第十八章 反撃の準備
管制塔が陥落してから一週間が経った。
塔の中層は、今や最後の防衛線となっていた。下層は完全に敵の手に落ち、上層への道は塞がれている。誠司たちは、中層の一角に籠城していた。
「現在の状況を報告する」
作戦会議で、守備軍の指揮官が説明を始めた。
「敵軍は中層の南部を制圧。我々は北部に後退した。兵力は、当初の三分の一まで減少している」
「昇降機構は?」
「敵に奪われた管制塔からの制御を受けて、大半が敵の手中にある。我々が使用できるのは、北部の一部のみ」
誠司は、地図を見つめた。
状況は絶望的だった。兵力も、資源も、昇降機構も——全てが不足している。このまま籠城を続けても、いずれ押し切られる。
「打開策はないのか」
「正攻法では、難しい。しかし——」
指揮官は誠司を見た。
「一つ、可能性がある」
「何だ」
「世界の心臓だ」
会議室が静まり返った。
「世界の心臓を起動すれば、状況を一変させることができる。しかし、そのためには——」
「最上層に行く必要がある」
誠司が言った。
「そうだ。そして、最上層への道は、敵に塞がれている。昇降機構は使えない。通常の手段では、不可能だ」
「不可能じゃない」
誠司は立ち上がった。
「昇降路を使えばいい」
「昇降路?」
「昇降機構が停止していても、昇降路自体は残っている。保守用の梯子と足場を使えば、内部を登ることができる」
指揮官は目を見開いた。
「しかし、それは——」
「危険なのは分かっている。でも、他に方法がない」
誠司は地図を指さした。
「ここに、最上層まで直通する昇降路がある。古い機構で、今は使われていない。敵も、ここは監視していないはずだ」
「どうやって分かる」
「管制塔で調べた。この昇降路は、記録上は『廃棄済み』になっている。実際には、まだ構造は残っているはずだ」
指揮官は考え込んだ。
「……一人で行くつもりか」
「大人数では、見つかる。一人なら、隠密に動ける」
「しかし、最上層に着いたとして、世界の心臓を起動できるのか」
「分からない。でも、やるしかない」
誠司は、会議室の全員を見回した。
「俺に行かせてくれ。俺は昇降士だ。昇降路の中で動くのは、俺の専門だ」
長い沈黙の後、指揮官が口を開いた。
「……分かった。許可する」
「ありがとうございます」
「ただし、条件がある。お前が最上層に到達するまで、我々はここで持ちこたえる。時間を稼ぐ。だから——」
「必ず、成功させます」
誠司は頭を下げた。
会議が終わり、誠司は準備を始めた。
必要なものは多くない。工具、ロープ、食料、水。それと——
「これを持っていけ」
ガルドが、小さな結晶を差し出した。
「これは——」
「緊急用の魔導核だ。いざという時に使え」
「ガルドさん——」
「生きて帰ってこい。それが、お前にできる最大の恩返しだ」
誠司は、結晶を受け取った。
「必ず」
ミラも、見送りに来た。
「セイジ」
「ミラ」
二人は、しばらく黙って向き合った。
「……気をつけてな」
「ああ」
「私は、ここで戦う。お前が戻ってくるまで、守り続ける」
「頼んだ」
誠司は、ミラの肩に手を置いた。
「俺たちは、最下層から這い上がってきた。ここまで来たんだ。最後まで、諦めない」
「ああ」
ミラは頷いた。
「行ってこい」
誠司は、廃棄された昇降路の入り口に立った。
巨大な鉄の扉。錆びついて、長い間開かれていなかったことが分かる。誠司は工具を取り出し、扉を開いた。
ギギギ……と、金属が軋む音。
扉の向こうには、暗闘が広がっていた。ヘッドライトを点けて、中を照らす。
昇降路だ。垂直に伸びる空洞。壁面には、保守用の梯子が取り付けられている。上を見上げると、暗闘の彼方に、かすかな光が見えた。
「最上層まで、何百メートルあるんだ——」
誠司は深呼吸をした。
これから、長い登攀が始まる。
「行くか」
誠司は、梯子に足をかけた。
一段、また一段。ゆっくりと、確実に。
昇降路の中は、静かだった。外の戦闘の音も、ここまでは届かない。聞こえるのは、自分の呼吸と、梯子を掴む手の音だけだ。
「前世で、何度もやった作業だ」
誠司は呟いた。
エレベーターの保守では、昇降路内での作業は日常茶飯事だった。点検、修理、部品交換——狭い空間で、高所で、作業を行う。
「あの経験が、こんな形で役に立つとはな」
皮肉な話だ。前世では、昇降路で死んだ。この世界では、昇降路で世界を救おうとしている。
登り続けた。
一時間、二時間——時間の感覚がなくなっていく。
途中、休憩を取りながら、少しずつ高度を上げていく。腕は痛み、足は痺れ始めている。しかし、止まるわけにはいかない。
「あと、どれくらいだ——」
上を見上げる。光は、少しずつ近づいている。
その時、足元から音がした。
誠司は、下を見た。
暗闘の中に、光が見える。それも、一つではない。複数の光が、下から近づいてきている。
「追っ手か——」
敵が、誠司の動きに気づいたのだ。
「まずい——」
誠司は、登るペースを上げた。しかし、追っ手の方が速い。彼らは新鮮な体力を持っている。対して、誠司はすでに消耗している。
「このままじゃ、追いつかれる——」
誠司は、周囲を見回した。
