第三話 スロットルトリガーを引くと、前進します。
放課後。
詠美がごつい出で立ちのカメラを向けているので、とりあえずVサインをしておく。
あたしはラジコンのレースに出るから常にヴィクトリーを意識しているけど、レンズに対して不快感がなければ誰であれ差し当たってV、という習慣がある。
「なぜ皆、勝利を写真に残したがるか」
格好良くVサインを決めたまま、カメラマンに言う。カメラを片付けながら吹き出す詠美。
「あれはね、日本だけなのよ。ついでにいうとあれには意味はないのね。由来はあるのだけど」
「由来」
「チャーチルというひとがいてね、んまこりゃいいや。ともあれ初期には政治的なものを含む世界的なムーブであったのね」
「あ、はい」
なんとなく改めなくてはならないような気配で、しょぼしょぼとVサインを引っ込める。
「私たちの国でカメラを向けられたらVサインをしなさいという法律が決まったのは」
「ないやろがい」
「昔のアイドルの写真でやたらと使われたのね。かわいいい女の子、かっこいい男の子が使い始めたら、そりゃ広まるわね」
それが受け継がれてきているのか。
でも、もともと政治的な意味を持つものが、どうして政治と最も無関係であると思われるアイドルと結びついたのか。
「んまあ、そのあたりは確定した事柄を説明するのは難しいんだけど、写真家としては、便利なアイテムだとは思う」
「というと」
ケースの中に仕舞われたままのカメラを向ける詠美。反射的にVサインのあたし。
「まず、レンズを向けられた側が、気持ちと形を決めやすい」
「ああ、それはわかる。とりあえずVサインしときゃいいもんね。これがないと、どうしていいかわからんまである」
「そうそう。で、撮る側からしたら、顔だけだと間を保たせるのが難しい」
「もの足りないかしら」
「そんなとこ。で、そこにちょうどよい大きさで、動きも出て、簡単に扱えるアイテムとして、ちょうどよかったのよ」
あたしはちょっと工夫して、アイドルの写真のようにかわいらしく見えるように、顔の角度と指先を整えてみた。
「あらいいわねそれ。一枚取るからちと待てちと待て」
さっと取り出してすっと撮る。手際は流石である。
「で、思想とか政治とかの意味が抜けていって、形だけ残ったのね。当然、勝利という意味もないわけ。アイドルが、私たちは勝利者であるなんて主張を始めたら、今なら炎上よね」
「ま、ある意味勝利者ではあるのだろうけど。憧れるひとは多く、そのなかを勝ち抜いてきたのだろうから」
「なんか殺伐としてるわね。勝負に勝つってそういうもんかもね。だから、Vサインが定着したのは、撮る側撮られる側の安心感、撮られるときって緊張するでしょ」
「そうさな」
「それと、画面構成上の都合で定着してしまった、と写真家は理解しているわ」
と言って、詠美は部活に向かう。その背中からは何やら犯すべからざる、神聖とも言える光が放たれているようだった。
あたしたちは何気なく写真を撮るし、理由もわからずVサインをして撮られている。
写真を撮る意味自体あるのかないのか、撮った写真を後で見返すかと言われれば、旅先とかイベントでもない限り、思い出のあの日を振り返るついででもない限り、ファイルの底に眠ったままだ。
あたしたちにとってはそんなものであっても、写真家にとってはその画面の中に収まるひとつひとつには意味がある。今回のように、失われた意味を求める場合もあるのだろう。感性だけではなくて、思想や政治、蓄積や理論を踏まえていなければならないのだ。
喝を入れられたような気分を味わいつつ、あたしもごついラジコン用のバッグを担いで部室へと向かう。
向かう途上の廊下にて、印象のあるツインテールが目に入る。
「初心ちゃんじゃん」
「ひいっ」
おそるおそると振り返る怯えた顔。いや、これだけ多数が行き交う場でそれはなかろう。そもそも学校は、誰かに声をかけられるのが前提の場ではないか。
