誰かの気持ちを考えた事がありますか ⑤
楓と桜子が昼神家に戻ってきてから初めての冬を迎えた。
楓は体調の面の懸念も有り、昼神家では家事手伝い、主夫の様な役割を担っていた。長い間の病院生活のお陰で早起きの習慣がついており、朝早く起きるのは得意になっていて朝ご飯の準備は楓の仕事になっていた。
桜子を起こさないようにそっと寝床から這い出して、縁側の廊下をそろりそろりと歩く。本格的な冬の到来はまだまだだが昨晩から降り出した雪のおかげで縁側から景色は一変していた。周りの山はすっかり雪景色を纏い、吐く息の白さと相まって白い世界がどこまで続くような錯覚に陥るくらいの朝を迎え、楓は身震いしながら台所へ向かう。
「やっぱりこっちの雪はすごいな」
両肩を両手でこすりながら寒さに耐えながら、矢も盾もたまらずといった感じでストーブに火を灯す。暫しストーブの温もりに手をかざし体を温めた後に本格的に行動を開始した。
「どうせ今日は二人とも寝坊するんですよ」
漬けてあった野沢菜を取り出しながら、楓は昨日あった事を思い出す。孫一が遅くに千鳥足も良いところで帰ってきて、やれ水だ、それお茶漬けだと妻の恵子へ指示をするを見れば桜子と衝突して一悶着起きるのは避けられない出来事だった。
「酔っぱらいに真面目に説教する桜子もなかなか不毛なことするよね」
恒例と言っていい一悶着を経て就寝すれば、昼神内科医院の先生お二人はギリギリまで寝るだろうと考えながら朝食の準備進めていく。取り出した野沢菜漬けを細かく切ってまな板と包丁でリズムを取りながら、父の好きだった洋楽バンドの歌を口ずさむ。
切り終わった野沢菜漬けをごま油で炒めておにぎりを作る。その傍らできのこと残り物の野菜で味噌汁を作り、もう一個くらいおにぎりの種類が欲しいと欲しいと冷蔵庫を覗き込もうと屈んだ瞬間に胸に違和感を感じた。
「って」
楓は突然襲ってきた胸を押さえつけられるような感覚に屈んだ体制から動けなくなってしまった。
「落ち着け、落ち着け」
自分の体に言い聞かせるように繰り返し、ゆっくりと深呼吸をする。
「こんなに寒いの久々だから身体がびっくりしてるんだって」
誰かに訊ねられた訳でもないのにそんな言葉が出てきてしまう。数年ぶりに味わった胸の違和感は今までに感じたことの無いものだった。締め付けられる感覚と呼吸が上手く出来ていないような感覚が一緒にやって来て痛いのか苦しいのかよくわからない感じで楓自身も混乱しているようだ。
ようやくその不快さから開放された楓は恐る恐る体を動かし、自分の体に異常が無いことを確認する。心臓の辺りを擦って文字通りに胸をなでおろして朝食の準備を再開する。
「大丈夫、桜子と生きるって決めたんだから」
冷蔵庫からひじきと油揚げを取り出して、生姜と酒と醤油でこれまたサラッと炒めておにぎりにしたものを準備して朝食の準備を終えた。
案の定先生方お二人は寝坊してきた。楓と恵子はとっくに朝ご飯を食べ終えて洗濯や掃除に取り掛かろうかと思っていた頃に仲良く食卓にやって来た。寝坊してきた自分たちの事を顧みることも無く、こんなこともあろうかとおにぎりと味噌汁で手早く、美味しく食べられる朝食を用意していた楓に向かって良く出来た娘婿だとか、楓は私のだとかまた言い争いが始まってしまう。
「もとはと言えば俺が楓に婿に来るように言ったんだぞ」
「はいはい。私が好きだから、私がきれいだからお婿に来たのよね?」
子供の様に他愛もないことで言い争いながら、楽しそうに朝食をとる2人を見ていると楓も少し安心してきたようだ。先程感じた違和感はもう襲ってこないが不安感は感じたままになっていた。言い争う2人にお茶を差し出した後、また楓は確かめるように胸をなでおろした。その様子に気がついた桜子が違和感を口にする。
「楓、なんかあったの?」
「えっ、昨日。ほら、あんな感じだったから」
楓は誤魔化すように自分もお茶をすすり、息を整える。
「なんか安心しちゃって」
誤魔化しながら頭をかいた楓だった。幸か不幸か誤魔化しは成功し、楓への違和感よりも昨日の晩のことが話題に切り替わり、また食卓が賑やかになる。
双方思い思いに相手をこき下ろしながら、おにぎりを食べ、味噌汁をすする姿に楓が呆れていると桜子が食べ終わったようで急に静かになって手を合わて、ご馳走様でしたと礼をする。
「美味しかった。ありがとうね、楓」
笑顔でお礼を伝えてきた桜子の口元にはご飯粒がついていた。それを見た楓はクスッと笑った後で桜子の口元のお弁当こと、ご飯粒を自分の口に入れる。
「お弁当つくほど美味しかったんだね」
楓は桜子に優しく微笑みかける。胸の違和感の事は桜子を心配させないようにもう少し黙っていようと考えていた。




