03『ほらー、驚いたでしょう』
チェーンの外れたママチャリを校門前に置いて、ゆっくりと、そして段々と速く、走り出す。曇天の空、絶対零度の大気、アスファルトの冷めた地面。
凍結した全てを僕が吸込み、そして吐く。
先程まで固まっていた体が熱を持って暑くなった。
ああ、この身で走るのは久しぶりだし疲れるな。
「はぁ、はぁ、……はぁ!」
住宅地の道路を走り抜け、街中を通り抜け、どこかへ向かう。
必死に走っている僕は相当に醜いのだろう、町行く人々から冷めた目で見られた。くそう、まるで獣を見る目で見やがって。自己嫌悪で病んで死にたくなるのを我慢して、無我夢中に走り続けた。
肝心の雪凪というのは、相変わらず浮いたまま屋根という屋根を超えてどこかへ向かっていた。しかも何が凄いって、町のヒトの視線に当たらないように道路側から死角になるようなルートを選択しているところ。
一瞬出てくる彼女の影がなければ、自分も彼女を追跡出来ていないだろう。
「なんでアイツ、あんなに忍者なんだよ!」
音もなくふわふわと飛んでいくアイツは、幽霊みたいだ。もしかすると本当に幽霊なのかもしれない。
ある程度まで走って、なんとなく向かっている場所に見当がついてきた。
「この直線上にあるのは、或間山か」
どうやら、目的地は山らしい。
太陽は沈みかけている。
早く追いついてママチャリの恨み……ごほんっ、あの浮いてることをキカナイト気が済まないし、家の門限に後れてしまう。
脚の加速もラストスパートだ、本気を出して僕は走ることにした。
看板を超えて、ガードレールを超えて、柵を超えて。
ただ進んだ。
◇◇◇
「げほぉぃ! ごほぉっ! うげぇ! あはぁ、はぁ、はぁ。疲れた。ああ、久しぶりに全力で走った」
逢魔が時。
膝に手をついて荒息で喘ぎながらも、森の海の空気を大きく吸い込んだ。それよりも、と辺りを見渡して舌打ちをする。
見失った、か。
この闇に飲み込まれつつある森の中でたった一人、人探しをするなんて不可能にも程がある。
「こりゃ、見つけるのはむり……じゃない。僕は探す」
下げていた顔を上げて、息を整えるついでに森を歩き始める。
北西の風が木々を靡いて、心地よい冬眠の環境だ。火照った体も風に当てられて冷えてきた。
枯葉がぺらりぺらりと落ちていく。
くしゃみが出そうでもある。
「へくしょん!」
やはり出た。
身震いしてしまうし、時間感覚も忘れてきた。
というか、これからどうしようか。
そんな悩み事が一つぽつんと浮かぶ。
帰り道ってどこだ。
同時に、昔聞いた話を思い出した。
樹海。元は富士山の麓の公園内に広がる森林地帯が、風になびいて森林が海のようにうねるように見えたことから樹の海と呼ばれていることを。
樹海と呼ばれるようになったらしい。そして、ここもまさに樹海とまではいかずとも大陸棚ぐらいはあるだろう。
大陸棚で迷ってしまったのだ、ボクは。
「そして、樹海には色々と怖い都市伝説があるんだよな」
そう、都市伝説。
名前は違えど、あらゆる時代、あらゆる土地、あらゆる世界に存在するであろう噂話だ。樹海にまつわる都市伝説として『樹海はコンパスが効かない、迷いの森』であったり『樹海にはそこら中に死体が転がっている』、『樹海には人を襲う動物がいる』などなど。
「……思い出せばどれも怖い話ばかりだな。いや、都市伝説ってそういうもんか」
人間というのは何故か知らない怖い話が好きなんだ。多様性? いやいや、これは絶対にそうだと僕は断言するね。
じゃなきゃ東西南北、古今東西、俳句や詩を始まりとして幽霊をテーマとした話が絶えないのは理由がつかないからな。
「樹海廉価版、大陸棚ね。冗談抜きで冗談にならねぇぜ」
で、だ。ここは大陸棚。
樹海の亜種みたいなものである。つまるところ、もしかすると────ここにも、そのような都市伝説が当てはまってしまうのかもしれないと考えてしまう。
まぁ僕は怖いもの知らずだし?
都市伝説とか聞いたって、怖い話を聞いたって、夜に一人でトイレ行けなくなったことなんてないし?
別に急に物音がしたって、驚かないし、叫び声すら上げやしないし?
「ぎゃぁぁぁぁぁあああああああ!!!!」
きゃぁああああああああああああああ!?
失敬。
思わず叫び声が森の中で聞こえてきたので、心の中で叫んでしまった。……ほら、ほらな? 急に物音がしたって僕は驚かなかっただろ? そうだろう? もっとも、驚きすぎて失神しかけて、口が開いて、喉と心臓と肺が破壊されて、絶叫よりも酷い状態だったのだが。
って、待て。
今の叫び声、誰のだ?
「あれ、聞き覚えのある声だなって……雪凪の叫び声じゃねぇか!?」
……めちゃくちゃ怖いけど、あの雪凪を捕縛するには絶好のチャンスだった。声、絶叫が聞こえた方に行けばきっとあの浮遊少女を見つけられるだろうしな。そうと分かってしまえば、帰り道なんて忘れて、声がした方へ吸い込まれていくだけで済む。
だから足を再稼働させて、僕は声の方へと全速力で走り出した。