01『始まれ、救済譚』
西暦20XX年。十一月、二十三日。
「……無理だ」
「急にペンを止めて、何してんだよ」
「僕には解けないと云っている」
「はぁ? この過去問、正答率五十パーセントの問題だぞ?」
”人には二種類の存在がある”。
ぼくか、ぼく以外か。
お前か、お前以外か。
金持ちか、金持ち以外か。
勇者か、勇者以外か。
陰キャか、陰キャ以外か。
天才か、天才以外か。
凡人か、凡人以外か。
『否』。
それどころじゃない。その質問で分けるのならば、この世界において存在する回答は即ち無限だ。「○〇には二種類の存在がある。」その質問さえも無限だ。だがそれぞれの無限数の質問には、答えは二つしかない。
そうか、そうではないか。
ただそれだけなのだ。だから世界というのは案外、無限とたった二つの回答で出来た単純構造であり、説明するのは簡単なのだ。
少なくとも、僕はそう考えていた。
しかしながら、まことに遺憾ながら、例外もある。
「……だがしかし、国語。こいつは違う。お前の答えは有限じゃない、無限だ! 面倒だよ本当にさ。国語の問題ってのは許せない」
「なぁ、何言ってんの? さっきから」
問題の種類が無限なのが許せないんじゃない。
僕は、答えが有限じゃないのが許せないのだ。
「さっき説明しただろ。無限数の質問と、有限の回答だよ。それは許せる、だけど国語のこの問題ってのは答えは有限ではない。無限なんだよ」
「ん~、何の話をしてんのかわかんないが。今回の場合は文字数制限があるし、答えても問題に合ってなければ正解じゃないし、つまりつまり答えは有限だろ」
眼前。現代文、大問一。
『この△△が○○を■■した時の心情を、文章中の言葉を使って四十五文字以上~五十五文字以内で書きなさい。』
「いやいや、僕が言っているのは国語全般の」
「俺たちが解いてるのはこの問題だろ、なぁ」
「うぐ。いやまぁ、そうだけど」
「屁理屈言わないでさっさとやるぞ」
男勝りな強気な発言が目立つ、この少女の名は秋葉木色。ショートボブの黒髪に、透き通る黒き眼。
女子高校二年生。僕の同級生であり、幼馴染であり、竹馬の友。加えてスラりとした体型で、巨乳。そのビックな態度や胸とは真逆で、黙ってさえいれば幽霊のようで、人形のようで、影が薄い。その場に溶け込む。
そしてスポーツの成績も優秀、勉強も優秀。大体、テストでは学年二位ぐらいをいつも維持している。
才色兼備のお嬢様。性格には難あり。
あれだ、黙っていれば可愛いのに。ってやつだ。
性格が損してるってやつだ。
だから周りからは避けられているらしい。
時々、クラスメイトの「神楽鐘さんは羨ましいねぇ」と言っていたりしている。コイツも出来るタイプだから、それよりも上を行く天才の存在に何か思うところがあるのだろう。
ん。というか屁理屈じゃねーし。
ちげーし。
僕は心の中で、ツッコミを入れておく。僕が言っているのは整然とした論理を展開しているだけで、決して屁理屈と呼ばれるものではない。
「へっ、屁理屈って言われて不服そうだな緋色坂クンよ」
「もちろん、屁理屈じゃないからな。その事実否定の過ちは赦せん」
「一々細かいんだよな。もうちょっと大雑把に生きたらどうだ?」
「無理だね、この徒京には」
一々細かいことを気にすると評価されるこの男こそが緋色坂徒京。ぼさぼさの整ってない髪に、濁った双眸。勉強全般、スポーツ全般が得意ではない。
基礎ステータスEといったところか。
嫌いなものはこの世界とトマトジュース、大蜈蚣と幽霊、好きなのは僕の脳内世界とラノベに、辛い物。
そう、それこそが僕だ。
なるほど。
