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02『彼女に会った。そして呪いに遭った』

 高校の駐輪場はかなり寒い。

 いやま、場所を特定しなくてもそうなんだが。今日はとても寒い、もしかしたら雪が降るかもしれないレベルだ。

 少なくとも便利な携帯のお天気予報アプリには、そう映してあった。

 雪か。


 雪は好きだが、嫌いでもある。


「自転車漕ぐって話なら、滑るからなぁ。嫌いなんだよ、ブレーキなんて効かないし」


 赤いママチャリに跨って駐輪場を後にする。

 僕は吐いてしまった白い息を置いてゆき、ペダルを漕ぐ。あまりの寒気に、露出した指は凍り付いて、温度を忘れた。

 やばい、凍傷になっちまいそうだ。


 白いため息を吐いていると、一人の通行人が目に映った。蒼のコートに赤いマフラーを着る大学生っぽい、金髪な男の人のポケットから──何かが落ちたのだ。

 目を凝らして、その物体を確認した。

 黒くて、長細い。

 あれは、財布だ。


「流石に財布を落とすのは、焦るか」


 僕は乗ったばかりの自転車から下り止めて、財布を拾いに行く。手は今にも凍り付きそうで、非常に動かしずらいが我慢して、僕はソレを拾い上げた。

 そして走って名も知らぬ通行人に渡す。


「これ、落としてましたよ」


「……え? ありがとうございます、わざわざすいませんね。俺はドジなんですよね、あはは」


「いえいえ。財布をなくしちゃまずいですからね」


 彼は財布の中身を確認したのち、再びポケットに入れた。

 ……そして、こちらに一礼する。その青年は多分、僕より年上だ。だけれど、そんな年下にも丁寧な言葉遣いをしてくれる。

 それだけで、育ちの良さがわかるね。


 こういう人に奉仕すると、ああ、やってよかったと思える。


「じゃあ、本当にありがとうございました」


 そう言って彼はその場から去る。

 こういうちょっとした善行の積み重ねっていうのは大切なことだ。──見返りを求めるわけじゃない。ただ、そういうことをしていれば徳のある人間になれる、ってだけの話だ。


 それにこういう何気ないところで出来た何気ない縁というのは、何気ないところでまた結ばれるものだからな。

 やっておいて損はない。


 僕は止めていた自転車に乗り、再びペダルを漕ぎだした。


「さて、早く向かうか。善行をしてたって理由でも遅れたら怒られちまうし、というか、信じてくれなさそうだしな。それに待たせ賃とか取らされそうだ」


 ぶつぶつしゃべりながら走る。


「ああ、口も動かなくなってきた」


「喋ってると口の中に冷たい風が入ってくるからな。寒い寒い。うわ、雲が黒いなぁ。今すぐにでも降っちまいそうだ」


「しかも、寒すぎて神経が暑くなってきた。血液が集まってきてる、感覚が麻痺してくるのも納得だな」


 独り言をぶつぶつ幾千も並べて自転車の輪を回してみれば、汗をかいて寒さを忘れてきた。

 でも実際には寒くて、口が本格的に止まってきた。

 まぁ別に叫ぶこともないし、良いけどね。



 と、刹那。



 何かが──僕の前方を横切った。

 そこは、ただの歩道だ。それは最初、猫のようにも見えたし、散歩中の犬にも見えたし、僕と同じように帰宅中の自転車にさえ見えた。

 ふわりと浮いたような正体不明の物体。

 少なくとも財布ではない。財布は先ほど見た。

 違う、それは人だった。ヒトの輪郭を視認して僕は目をかっぴらく、瞳孔は大きく開かれてただ口を開くのだ。


 まずい、轢く。


 反射的にブレーキを握りしめ、タイヤは音を鳴らして慣性に抗う。

 しかし、止まれない。止まれないのだ。タイヤは摩擦熱によって熱を持って、音を鳴らしながら絶叫する。運動エネルギーが、別のエネルギーに変換されて逃げながら、自転車は速度を落としていった。

 しかし、止まれない。

 せめて当たらないようにとハンドルを右に切って、彼女から回避しようとする。


「ぎゃぁああああ!?!?!?」

 どうやら叫ぶこともあったらしい。


 まぁ、ああ、ぶつかるわコレ。

 学校退学オア停学の未来図を予見しながら、盛大にライダーは転んだ。ガラガラガッシャんと音を立てて。


「いってぇ……」


「わわ、大丈夫!?」


「いえ、そりゃこちらこそ。ってあれ、神楽鐘(かぐらがね)?」


 やれやれ、盛大に自転車から転げ落ちて制服が土まみれになってしまった美男子。ここに現るが、流石にダサイし、僕は何事もなかったように自転車を立てて起き上がり紳士を演じつつ、目の前にいるはずの声の主を直視した。

 体中がズキズキするが、それよりも相手側の心配をするべきだろう。


「って、は?」


 そこでやっと気付いた。

 ──神楽鐘(かぐらがね)雪凪(せつなぎ)