大丈夫なのか。
「あたしあたし。三乃。ラジコン部の」
「あいあい、あいどうも。こんつわ」
所持している鞄や雰囲気などから、もしかしたら帰宅するところだったのかも知れない。帰り支度して部活に向かうのは普通だからわからないけど、なんか違う気配がある。
「部活行くんだけど、一緒に行こうよ」
「ああ、あの、あの」
「初心ちゃんの気持ち、なんかわかる気がするよ」
やめてしまうひとは多かった。あたし自身中断した時期がある。
わだかまるものがあったから中学校での部活は参加しなかったけど、悔やんでもいる。他人と共有するのが嫌だったのだから仕方ないけど、それが正しいかどうか答えが出ない。
それに、初心ちゃんにはそもそもラジコンに対する思い入れがない。なんとなく来てしまって、流れで入部希望者にされてしまったのだろう。
あ、したのはあたしかも知れないが。
「でも、もうちょっと来てみない。つか、今日だけは来て」
あまり力を込めると拒絶反応が出るものだ。あたしだって同じだ。やり方としてはもう最悪にうまくない。
「わ、わち」
あったかも知れない数年間。中学校でラジコンの部活を頑張っているあたし。
駒込初心の無知とか関心の無さは、もちろんあたしの心持ちとは何の関係もない。初心者と経験者という違いも大きい。
けど。
けど、きっかけはきっかけだ。それを活かせるかどうか、答えは続けてみなければわからない。もやもやしたものを抱えていた私は、それを口実に中断した。それがよかったか悪かったか、続けてみなければわからなかったのだ。続けてしまって、ラジコンの世界と本格的に断絶してしまったとしても、きっとあたしは納得していただろう。
「わちね、興味もないし、なんか面倒だから、迷惑かけると思うのよ」
他人と関わるのも苦手なのだろう。こんな接し方をされるのは、苦痛でさえあるかも知れない。
「何かを始めるときってそういうものよ。続けられなくてもいいじゃん。でも今日だけ」
なぜこんなに強引に迫れるのか。
たったひとつだけ自信のある部分があって、それは、ラジコンは、とっても面白いもの、というところだ。楽しみが多岐にわたっていて、ひとりでも、大勢でも、少数でも有意義な時間が過ごせる。勝利は大きな目的になりうるし、ゆるく遊んでも新鮮な体験ができる。
そりゃあたしが感じたことだろが。駒込初心にそれを押し付ける意味があるのか。
ある。
好きになったものを、みんなも好きになってもらいたい。
押し付けられる方は鬱陶しいだろうけど、それでも魅力を感じてもらいたいのだ。
それにはまずは今日、部室に来て貰う必要がある。
そしてまあ、あまり強い意志を持っていなさそうなこの子には、多少強引に進めたほうが、勧めたほうがよかろうとも思う。
わけがわからんうちに教育してしまえ。
いや、そうは言わないけども、決してそこまでは言わないけども。
「う、うんうん、わかった、行くよ。ありがとね、誘ってくれて」
と、初音。泣きそう。
まあでもうまくいった。ときには強引にいかねば成就しない場合もある。
問題にならない範囲でな。
初心者ではない三乃は、自分の体験に基づいて強引に初心に言い寄っていますが、初心者である筆者はどうかというと、まあ、面白くなくはないから続けているけども、そこまでして他人に勧めるほどでもないかなあと感じています。
まあ、普通、何事もそうなんだけど。
どこかですでに書いたかとも思うんですが、ラジコンを楽しむには置かれている環境というのが非常に大きい。
住まいの近くにサーキットがあって、そこのひとたちに話を聞いたりできたので。
でもまあ、なかには四時間くらいかけてそこに来るひともいるらしいので、好きになってしまえばそれも苦じゃないのでしょうけど、そこに至るには同好の士があったほうがいいでしょうね。
初心がこの先ラジコンを好きになれたら、三乃の強引さは悪くはなかった、とは言えますかね。