六畜
秋の歴史2023の期間中(~10/26)に投稿できそうなエピソードはこれが最後になります。
結局3話しか書けませんでした。
今回の話は「戦国クラス転生」144話「武田信玄」前後に当たります。
感想、誤字報告いつもありがとうございます。
私の名前は武田信玄。クラス全体が戦国時代に転生させられたうちの一人である。父信虎に国外追放され、転生者である義兄今川義元の力添えで一条房基殿の土佐で世話になっている。国外追放された際は武田晴信。今は出家して武田信玄と名乗っている。
前世の知識では土佐=長宗我部氏と記憶していたが、一条房基殿が土佐を統一し、伊予の一部も手に入れていた。転生者としての知識を駆使し、領内で農業改革を推し進めていた。甲斐は貧しく、奪うために戦ばかりしていたのでまるで別世界であった。今は伊予で一条家が広めている農業改革について学ばせてもらっている最中である。
土佐では畜産業が発達し始めていた。家畜の飼育が盛んに行わていたのだ。家畜といえば馬・牛・羊・鶏・犬・豚などであるが、この時代獣肉食は禁忌とされていた。だが全く食べられていなかったわけでもなかった。甲斐にいた時も鷹狩りなどをしていたわけで、鹿、猪、ウサギ、野鳥、熊、狸など食べる機会は多くあったのだ。体を作るためにも積極的に肉を食べるようにしていた。
牛馬については農耕や荷運びなど労働力として利用しているため食肉することは嫌悪されていた。伊予でみかける馬はポニーのような小型の馬ばかりであった。土佐馬と呼ばれている馬はそれよりも少し大きい馬ではあったが大人の背丈ほどの体高しかない種類だった。土佐での馬の役割は荷物を運ぶためであって、軍馬としては各地から体の大きい馬を集めて増やしている最中だと聞いた。羊は見たことはない。鶏は時告鳥として牛馬よりも食肉が嫌悪されていた。キジやカモなどの野鳥は食べるのに不思議なことであった。豚は豚らしい豚(?)は見たことはなかった。驚かされたのは犬が普通に食べられていたことだ。犬追物という犬を狩る弓術の練習方法があり、犬師という職人が犬を管理していた。
土佐では兵の訓練施設の近くには必ず牧場が整備され、共同の炊事場に食肉が供給されていた。牛馬の肉が出ることはなかったが、鶏の卵や肉はあった。放し飼いで飼育されている鶏は白い鳥ではなく、黒や茶色でちょっと細長い姿形の種類であった。多くは明との貿易で入手した種類を繁殖させて増やしたそうだ。土佐では鶏をケイとは呼ばずニワトリと呼んでいた。時告鳥のケイではなくニワトリという鳥を食べているのだとこじつけているのだそうだ。だから畿内でよく飼われている種類とは違うコーチンやシャモ、ウコッケイなどを輸入し繁殖させているらしい。そして牧場では鶏よりも多くのアヒルが飼育されていた。これは羽毛を集めるのが主目的で、その派生品としてアヒルの肉が多く供給されていた。豚は琉球からアグー豚を輸入し増やしていると聞いたがまだ数が少なく見る機会も食べる機会もなかった。
犬については一条家の領地内では食用は禁止されていた。犬追物も禁止。狩猟犬や軍用犬として訓練が行われていた。土佐犬と呼ばれていたのは闘犬のイメージの犬種ではなく、少し毛が短い秋田犬のような犬種で、柴犬よりも大柄な犬であった(現在の天然記念物である四国犬)。
牧場を狙うオオカミ、イノシシ、クマ、シカなどが狩猟されることもあり、兵士にはタンパク質が多く供給されており、土佐の若年層の兵士の体は一回りも二回りも大きい印象があった。酢、塩、味噌、酒などの調味料も潤沢であり、兵舎に併設されている食堂のメニューも豊富で甲斐にいた頃よりも充実した食生活が送れていた。
六畜とは馬・牛・羊・鶏・犬・豚の家畜を示していますが、戦国時代は食用の用畜ではなく、使役する役畜が多かったようです。飼料を生産するより人が食べる穀物を生産するのが精一杯だったでしょう。
犬は普通に(?)食べられていたようです。国の天然記念物に指定されている日本の在来犬種は今は6種類しかいません。多くの地方犬種は絶滅しています。日本在来馬は現存8種類。
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