 金色(こんじき)のツインテールに、抜群のラインを描くスタイル、絶壁、僕の同級生である。


 僕とは正反対な存在。他者、クラスメイトからは絶大な人気を得ている、ただの──天才少女であり、人気者。

 なぜ人気なのか、その理由は瞭然だが、彼女の美貌、彼女の天才肌な頭脳、単純にスポーツができるといった具合に木色と同等レベルの役満であるからだ。

 良い意味でな。


 もっともコミュニケーション能力が低い? 壊れているという理由で、友達はできても直ぐに破綻してしまうとかなんとからしい。


 って、それどころじゃなかった。


 説明しよう、何故僕が彼女を見て驚いたのか。

 いくら出来損ないで劣等感ばかりを積み重ねて、初めから自己肯定感を高める癖があった僕とはいえど、ただクラスメイトからの陰の人気者的存在をみただけで絶句するわけじゃない。

 それは簡単なことだ。


「浮い……て、る、のか?」


 言葉通りの理由だ。

 そう、彼女は浮いていたのだ。瞬間的にではなくて、持続的に。ふわふわと浮遊霊みたいに浮いていたのだ。普通では有り得ない現象に反射的に瞳孔が開く。────まるで、この世界に存在しないかのように。無重力。

 制服姿だったため、スカートの中身が見えそうではあるが絶妙に視線が届かない。ここで太陽による影の存在と、自分の視力の悪さを初めて恨んだ……じゃない。


 開いた口が塞がらない。そりゃそうだ。

 だって、浮いてるんだもん。

 クラスでも浮いてると思ったら、物理的にも浮いてって?


 笑えるな、ああ、そりゃ僕のことだ。

 泣けてくるな。


 ではない。今は驚いている最中だったのだ。


「ばいばーい、ごめんーっ」


「は? おい、ちょっと待て。それ、どういうことだ!」


「なんのことかなー」


「そのことだよっ」


 繰り出す自虐の果てに、彼女は急にこちらに飛び出してきたことに触れないし、謝罪を一個、ぶっきらぼうに置いたと思ったら、なぜ浮いていることも説明してはくれず、そのまま浮いたまま飛んでいこうとしている。


 どういう理屈かも理解出来ないし。

 というか、そのまま帰るな。


「そのまま帰るな、おい、ちょっと待ちやがれ」


 雪凪は倒れた赤いママチャリと僕に一瞥すらせず、そのまま住宅地の天井へと突っこんでいく。誰が住んでいるかもわからない家屋の屋根の角を掴んで浮遊を制御、そして宇宙空間で加速をつけるかのように腕に力を入れてどこかへと飛んでいった。


「おい、おいーー!」


 精一杯叫ぶのだが、どうやら聞く耳持たず。

 鼓膜が破れているのか、びくりともしない。

 ダメだ。追いかけよう。

 僕は急いで倒れた赤色のマイ自転車を起こし上げ、跨った。


 しかし。


「くそっ」


 チェーンが外れていることに気付き、唾を吐く。


 なんてことだ。

 どうやら自転車を倒した時に衝撃によってチェーンが外れたらしい。直すのは自分でも出来るが、時間が掛かる。面倒くさい珍事だ。

 だがしかし運が悪いと思うものの、こうなってしまったは仕方がない。

 これは事故であり、過去だ。


 もしかするとこれは起こるべくして起こったものとも言えて、不可逆的でもあると言える。なにせ自転車は消費する物体なのだから。使っていればいずれ壊れるし、故障ぐらいする。だからそれが、ただ今日起きたというだけのハナシ。

 だからその件に関して文句を言ったって意味はない。

 文句をいったところで、解決はしないしな。


 故に必要なのはこれからの対処。


 アイツの名前は神楽鐘雪凪。僕のクラスメイトであり、クラスの人気者でもある天才。何を考えているのかは理解出来ない。

 だがあの刹那に、初めて僕は正視した。彼女の笑っておらず慌てている表情を。つまるところ、緊急事態ということだろう。


 普通に困っているだけなら、僕がいなくても仲のいい誰かが手を差し伸べてくれるはずだ。だがしかし今回は違う。

 つまり、僕の考えるべきことは『アイツを見逃すか、否か────じゃない。アイツをどう追うか』だ。


 自転車は使えないし、徒歩じゃ追いつかない。

 駅は遠いし、というかそんなことしてたら彼女を見逃すに決まっている。電車は思った方に進んでくれないのだから。

 ならば決まっている。

 僕が生まれして持つ、脚を使うしかない。


 数秒の逡巡(しゅんじゅん)の末、一つの結論に至る。


「走る、か」


 よし決めた。

 全力で走って追いかけることにしよう。

 大丈夫だ。二ヶ月前の運動音痴な自分ならダメだったかもしれないが、今ならイケる。

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