一言だけ付け足しておくとすると、緋色坂徒京は一々細かいことを気にする人間ではなく器の広い美青年である。
「因みに嘘だぜ」
ぼくはたちあがって、さけぶ。
「っぼくの脳内を視姦するな! それに否定するな!」
「なんだ、また自己肯定感高め癖が脳内で発動してたのか」
「してねーよ」
因みに嘘だが。
それは彼女には捉えられることのできないフェイク。
「自己肯定感高め癖ね。この僕に、本当にそんなものがあるとでも?」
「あ? そりゃそうだろ。一言一句そのすべてから滲み出てるし」
「具体的にはどういうところだよ」
「だからその全てだって」
椅子に座って、腕を組む。
まあ。その答えはやはり察した通りであったが、なるほど。僕だってその癖には幼い頃から悩んでいるんだ。
自己肯定感を高くしようとしてしまうのは、産まれた時からそうだった。
直そうとしても治らない不治の病。
「あのなぁ、云っとくが僕だってその癖にずっと困ってるんだよ」
「オレだって困ってるよ、テメェのその怠惰さには」
「…………あのなぁ、誰のせいでこんな性格になったと思ってる。小さい頃に、何かあるたびにお前
に殴られたことを僕は決して忘れやしないぞ?」
「へっ、だから一々細かけぇんだよ」
眼、細めて彼女は嘆息を吐く。
このままだと、僕の性格についての話題になりそうだ。
うむ。人間にある”癖”だって性格みたいなものだろう。
というか、半ばその話題になっている。話題とは言っても、侮蔑のコトバだらけ。心地よくはない。話題にしてほしいもんでもない。
ああ、神様がいるなら僕を助けてください。
この不幸で最凶で、最悪で、破滅的で、壊滅的な緋色坂徒京に。
ああ、でも神様なんていませんよね。
知ってます。分かってますよ。
だから自分は、自分で自分に祈り、自分を救いあげるのだ。
話題を変えてやるぜと心の中で意気込んで、言う。
「こほん、と。貴様、どうやら悩んでいるような顔だな」
「あ、は? 急に話題が変わったな」
「ごほっっんっっ。失敬、わたしくし紳士だから、気になってしまうのよ。そんな悩んでいる顔をみると」
「一度殴ったほうがいいか?」
再び立ち上がって眼前の猛獣から身を引こうと、飛翔するように後ずさりする。
「やめろ、それは冗談抜きに」
「お前ビビりすぎるだろ」
椅子が後方に倒れ、ガタンと大きな音を鳴らす。今が週末の放課後、高校の中でも人気がない図書室じゃない限り怒られているだろうほどの大きな音だ。
自分自身が原因で鳴らした音なのにも関わらず、自分でビックりして肩がビックんと震えてしまう。
そして同時刻、トラウマが脳裏をよぎる。
痛い。ああ、痛い。
殴られた幼き頃の記憶。
口喧嘩しては殴られて。ゲームでこちらが勝ったら殴られて。試合に勝ったら勝負に負けて、殴られて。
木色は暴力少女だ。
僕はそれを痛感している。
「にしても、本当にないのか? 悩み事とか。え? いやなに、僕の悩み事? いやいや、今はそんな話してないし、興味ないだろ? でも、木色。お前は流石にあるだろ、年頃の女の子なんだしさ」
「オレはまだ何も言ってねぇ。しかも今はそんな話していた」
「まぁ、何かないのか」
もう一度、椅子に座って。
「んーあー、そうだな」
「む?」
「最近だなー、というか、今日。せっかく俺様が勉強を教えてやってるのに屁理屈ばかり言って話を逸らしてるやつがいるんだよなぁ。まじ勘弁って」
「どこかで聞いたことある話だ」
最近、しかも今日って。
悩み事って意外にも、まじかにあるもんなんだなと実感する今日この頃。しかも最悪な野郎だな、ソイツ。
勉強を教えてもらってるのに屁理屈ばかりで話を逸らしてるやつ?
