第九話 サーキットに行くなら、まずタイヤについて調べたほうがいいかも知れません。やってみないとわかりませんが。
詠美は誰かを捕まえてはよくお喋りをしている。なにか話しかけているなあと見ている数秒後には顔の形をくちゃくちゃにして笑っている。
あたしと喋っているときも、まあそんな感じなんだけども。
「あらやだ、そんなに私が気になるのかしら」
「そりゃそうよ、らぶらぶちゅうん」
「らぶらぶちゅうん」
このとき、お互いの左の手のひらをぴったりくっつけないと、らぶらぶは成就しないという決まりになっている。
「失礼な話かも知れないが」
と、あたしは続ける。
「何を今更」
詠美はらぶらぶの左手を剥がし、あたしの手のひらを指で弾く。
「あら。失礼がございましたかしら」
「見た目より頭が良いて言ったことあったな。他にも数点」
「それでは今更だな。では今更を重ねるのだが、普段過ごしているときの詠美と写真を撮っているときの詠美が繋がらん」
「んんん」
と唸り首を捻った後、詠美は、
「みんなそんなもんじゃね」
と、存外にも真面目に答える。
「みんな裏の顔を持つものよ」
だからあたしも存外真面目に続ける。
「では、詠美の話に限って」
普段の詠美は動き続けていて、止まるところがない。立ったり、座ったり。表情は千変し万化する。
「んだな。止まったら死んどるな」
そう言われて、現実と自分の脳が初めて同期した。
「そか。あたしは写真に死を見ているのかも」
カメラや画像の話になると、父の遺影が常に過ぎる。詠美にとっては不愉快かもしれないと恐れつつ、正直に言ってしまう。
「そか。ん、わかる。まずはお悔やみさせていただく」
「ありがとう」
「んでまあ、みのりんとしては、いきいきはつらつと青春を謳歌している私が写真という死の世界に囚われていることが理解できない、と」
「ううむ。そうではない気もするけど、まあその線で行きましょう」
「でもまあ、あながち間違いとは言えないかも。なぜなら、あ、あくまで私の考えになるけどいいかねえ」
「よござんすよ」
「一般的な意見とは異なるけど、いいかねえ」
「もうまったく問題ござらん」
「よそで言いふらされると恥を」
「はよ先を」
「うふん。なぜなら私は、連続した時間の中の一瞬を捉えようとしている。この感覚は、おそらくは獲物を狩る生物の感覚に極めて近い」
被写体に向けてカメラを向ける詠美の姿を想像する。
その気持を思い浮かべる。
感覚は研ぎ澄まされ、その一瞬を待つ。
「なるほど、狩るものですな」
「そうなんですよ姉さん。そこには、なんとなく死と生の関わり合いを感じなくもない。とね、姉さんの話を聞いて思ったよ。だけど、写真は狩りとは根本的に異なるところがあるのです」
「まあ、そりゃそうだろうけど。違うものだもの」
「姉さん急に醒めるのやめてください。あのね、お父さんの遺影がそうであるように、写真を取ろうという意志には、瞬間の永遠を願っている部分があります」
「瞬間の永遠」
「私はそれを、悲しみだと思っているのだけど」
詠美は両手を伸ばして、あたしの両頬に添える。そして数秒見つめた後、瞼を閉じた。
シャッターを切ったのかも知れない。
部活へと向かう詠美の背中を見送った後、しばし考える。
かっこよく撮影されたラジコンは、好きなひとにとっては魅力的なのは勿論、興味のなかったひとを引き付ける力もあるだろう。振り返ってあたしは、無我夢中で走らせるばかりで、止まっているわけには行かない。勝負を決める一瞬というのはあるけれど、そこだけで収支が整うわけでもない。カメラを向けるひとにとっては、走らせるひとの都合はどうでも良くて、その瞬間を捉えることができれば充分、だろう。
くるくる巡るふたつの世界。詠美とあたしがやっていることは、まるで正反対、鏡の向こう側のようだ。
そのあわせ鏡のちょうど真ん中に、たとえば駒込初心がいるわけだ。
なんてね。あたしの教室の出入り口で、小さな体を更に縮めて消え入りそうになっている初心が目に入ったからね。
「初心ちゃん、待っててくれたんだ」
「う、うん」
「初心ちゃんはさあ、写真撮ったりするの好き」
「あ、や、あんまり」
「ラジコンと同じくらい興味がない感じ」
「あ、うん」
「あはは、正直だねえ。んじゃ、部活行こうねえ」
「はあ、ふう」
初心は諦めたようにため息を付いちゃうので笑ってしまう。
昨日は大荷物だったあたしも、きょうは初心と同様に身軽。なるべくなら身軽でありたいとは、愛好家であっても思う。
部室の前でまたため息の初心。覚悟を決めている、と思いたい。
「駒込と乾、入ります」
入室していきなり、
