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 次の日の昼休み、詞音はいつも通りに部室でご飯を食べることにした。あそこなら誰も来ないし、のんびりと一人の時間を過ごせられる。それに、今日は普段とは一本遅いバスで帰ることも告げた。

 お弁当と水筒を持って、ルンルン気分で別棟へ続く渡り廊下へ──行こうとしたところで、声をかけられた。


「しののん」


 学年主任である女教師だ。


「かよちゅん……」


 と、普段から呼んでる名で返事をする。普段なら明るい顔の一つもするのだが、この場においては顔をしかめた。


「ちょっといい?」


 断る理由も無いので、一つ頷く。すると、こっちこっちと手招きされ、廊下の隅に寄った。


「ごめんね、再三聞いてると思うけど、あとしののんだけなんだよね、進路希望調査出してないの」


 昨日もクラス担任から言われて辟易していたところだ。だから教会に行って自問自答しようとしていた。沈黙を作り出してから、吐き出すように


「ごめん、もうちょっと待ってください……」


 と肩をすくめた。


「私でよければ相談乗るよ。それか、進路まだ決まってないって書いて出してもいいからさ」


 詞音は今履いている自分の名の書かれたスリッパを見た。今までは進学するにひとまず丸をつけて、希望する大学はないと言ってそれでよかった。だが三年生の今になって希望無しというのはなんとなく、未来に自分はもう居ないようで嫌であった。

 両親はとにかく進学かつ浪人しなければなんでもいいと言っている。それは概ね詞音の意思と合致していたため、ひとまず共通テストを対策しているのだ。


「うぅん、もう少し考えさせて」


 ひとまずこの片田舎を出て、文系の学科に進みたいが……どの分野に行くか、どこの大学に行くか。そんな進路についてが今一番の悩みである。だから神の天啓を得たくなって、詞音は昨日教会に行ったのだが──。


「そういえばかよちゅん。あの、昨日卒業生に会ってね。名前を言えば絶対に分かるって言うの」

「お、誰々?」

「えっとぉ……林道ゆららって人」


 詞音が名を告げると、教師は目を丸くし、凍りついたように動きを止める。詞音はやはり知っているんだという喜びよりも、思っていた反応では無かったことに疑問符を浮かべる。


「ど、どこで会ったの?」

「カトリック教会で……」


 教師は「あぁ」と泳ぐような声を出した。


「ゆらら先輩、何かしたの?」


 しばらく天井を見つめて思案した後、張り詰めるように切り出す。


「ゆららちゃんについてはどこまで知ってる?」


「伏住出身で、今は上京して哲学専攻の大学院生っていうところまで。あ、あと宗教学も手を出してるって」


 思い返す、夜の女神。しかし人間であって、全知全能に近づこうとする哲学者。詞音から見たゆららはそんな存在である。


「あの子の逸話はちょっとしののんには辛い話だし、私たち教師もできるだけこの話はしないように、って暗黙のルールなの」


 今まで聞いていた話を全て押し退かすように、詞音は食い気味に「知りたい」と告げた。すると、教師は「分かった」と言い、渡り廊下の方へと歩いていく。詞音もそれに倣って歩み始めた。

 渡り廊下は案の定、人は居ない。この人の少なさを狙って来る人はそれなりに居るものの、今は居ないようだ。


「あのね。ゆららちゃん、目を隠してた?」

「うん、片目眼帯してたよ」

「あれは目を抉った後なの」


 意外な言葉が飛んできて、詞音は硬直した。


「授業の間の休み時間に突然ハサミを持ってきて、二階の廊下で自分の片目を抉り取ってね。私もその現場をたまたま見ちゃったんだけれど、もうみんな大騒ぎ。しばらくゆららちゃんは別室登校させてたね。……元々不登校気味な子ではあったんだけど。あの子のこと見るだけでもトラウマ掘り起こされちゃうような子が出てきちゃったから」


