Let It Be ②
楓の入院する病院についた頃には夕方には近くなり、夕闇の中を真っ白な雪が舞っている。そんな情景になっていた。
暖房の効いた車から出るのに普通ならもう少し覚悟が必要なのだろうが、桜子は孫一がサイドブレーキを引いた音を聞いたら直ぐに車から飛び出していた。
「721号室。721号室」
呪文のように繰り返しながら、桜子は足早に病院の正面入口へ向かった。一階の広い待合室を抜けた先にエレベーターを見つけ、桜子は自分の父親を待たずにエレベーターに飛び乗った。逸る気持ちで7階のボタンを連打したら、点灯したはずの7階のボタンが消灯する。刹那、しまったはずのエレベーターの扉が開き、昼神孫一が乗り込んでくる。
「待たせたな」
にんまりと娘に笑顔を向ける父であったが、それが逆効果であることを彼は知らない。
「待ってたわけじゃないわ」
ボソッと口にした娘の悪態は、鈍感な父には届いていない。孫一は7階までの移動中すら億劫なのか、どっこいしょとエレベーターの角にある防災用キャビネットに腰掛ける。その様子を見ることもなく桜子は階数表示のインジケーターを見つめていた。流石にこの時間になると上行きのエレベーターに途中階から乗り込んでくる人も居らず、順調に進んでいく。
「桜子、降りたら左行って突き当たりな。ナースステーションにはこっちで声かけておくから」
娘が焦っているのを察して、不意に見せられた父親の優しさに桜子は普段なら余計なお世話等と喧嘩腰になるのかもしれないが、そういう気分にはなれなかった。
「ありがとう、お父さん」
6階を過ぎた辺りで桜子は久しぶりに父親に感謝した。それを聞いた孫一は満足そうに目を瞑る。
「どういたしまして」
7階の着いたエレベーターが小気味よい音と共に扉が開らく。走り出したい気持ちを抑えて桜子は早足で飛び出していく。その背中を見送った孫一はゆったりと反対側のナースステーションへ向かっていく。
「ああ、楓君の頭の話するの忘れてたわ」
孫一はナースステーションへ向かいながら顎に手を当てて考えた。
「まあ、いいか。大丈夫だろう」
が、彼のその性格は伝えなかったことを気に留める事はない。だからこそ、父に対する娘の評価が上がらないのだろう。
桜子は順番に右左と部屋番号を確認室行く。突き当りと聞いていたはずだが、おそらく左としか情報は伝わっていなかったようだ。
目的の部屋を発見した桜子は、深呼吸し、更に一呼吸おいて扉をコンコン、コンコンと4回ノックした。
「はーい、どうぞ~」
中から元気そうな声がする。年始以来会えていなかった婚約者(予定)への気持ちが溢れてくる。再開の時は病室の扉が空いたら楓を抱きしめるんだと何度もイメージトレーニングをしてきた桜子は少し抵抗のある横開きの扉を開けて、木下楓の顔を見た瞬間に絶望した様な顔をする。
「あっ」
あんぐりと開かれた桜子の口と見開かれた三白眼の目を見て楓は首を傾げながら、桜子の言った言葉を繰り返す。
「あ?」
開かれた口を、見開かれた目を閉じ桜子は振るえている。会えていなかった約1年の間に何があったというのか、そんな事を考えながら震えていた。
「なんで、髪の毛赤いのよーーー!!!」
7階の半分にはその声は届いていたかも知れない。何しろ個室の扉は全開、ほぼ廊下に立っている状況で大絶叫したのだから。
遠くから自分の父親の大爆笑が聞こえ、桜子の中の父親の評価は一瞬上がってまた地に落ちた。
桜子は楓の頭を撫でるのが好きだった。サラサラとした肌触り、撫でる度に目を細めて猫のような表情をする楓が好きだった。
感動の再開のイメージトレーニングは儚くも無駄になり、ふくれっ面で桜子は楓がいるベットの隣までつかつかと歩いていく。その姿はクールなキャリアウーマン風であったが、次の瞬間には婚約者(予定)の両頬を思いっきり引っ張る。
「いたいよ、桜子さん」
姉さんが抜けて、少し大人びた口調で話す楓の頬を今度は擦り、確認の念を込めてその真っ赤な髪を撫でる。
「どうなってるのよ」
相変わらずサラサラとしているし、反応も上々なのだがどうも納得がいかないといった様子だ。
「似合ってる?」
満面の笑みで楓が桜子を見つめてくる。正面の長さは違和感がないが、前よりも伸びた襟足とその髪の色に抗議でもするかのように頭全体をわしわしと撫で回した。
「やっぱり納得がいかないわ」
相談もなく髪を染めた婚約者(予定)に納得がいかないのか、なんだかんだと似合っているこの美少年改め、美青年に納得がいかないのか桜子は楓の髪の毛を軽く引っ張ったりしている。
「駄目かな?、看護婦さんたちは似合ってるって言ってくれるけど」
その評価も納得がいかないのか、怒りの余り少し涙目になっている桜子の頬に、楓は手を当てて右手の親指で溢れそうな涙を拭き取る仕草をする。
何事かと心配して入ってきた看護婦と、ニヤニヤしている孫一の存在に気がつくまでは桜子は夢見心地だった。
「あら、お熱いですね!ご両人!」
歌舞伎でよく見る大向うのように、孫一は声をかけた。当然娘の評価は、海抜0メートルから駿河湾海底まで下がる。
そして振り返る前の桜子の顔を見て、楓の顔が強張る。振り返った顔を見て、看護婦が軽めの悲鳴を上げる。そして孫一は娘の顔を見て爆笑する。
小綺麗に現代風の格好した般若がそこにいた。




