誰かの気持ちを考えた事がありますか ⑥
昼神桜子の朝は遅い。相対的に楓の朝が早いだけなのだが、自宅から直ぐに仕事場である昼神内科医院へ行くことが出来るので8時台に起床して、ゆっくりと朝を過ごすのが多かった。休みなら尚更遅くに起床しては楓を困らせていた。そして、正月となれば更に遅くに正午に近い時間まで布団に包まって惰眠を貪っているのであった。
業を煮やした桜子の母、恵子が怒り出す前に桜子を起こそうと楓はカーテンを開けたり、暖房をつけたり起床を促していたが暖簾に腕押しもいい所で全く効果がなかったので、楓はアコースティックギターを桜子の枕元で掻き鳴らして、賑やかな曲を歌い出した。流暢に英語で歌い出した。
流石に煩く観念したように目を覚ました桜子は、どんなに辛くて家に帰れば君がいて最高と歌う楓の顔を睨みつながら文句をいってくる。
「もう少し気持ち善く起きれる歌を歌ってよ」
もうお昼だというのにわがままを言う桜子のの為に楓は曲のテンポを落として、今までと同じ曲と思えないくらいゆっくりとバラードのように歌って曲を締め括った。
「おはよう、最後はいい雰囲気だったでしょ?」
桜子の顔を覗き込みながら最後はしっとりと歌いきった楓は、お寝坊の婚約者に優しく手を差し伸べる。いい加減起きないといけないと観念した桜子は楓にたの手を掴んだ。優しく抱き起こされると思っていた桜子はほぼ無抵抗で、布団から引きずり出される形で起床した。
「想像した起こされ方と違うわ」
「それは歌のこと?、引っ張られたこと」
楓がキョトンと理解しかねて質問をする。常人なら昼まで寝ていてこれ以上何を求めて抗議してくるのかと文句の一つも言いたくなる状況でも楓の受け答えが変わることはない。楓の純粋さに後ろめたさを覚えたのか、枕元の時計を見て後で7分で正午になる現実と向き合ったからなのか桜子は軽い咳払いで誤魔化し、いよいよ活動を開始した。
新年も明けて3日も経つと流石に昼間で寝ていることへの後ろめたさはあるが、去年までの数年間は盆もくれもなく医療に従事して来た反動でついつい自堕落になってしまったしまった桜子だが、居間にたどり着いたらさら上には上がいた。正午にして酒の呑み過ぎで正体を無くした父、孫一の存在である。
「おお、やっと王子様のキスで起きてきたかー」
「何朝から馬鹿言ってんのよ」
桜子のために、朝食兼昼食を持ってきた楓が桜子の言い間違いを指摘する。
「もうお昼だよ、桜子。はい、ご飯」
並べられた朝食はお雑煮に、白米に目玉焼きと生姜焼き、それにサラダというアンバランスさであったが桜子は美味しそうに平らげていく。雑煮の中にはお餅も入っており、もうすぐ終わるお正月に思いを馳せながら桜子は餅を飲み込んだ。
「気をつけろよ、餅が一番人殺してる食い物だからな」
自慢気に注意喚起をしてくる孫一だが、それ以前に世界で最も人を殺している飲料のアルコールを過剰接種している人間には説得力はない。
「真っ昼間からアルコールに溺れている人に言われたくないわ」
「溺れてないー、嗜んでるんだ」
ものは言いようだと更に自慢気になる孫一を尻目に、お雑煮のおかわりをした桜子はまたお雑煮に舌鼓をうっている。
「おいしいかい?」
桜子の母、恵子が訊ねる。丸餅を歯で引っ張りながら頷く桜子を咳払いで咎めながら恵子自身もお雑煮も啜る。
「今日のは楓くんが使ったんだよ」
「だから違うのね」
こちらの方では雑煮と言うだけあって何でも入れてしまう色とりどりのお雑煮が多い。昼神家では卵が入っていたりするが、他の家は柚子が入っていたり色味が多いのが特徴だった。
「昨日の使った鰤で出汁取ってたからね、お父さんに昔から教わってたから」
早くに母親を無くした木下家の台所には楓の父である丈夫が立っていた。それを早くから見ていた楓も父の手助けをしながら一緒に台所に出入りしていたのでそこらの主婦に負けない程度には料理ができるようになっていた。
「丈夫さんは何でも出来たもんね」
染み染みと一家で亡父のお雑煮を味わっていると居間の黒電話がけたたましく鳴り響く。丁度手隙きになっていた楓が受話器を取る。
「はい、昼神です。ああ、吉田さん、新年っ」
新年の挨拶をと思い楓が話し出すよりも先に近所の吉田家の旦那さんが慌てた様子で話し続ける。黒電話の大きな受話器からは吉田家の混乱がひしひしと伝わってくる迫力があった。慌てた様子で怒鳴るように話す吉田の声は受話器に耳を当てなくても聞こえるくらいの大きさで、その場にいた桜子をはじめ孫一達全員が理解出来ほどだ。
「爺さんが丸餅を、丸呑みして喉に詰まらせてて、今掃除機で吸い出そうとしてるんだけど」
そこまで聞いて桜子と孫一が立ち上がる。孫一は若干ふらついたが直ぐに恵子が支える。
「私が車を出します」
孫一に運転させるのは危険と恵子が名乗りを上げる。とりあえず楓も全員で行くと伝えて受話器を置いた。