「駒込さん」
と、部長。
「ひ、ひい、はい」
と、初心。このひとにとっては普通の反応なんだろうけど、あたしはつい、寄り添ってしまう。
「春の大会が始まります」
「は、はあ。お疲れ様です」
「おいおい、他人事みたいに言うなよ」
佳苗先輩が笑いながら差し込む。
「駒込さんにも出てもらおうと思っているのよ」
と、穏やかな笑顔のまま部長は続け、着席する。
「え、わち、わちし、わたし」
段階を踏んでフォーマルに移行する初心。
「ここでは、わち、でいいわよ。まあ、言いやすいようにするといいわ」
「す、すんません。でも、わたし」
と、保護者であるあたしをみる初心。保護者だから、言いたいことはわかる。
「なかなか、初心者には荷が重いのではと思いますけど」
「私たちもそう言ったんだけどね。あ、みんな座って座って」
園子先輩は大きな手を広げてみんなに合図。あたしはまた初心にぴったりとくっついて椅子を並べる。
園子先輩自身は立ったまま、ホワイトボードを背にして話し始める。
「まず、大会の概要について説明しよう。ええと、大会の趣旨として、遠隔操縦する模型自動車を通じて、機械技術を学び、競うことでさらなる向上を」
「そういうのいらなくね」
と佳苗先輩。部長も頷いている。
「そか。んじゃまあ、もうちっと手元の説明にしよう。春の大会は全国大会の第一段階。県北部の高校が参加する」
各校から五人が一チームとして出場し、トーナメントを行う。三本先取で勝ち抜け。北部には十五の学校があるから、一校はシード。ホワイトボードにはトーナメント表があるが、出場枠には何も書かれていない。一位枠のところには、県代表決定戦へ、と園子先輩の柔らかい文字で書き込まれている。
「いちおう強豪校とかあるんだけど、乾さんなら知ってるかな」
「寝瓦とか有名じゃなかったですかね。最近のはちょっと」
「ああうんうん、今でも強いよ寝瓦。さすが知ってるねえ」
「今年から私たちが強豪校になるのよ」
と、部長。目が真面目で怖い。でも本気なら、初心は出すべきじゃない、ような気がする。初心者を出場させてしまうチームは、強豪とは言えないんじゃないか。
「私と乾さんは確実に勝てる、と思うの。佳苗と園子は、どっちかは行けるはず。駒込さんはプレッシャーを感じないで、大会の雰囲気を感じてほしいの。負けてもいいというのじゃなくてね、こういう世界もあるんだなって」
そんな意見を肯定する気持ちはある。でも、おおそれは素晴らしいと礼賛する気にもなれない。何かを学べるかも知れない可能性よりも、拒否反応を示す確率のほうが高そうな気がするからだ。
特に初心の場合は。
が、部長の部長としての、いや、多分生まれとか育ちとかによって育成された雰囲気、威厳は変わらない。
「無理をする必要はないけど、私の意向だから、それなりに尊重してね」
「は、はい」
返事は健気だと思った。けど、直後に小さくため息を付いていたのも聞こえていた。
「去年は、出場されていたんですか」
話の方向にある程度の見当をつけつつ、あたしは話を振る。
「一回戦敗退」
佳苗先輩がにやにやと笑いながら言う。
「ああ、不躾ですいません。でも、敗退ということは三人でも出場は」
園子先輩が続ける。
「一応、出来るのよ。ただ、三本先取といっても三人勝たなければいけないという方式だから、最低三人必要なの」
最低人数での参加は、やはり不利だろう。相手が悪かった、という場合もあるからだ。
でも、先輩三人を見る限り、もっといい成績が残っても良さそうだ。園子先輩の走りは見ていないけど、良い関係が築けていれば良い影響が出るものだろう。
「私が落としたのよ」
と、部長。そっぽを向いていて、表情はわからない。表情はわからないが、気持ちがどうなっているかは、わかりやすいほどわかる。
「運が悪かったんだよ。前日まで、クルマはとんでもなく調子よくて、私たちは追いつけもしなかった。当日も圧倒的に差をつけていて、ゴール寸前でESCが死んだ」
ESC、エレクトリック・スピード・コントローラー。ラジコン各部に電力を供給する、近年のラジコンでは心臓部と言えるかも知れない電子部品だ。
「本当に調子が良かった。だからこそ、疑うべきだった。不調に原因があるなら、好調にだって原因があるはずだわ。ひとつひとつ検証していたら、もしかしたら異変に気付いたかも知れない。運は良くなかったけど、敗因はそれだけじゃあないわ」
淡々と語る香織部長。
そういう過去があるなら、五人出場に拘る気持ちもわかる。なんとなく重くなった空気の中で、自分にかかった重圧の正体を理解したらしい初心は、またふうと息を吐く。




