戦国さしすせそ
今回の話は「戦国クラス転生」133話「サトウキビと黒糖」部分に当たりますが、本編を読んでいなくても楽しめるようにするために短い前置き説明を差し込んでいます。
感想、誤字報告いつもありがとうございます。
私の名前は一条房基。土佐一条家3代当主だが、クラス全体が戦国時代に転生させられたうちの一人である。1500年から1550年の間に生まれた人物を選択していく中で最後に選ぶことになり、一条房基を選択した。なお、生徒ではなく引率していた教師の一人であった。
京にある一条本家は五摂家の一つであり、曾祖父一条教房は関白にもなった人物で、祖父房家は応仁の乱のおりに曾祖父とともに土佐に避難し、土佐一条家初代となった。京一条家は祖父の次男である叔父房通が継いでいた。
土佐は山の恵み。川の恵み、海の恵みにあふれる土地柄で食べるものに困ることはなかった。ただ、調理方法が未熟で飽食の時代の記憶がある身には辛く感じることも多かった。基本的な調味料である砂糖、塩、酢、醤油、味噌のうち、塩と味噌くらいしか一般的でないのが原因と考えられた。
「さ」砂糖は100%輸入の超高級品。戦国時代の甘味料は麦から作った水飴か甘蔓の樹液を煮詰めたシロップくらいなものだった。砂糖は生薬と同じ医薬品扱いであった。転生前の知識を使って蓄財し、唐船(ジャンク船)をいくつも建造して海外貿易に手を出した。土佐は日明貿易の中継地点のひとつでもあり、祖父の代から日明貿易に関わりがあったところに巨額の投資を行ったのだ。
明との貿易の中継地点として琉球(沖縄)がある。アグー豚を入手することはできたが、サトウキビはなかった。琉球ではまだサトウキビも黒糖も生産されていなかったのだ。そこでサトウキビと黒糖の生産方法を明から入手し、土佐でサトウキビの生産を始めた。
砂糖(黒糖)の生産に成功した直後は嬉しくて、難しいことは文官達にまかせて甘味の製造にあけくれた。まずはアンコだ。アズキはサトウキビの栽培が成功するようになってから増産を始めたので少量しかないため、枝豆(大豆)を使ってズンダ餡を作っていろいろと作った。
「し」塩は転生前の知識を使って効率的な手法を導入した。専売制とし、担当奉行所に管理させている。塩以外にも紙と樟脳を専売制にしている。
「す」酢は古来から使われている調味料であり、京では酒を作る役所で甘酒や酢も作られていた。土佐酢は三杯酢に鰹節を加えたもので、まだこの時代に作られてはいないからその呼称は使われていない。鰹節もやっと製造できるようになったばかりなので最新の調味料といえる。
「せ」醤油はまだ製造方法が確立されておらず、試行錯誤しながら作っている。塩の大規模な増産推進は醤油への近道でもあった。一条家の厨房では魚醤として”へしこ”を作る際にできる汁も重用している。”へしこ”はサバの糠漬け。個人的な好物であったので製法を確立させた。
「そ」味噌は調味料ではあるが、直接おかずとして食べられることが多いようであった。そこで椎茸やイリコ、鰹節などできちんと出汁を取った味噌汁の普及を推進している。そのおかげで直接食べるものでないイリコや鰹節が名産として各地に販売され始めていた。
「料理のさしすせそ」は調味料を加える順番の略称であって、調味料はこの5つが全てではない。酒やみりん、唐辛子も調味料といえる。柚子胡椒にはコショウは入っていなくて、柚子と唐辛子が原料。多くの調味料から多くの料理が生まれる。美味しいものは人を笑顔にする。食の改革もまた戦のない世界へ近づくための一歩だと信じたい。
国産の砂糖の生産は鉄砲伝来よりも遅い1623年です。明から琉球にサトウキビの栽培と黒糖の生産法が伝わりました。
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