昇降路の壁面に、何かがある。配管だ。古い配管が、壁に沿って上へと伸びている。
「あれを使えば——」
誠司は、梯子から配管に飛び移った。配管の上を走るように移動する。梯子よりも速い。しかし、危険も増す。配管が腐食していれば、落下する。
「持ってくれ——」
配管を伝って、さらに上へ。
追っ手との距離は、少しずつ開いていく。しかし、まだ安全とは言えない。
その時、前方に障害物が見えた。
配管が、途中で切れている。何かの理由で、破損したらしい。その先に続くには、飛び移らなければならない。
「跳べるか——」
誠司は、距離を測った。三メートルほど。助走なしでは、厳しい。
しかし、選択肢はない。
「行くしかない——」
誠司は、配管の端まで走り、跳んだ。
空中に身を投げ出す。暗闘の中で、対岸の配管を目指す。
指先が、配管に触れた。掴む。しかし、滑る。
「くそ——」
必死で握りしめる。身体が振り子のように揺れる。
「落ちる——」
その瞬間、誰かの手が、誠司の腕を掴んだ。
「掴まれ!」
声が聞こえた。
誠司は、その手に助けられて、配管の上に引き上げられた。
「お前は——」
顔を上げると、見知らぬ男が立っていた。中年の、痩せた男。昇降士の服を着ている。
「誰だ——」
「説明は後だ。今は逃げるぞ」
男は誠司の手を引いて、さらに上へと登り始めた。
男に導かれて、誠司は上層へと進んだ。
追っ手は、いつの間にか見えなくなっていた。男が、何らかの方法で撒いたらしい。
「ここで一息つける」
男は、昇降路の途中にある小さな空間——おそらく、かつての機械室——に誠司を導いた。
「お前、誰だ」
誠司は問いかけた。
「俺の名はエルドリン。元・上層昇降士だ」
「元?」
「戦争が始まって、上層から逃げた。敵に捕まるのを避けて、昇降路の中に隠れていた」
「なぜ、俺を助けた」
「お前が『聴診士』のセイジだと、分かったからだ」
誠司は驚いた。
「俺のことを知っているのか」
「知っている。管制塔での活躍は、上層にも伝わっていた。お前の技術は、この塔の希望だ」
エルドリンは、水筒を差し出した。
「飲め。疲れているだろう」
誠司は水を受け取り、一口飲んだ。
「お前は、最上層を目指しているんだろう」
「ああ」
「世界の心臓を起動するために」
「……知っているのか」
「上層昇降士は、世界の心臓について知っている。起動方法も、ある程度は」
誠司は目を見開いた。
「教えてくれ」
「いいだろう。どうせ、俺一人では何もできない。お前に全てを託す」
エルドリンは、懐から古い巻物を取り出した。
「これは、世界の心臓の起動手順書だ。上層の秘伝として、代々伝えられてきた」
誠司は巻物を受け取り、開いた。
「これは——」
巻物には、複雑な図形と文字が描かれていた。そして、その中心に——
「HHK」
三つの文字が、大きく記されていた。
「やはり——」
誠司は呟いた。
「HHKは、起動の鍵だ。三つの段階を経て、世界の心臓は目覚める」
「三つの段階——」
「第一に、『解放』——封印を解く。第二に、『開門』——扉を開く。第三に、『結合』——世界を繋ぐ」
「解く、開く、繋ぐ——」
誠司は、前世で叩き込まれた言葉を思い出した。
「外す、広げる、壊す——HHK」
「何だ、それは」
「俺が、前の世界で学んだ言葉だ。閉じ込め救出の三原則。外す、広げる、壊す」
エルドリンは首を傾げた。
「前の世界?」
「……長い話だ。でも、HHKという言葉が、両方の世界に存在する。偶然じゃない」
誠司は、確信を深めていた。
二つの世界は、繋がっている。そして、その繋がりの鍵が、HHKなのだ。
「教えてくれ。起動の具体的な手順を」
エルドリンは頷いた。
「いいだろう。時間がないから、要点だけを——」
二人は、起動手順について話し合った。
エルドリンの説明によれば、世界の心臓は三つの「扉」で封じられている。それぞれの扉を開くためには、特定の「鍵」が必要だ。
第一の扉——封印の扉。これを開くには、「解放の儀式」を行う必要がある。具体的には、心臓の周囲に描かれた魔法陣を、特定の順序で活性化させる。
第二の扉——次元の扉。これを開くには、「開門の儀式」を行う必要がある。二つの世界の境界を薄くし、エネルギーの流れを作る。
第三の扉——結合の扉。これを開くには、「結合の儀式」を行う必要がある。術者の意志を心臓に伝え、二つの世界を完全に繋ぐ。
「三つ全てを成功させれば、世界の心臓は起動する。しかし——」
「しかし?」
「一度起動したら、止める方法は知られていない。心臓は、術者の意志に応じて力を発揮するが、意志が揺らげば、暴走する可能性がある」
「つまり——」
「覚悟が必要だ。世界の心臓を起動するなら、最後まで意志を貫く覚悟が」
誠司は頷いた。
「覚悟はできている」
「なら、行け。俺はここに残る。追っ手を引きつける」
「いいのか」
「俺は、もう長くない。戦争で、傷を負った。お前に全てを託す」
エルドリンは、誠司の肩を叩いた。
「この世界を、頼んだぞ」
誠司は、深く頭を下げた。
「ありがとう。必ず、やり遂げる」
誠司は、再び昇降路を登り始めた。
エルドリンの情報を胸に、最上層を目指す。
もう、迷いはなかった。