そんなヤツいたらムカつくだろうな。大変だろうな。絶対、もう勉強教えてやんねーなんて思うだろうな。
そしてそんなヤツって、僕だろうな。
「……さて、他にないのか。他に。もっとマシな話でさ」
「最近だなー、というかここ一週間。今までサンドバッグになってくれてたあるヤツが、自我を持ち始めたのか逃げるようになってなぁ。一々捕まえるのが大変なんだよ」
「どこかで身に覚えのある話だ」
最近、しかもここ一週間て。
やはり悩み事って意外にも、まじかにあるもんなんだなと改めて実感する今日この頃。しかも最悪な野郎だな、ソイツ。
こんな美少女のサンドバッグになれるっていうのに、逃げるって?
そんなヤツいたらそりゃあ、さぞかしムカつくだろうな。捕まえるの大変だろうな、もう一生関わってやんねーと思うだろうな。
そんなあるヤツって、僕だろうな。
────待て。
「全部、僕に対しての間接的な文句じゃないか! しかも、質が悪い。一個目のはトモカク、二個目は完全に! お前に! 非があるだろうがっ!」
「っち、バレたか」
「逆にどこでバレないと思う要素があるんですか、秋葉さんっ」
「自分で探すのが、学になるから教えねぇよ」
鉛筆の先端をこつんと机に立てて、彼女は嘲笑する。
反論の余地がない煽りだ。
学力が僕よりも圧倒的に高い木色だからこそ、この緋色坂に圧倒的な煽り効力を発揮するのだ。
解説していて、更に悲しくなった。
理解するということは、最も心に刺さる行為なのだ。何事においても。
「あーくそ、もう手が付けられっ」
「いくぞー、3……4…………!!」
「待て! まだ殴るには早い。というかカウントダウンのくせに増えるな」
「…………1!」
「急に減少するな!」
叫び過ぎて喉から吐血してしまいそうである。
今から水を飲んでも、もはや手遅れ。というか木色は此処が学校内であるのに、構わず暴力を振るおうとしている。
右こぶしを振り上げて標的は我が心臓に。
まずい、避けきるには時間が足りない。
やばい、本格的にコレはまずくてやばい。
秒速五キロメートル。
早すぎるますよ、あんたの拳。
僕じゃなきゃ見逃しちゃうね。
まぁ、僕も視認出来るだけで反応は出来ないのだが。
殴られるまでレイテン一秒前。
眼を瞑り、死後硬直した。
まだ死んでないけど。
「ちょっ」
『ピピピピピピピピ!』
「あ?」
拳は止まって、ポケットに入れた携帯電話を起点に着信音が始まる。
誰からだろうか。そして長年の付き合いというわけで温情か、彼女は拳をほんの当たる寸前で止まってくれた。
助かったなぁとのんきに安堵を一丁。
時間が静寂に包まれて、僕は携帯をポケットから取り出す。
「はし、もしもし」
「お。やっと出たかね徒京クン。ん、何か息が荒いが、大丈夫か? 女に迫られてたりするのかね? そりゃ失敬」
「いや、猛獣に殺されかけてたってうえっぶ、おい! やめて! 痛い!」
「おーおー。大丈夫そうだね」
電話に出た数秒後、何故か左頬は赤く腫れていた。
「いや、大丈夫ではない」
「若いから大丈夫だろう、ああ、うん。……それで徒京クンよ。出番だよ」
「あ、出番すか。乱暴なのは嫌ですよ」
「おーおー。大丈夫そうだ、多分だがね」
「え、ちょ」
それって大丈夫じゃないっていう意味だ。
直感が全てそう絶叫している。
「場所は或間街の駅前、パン屋さん夢丸で。そこに来たまえ」
「は、なぜパン屋?」
この疑問に答える前に、彼は電話を切る。
「……はぁ」
やれやれ、いつも通り。
何て人遣いの悪いヤツだ。
いいや。あれはもはや、人と呼べる存在じゃあない。
口内が切れたのか、液体がこぼれて鉄の味が舌に津波として伝播した。
「誰からの電話だ?」
「ん。そうだな。あえて表現するなら、お前よりも恐ろしく、バイオレンスな冗談抜きで冗談が通じない、半ば詐欺師の”探偵”だよ」
「?????」
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