がある。どこが壊れているかを見つければ、直すのはそう難しくありません」
ガルドは何かを考えているようだった。責任者と目を合わせ、何かを確認する。
「よし、決めた」
責任者が立ち上がった。
「この二人を、中層に連れて行く。塔管理局で、適性を確かめる」
「え……」
「昇降士の候補として、だ。セイジとやら、お前には昇降士の資質があるかもしれん。少なくとも、技術的な能力は確かだ」
誠司は、自分の耳を疑った。
昇降士。この世界で特権的な地位を持つ技術者。最下層から這い上がるための、唯一の道。
「本当ですか……」
「嘘を言ってどうする。ただし、これは機会を与えるだけだ。適性がなければ、最下層に戻される。覚悟しておけ」
誠司は頷いた。
隣のミラが、小さく震えている。嬉しさか、緊張か。おそらく両方だろう。
「三日後、視察団と共に中層へ上がる。それまでに準備をしておけ」
責任者はそう言い残して、部屋を出て行った。
ガルドだけが残り、誠司を見つめた。
「セイジ、一つ聞いておく」
「何でしょうか」
「お前は、なぜ昇降機構を直そうとした」
誠司は答えた。
「ここから出たかったからです。最下層で一生を終えたくなかった」
「それだけか」
「……いえ」
誠司は、昇降機構のことを思い浮かべた。
「機械が止まっているのを見ると、直したくなるんです。動くはずのものが動いていないのは、おかしい。本来の機能を取り戻してやりたい。それが……俺の性分なんだと思います」
ガルドは、かすかに笑った。
「面白い奴だ。中層で、また会おう」
彼も部屋を出て行き、誠司とミラだけが残された。
「……本当に、行けるのかな。中層に」
ミラが呟いた。誠司は頷いた。
「行ける。行くんだ」
最下層の、薄暗い管理棟の中で、二人は未来への扉が開くのを感じていた。




