Knockin' on heaven's door ②
山中史樹は昔から好きじゃなかった。誰にでも暴力を振るうし、平気で人を傷つけることが出来るタイプの人で僕はそれがどうしても理解できなくて怖かった。
だから今まではこの人の前では余り話す事ができなかったけど、桜子姉さんと今日子さんが震えているのが分かって、僕は初めてこの人を許せないと思ったんだ。震えている2人の前に出てビシッと決めてやる。
「恥ずかしくないんですか?、男なら女の子を守る王子様とかヒーローになろうと思いませんか?、僕はあなたみたいな人は好きじゃありません。人に好かれたいなら優しくするべきです」
頑張って話してみたけど上手く伝わったんだろうか。もっと格好いい事を言ったほうが良かったのかも知れない。桜子姉さんは渡さないとかのほうが格好良かったのかもしれない。
「お前がいるから、俺がそうなれないんだろうが!」
急に怒鳴られてびっくりした。桜子姉さんに押しのけてられて僕は尻餅をついた。痛いと思った次の瞬間には、僕の視界から桜子姉さんが消えていた。
ハッとした瞬間に今日子さんが悲鳴をあげたので、その悲鳴で何が起きたのか理解できた。
「誰か助けて!、桜子が!」
その悲鳴は僕以外にはその声は届かない、暗闇に吸い込まれて遠ざかっていく車を相手に、僕に何が出来るのだろうか。へたり込んで呆然としていると、今日子さんに頬を叩かれ我に返る。
「私は交番に行ってこのことを知らせてくるから、楓君は桜子を追いかけられる?」
そうだ、追いかけなきゃ。桜子姉さんの僕が助けなきゃいけない。桜子姉さんの泣いている所は見たくない、泣かせたりしないとさっき言ったじゃないか。
「は、はい!」
へたり込みながらも僕は桜子姉さんを助けると決心した。僕を顔を見た今日子さんが、ニッコリと笑って言ってくれた、今日子さんもきっと不安なはずだ。
「楓くんは桜子の王子様なるのよ」
この言葉を聞いて僕は立ち上がる。幸いこの辺りは見晴らしのいい一本道、山肌に沿って移動していく車が今どこを走っているのか大体は理解できた。遠ざかっていく車もそんなにスピードは出ていない。時折止まりそうになりながら揺れるように走っているのが、ライトの動きでよく分かる。
今日子さんは立ち上がったの僕を見て僕の背中を叩いてから、神社の方へ走っていく。交番は神社の向こう、パトカーで追いかけるにしてもどこに行ったか分からなければ捕まえることも出来ないと思う。僕は桜子姉さんを乗せた車を追いかけていく。少しだけ小走りになりながら、こんな事するのいつ振りだろうかと考えてしまう。
大学病院で検査で全身に線を取り付けながら、ルームランナーで走らされた以来な気がする。あの時も苦しいのにもっと走れと病院の人たちに言われて何十分間も走らされた。
「あの時みたいに走れるかな」
小走りからもっとスピードを上げてみる。大丈夫、まだ走れる。
不整脈が出るから運動はしないようにと散々走らされた後に説明されたけど、なら最初から走らせなきゃ良かったじゃないかと呼吸ができなくなるくらい疲れ切った状態で倒れながら思ったことを思い出した。あの時みたいに走れたら追いつけるかもしれない。
走り方を思い出すように徐々にスピードを上げながら車を追いかける。少しだけ追いつけたりできているのだろうかと前方に目を凝らしてみたが、全然縮まっていない。
いや、僕がこんなに遅いスピードでしか走っていないのに車は遠ざかっていないのはなぜだろうか。もしかして車が止まっているのかもしれないと考えたら自然とスピードが上がっていく。僕の限界は何処にあるのだろう。
心臓は鼓動を続けている。まだ大丈夫、ちゃんと動いている。このままなら走っていけるはずだ。車まではどれくらいの距離があるのだろう、車まで街灯はいくつあるのだろう。
走りながら車までの街灯は13個。1個1個の距離もまばらだしいつまで車が止まっているかは分からない。まだ走れるのだろうか、まだスピードを上げる事は出来るのだろうか。
ハァハァと呼吸を続けているうちに胸が痛くなってくる。脇腹も痛い。病院で走った時も直ぐにこんな感じになった気がするけど、それでもその後何分間も走らされたんだ。まだ頑張れるはず。
街灯を3個過ぎた頃には胸の痛みはより明確になってきていた。走るたびに頭が痛い。違う走るたびじゃない、呼吸のたび、心臓が動くたびに痛みを感じる。心臓のリズムも狂いだしてきて定期的なリズムは乱れ、たまに動かなくなってきた。
動かなくなる程度ならいいけど、動かなかった分だけどこかで鼓動がおかしくなる。連続で動いたかと思えば急に動かないくなったり、もう目茶苦茶だ。もうちゃんと血が巡っているのかさえわからない。
5個目の街灯を越えた頃にはふらふらになりながら、ほんの少ししか走れないようになっていた。もう歩いているのと変わらないようなスピードで、心臓の鼓動が止まるたびに意識が飛びそうになり、鼓動が始まるたびに激痛でまだ意識が飛びそうになる。
8個目の街灯を越えただろうか。目の前が暗くなってきた。夜はこれ以上暗くなったりはしないし、街灯の明かりは何処に行ってしまったんだろう。
「さく、らこ姉さんのと、ころに行か、な、いと」
もう一歩一歩踏み出すのがやっとだ。胸が痛い。僕が桜子姉さんを助けに行かないといけないのに、もう暗くて今何処を走っているのか、走ってないことぐらいは分かるんだけど。
2個向こうの街灯に人が見えた。頭を押さえてふらついているその姿は桜子姉さんのものだ。紫色の浴衣に肩に触れるかくらいの長さの髪が揺れている。
僕はどこまで行けるだろうか、なんで走ってたんだっけ。桜子姉さんのところに行きたくて、桜子姉さんを泣かせたくなくて走ってたんだったけ。遠くから声がする、この声は桜子姉さんのだ。
「楓ー」
もう一度。怒っているときの声だ。
「楓ー」
楓は僕の名前。9個目の街灯にたどり着けずに僕は転んでしまった。ああ、僕は王子様になりたかったのにな。
なんとか寝転んで仰向けになって街灯を見上げたけど、全然眩しく感じない。ゆらゆらと揺れる光は点滅するように暗くなったりして視界が狭まって行く。
「かえで!!」
桜子姉さんの声だ。僕を見下ろして泣いている。顔に擦り傷がある。僕は今度史樹に会ったら初めて人を殴ってやると思った。
「ご、めんな、さ、い」
暗くなっていく世界で僕は桜子姉さんに言いたいことが、あったのに。
桜子姉さんを泣かせないって言ったのに、なんで泣かせてしまったのだろう。心臓は動いているのか、ドクドクと体が揺れる。
あの日もそうだ。こんなきれいな人を泣かせちゃいけないのに、なんで僕は。
世界が暗くなっていく。ドンドンと扉を叩くような音が遠くから聞こえてくる。もしかしたら遠ざかっているのかもしれないと思いながら、近づいてする桜子姉さんの顔を見て、なんでこの人はこんなにきれいなんだろうと思った。
覗き込む桜子姉さんの顔も暗くて見えなくなってしまった。