 聞けば聞くほど、詞音は思考を多く巡らせることになる。


 どうしてそんなことをしたのか、どうしてその発想に至ってしまったのか……しかし、これ以上は追求してはいけない気がして、話題を逸らすことにした。


「不登校だった、っていうのは?」

「あぁ、あの子ね。元々出席日数かなりギリギリを狙ってたみたいなの。私も結構気にかけてたからさ、知ってるんだけどね。聞いてみたら休んでる間、東京や名古屋に行ってたみたい。成績はかなり優秀で、そういうところは問題なかったんだけどね。東京に行って何をしてたのかは最後まで教えてくれなかったな」


 複雑な感情が押し寄せた。その知性と行動力だけを見る異端な視点から見ればゆららの行いと性質は尊敬でしかない。しかし、普通の人間として見ると目を抉り出したというのはやはり問題のある人物なのだろう。

 しばらくの沈黙が生み出された後、


「これ聞いたしののんがどう思うかは自由だよ。けど、あんまり言いふらさないでほしいなって」


 と教師はいつも通りの軽い調子で、けれど諭すように詞音を見つめる。


「ごめんねこんなに時間取っちゃって。早くご飯食べなね」

「あ、うん……」


 颯爽と去っていく様子を詞音は何もせず見送り、足早に別棟に行った。


 部室に入り、席に座り、弁当を広げる。通信制の教室と併用して使われるこの部屋は席なら有り余っている。

 後ろの黒板には前回の活動でやった短歌の授業の跡が消されずに残っていて、詞音はご飯を口に運びながらそれを読んだ。

『玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする』

 品詞分解や単語の意味といった古典の授業のようなものを習った後に、次に部員がそれぞれ感じたことを発表し合った。そのメモ書きが横に書いてある。詞音も丸い字で「そこまで誰かを想う心が尊い」と書いていた。

 選出は完全に顧問の趣味で、詞音自身は異世界ファンタジーの小説を専門するからと軽く聞き流していた。


 ゆらら、ゆらら、林道ゆらら。片目を抉り取った異端者。その行動の真意を知りたい。しかし他者からするとこの情動は秘められるべき異端なものなのだろうか。

 これが自分の作る物語の世界であれば都合良くゆらら先輩を絶対正義にできるのにな。なんて思い耽る。

 正直なところ、目を抉り取ったという話自体が創作なのではないかと思うほどだ。しかし、あの女教師はそんなことを(うそぶ)くような人ではないことを詞音はよく知っている。

 この感情に良し悪し付けるべきなのか迷った。迷って迷って、いつの間にか予鈴が鳴る時刻になっていた。


 生まれた感情はそのままに放課後となる。四時の帰りのホームルームが終わると同時にひとまずゆららと会おうと詞音は走り出した。

 階段を駆け降りて、一階に辿り着く。


「あれ、しののんそんなに急いでどうしたの?」

「ゆらら先輩に会って来るの!」


 顔を見ることなく玄関へ走り抜ける。詞音はきっと複雑な顔をしたのだろうなと想像したが、これ以上顧みることはなかった。


 昨日と同じ道を走る。片田舎だからこそ車通りは多いが、歩く人は少ない。

 歩道は学校から離れるほどところどころまともに整備されておらず、ガタガタになっている。それでも詞音はやはり体力の続く限り走った。

 あらゆる感情は「会いたい」の一心で塗りつぶされていた。


 教会に辿り着いて、門をくぐる前に息を整えた。こんなに急いで、昨日あの場所に来た時より三十分は早い。彼女は居るのだろうか。長袖のブラウスのせいで蒸し暑くて、首筋に汗が伝うのを認識した。

 木陰に入り、しばらく身体を休める。水筒は空っぽにして、かばんにしまう。息がだいぶ整ったところで、よし、とおもむろに動き出した。息を殺し、常時鍵の開かれた玄関扉を開ける。

 中には一足のブーツがあった。詞音の脳内に流れ星が降り注ぐ。この感覚に酔いしれて笑みを浮かべる。ローファーを半ば乱暴に脱ぎ、勢いに任せて押し扉を開けた。


「あ──」


 昨日と同じ場所にゆららは佇んでいた。ただし、昨日とは違いこちらを向いて目を細めて笑っている。詞音はきらりと輝く星屑に脳を埋め尽くされた。

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