【第一章:3話】小さな太陽②
――ひとまず食事をとることにした私たち。
食卓に目を向ければ、ちょこんと大人しく席に座っている幼子。
(お腹を空かせているのだから、パンだけって訳にはいかないわね)
そう思った私は、先程パンと一緒に買ってきたトマトをたっぷり使ったミネストローネを作って彼の目の前に用意してやった。
「……!」
少年は湯気の立つスープを見るなりその瞳を輝かせている。
「口に合えばいいけど……」
「これ、全部食べていいの……!」
誰かの為に作った料理なんていつぶりだろうか。もしかしたら初めてかもしれない。
しかしそんな私の不安とは裏腹にキラキラと瞳を輝かせている少年を見ていると、そんな不安も無くなってしまう。
「ええ、好きなだけ食べなさい」
「……」
(……?)
先程の嬉しそうな様子からして真っ先に口に運ぶと思ったのだが、少年は目の前のスープにもパンにも手をつけることは無く、ただをじっとこちらを見つめていた。
「スープは嫌いだった……?」
「へへ、ううん」
私が尋ねると、少年は何故か口元に無邪気な笑みを浮かべながら首を横に振る。
子どもの考えていることは全く理解が困難だ。今のやり取りの中で一体何が面白かったのか。私には分からない。
「だって、おねえちゃんうれしそう!」
「……え」
(今……なんて?)
……この子は一体何を言っているのか。理解するまでに数秒の時間を必要とした。
「……!?嬉し、そう……?私が……?」
「うん!」
一瞬の間も空けず笑顔で頷く少年。
まさかそんな顔をしていたなんて自分でも信じられない。感情なんてもの自体、とうの昔に捨て去ってきたというのに。
(……)
まるで、自分がまだ〝ひと〟であることが許されたような……肯定されているような気分だった。
はは。こんな幼い子どもの発言ひとつで大袈裟だと思うか?
だが、随分と長い時を独りで過ごしてきた私にとってはこの子の発言や表情のひとつひとつが新鮮なものに感じるのだ。
「おねえちゃん……?」
私が何と答えるべきか迷っている内に、少年のアクアマリン色の瞳がだんだんと不安げに揺れだす。
「あ、いや……その……」
私は軽く深呼吸をすると、今の気持ちを素直に答えた。
「ええ、そうかもね」
死ぬことが許されないまま何百年も独りで生きてきた私。
孤独には慣れていたはずなのに……いや、慣れた『つもり』だったのかもしれない。
結局のところ、私も寂しかったのだ。そしてそれを認めたくないが故に、感情を捨てた『フリ』をしていた……
「えへへ、やっぱり!」
無邪気な明るい声でふと我に返る。
子どもというのは忙しいくらいに表情をころころと変える生きものだ。こちらの都合なんてまるでお構いなし。
しかし悪い気はしない。それどころか胸に温かいものが流れ込んでくるようにさえ感じる。
(そうか。これが……)
これが……〝嬉しい〟という感情なのだな。
「ほら、冷めないうちに食べちゃいなさい」
「うん!いただきます!」
少年は元気に頷くと、まずはスープを口に運ぶ。
「おねえちゃん……!おいしい!!とってもおいしいよ!!」
「まったく。ようやく食事を始めたと思えば……ほら」
少年の口元に付いたパンくずを取ってやると、彼は年相応の無邪気な笑顔のまま「ありがとう」と返した。
みるみるうちに容器の中身が減っていき、やがて空っぽになる。
「ごちそうさま!」
この上なく満足そうな表情を浮かべる少年。
ほんの数時間前まで凍え死にかけていただなんて信じられない程元気なその姿に思わず頬が緩む。
「口に合ったようで良かった」
(あ、そういえば……)
ふとある疑問が頭をよぎった私は、スープが入っていた容器を下げながら目だけ少年の方に向け
「まだ名前を聞いていなかったわね」
「なまえ……?」
少年は私の問いにきょとんと首を傾げながら、一生懸命に考える素振りを見せる。
「もしかして……自分の名前が分からないの?」
「わかんない……」
そう答える彼の顔に『悲しい』という感情は一切感じなかった。まるで名前が無いことが当たり前のような……
それもそうか。『名前』は親から子への最初の贈り物。捨てる子にわざわざ名前など付けないだろう。
「そう……なら、今決めましょうか。これから呼び名が無いのも不便だしね」
「……!」
この子は些細なことですぐに瞳を輝かせる。先程のスープの時も、今だってそうだ。
私が付ける名前をキラキラとした表情で待つ少年。ずっと暗闇で生きてきた私には眩しいくらいだ。
そんな彼にふさわしい名前は、一つしかない思い付かない。もちろんいい意味で。
「……決めたわ」
私はひざを折り、少年と同じ目線になってあげる。そしてその小さな頭にそっと手を乗せ、
「あなたの名前は『ソレイユ』ね。太陽……お日さまって意味よ」
そう私が告げると、
「ソレイユ……おひさま……」
この上なく嬉しそうにその言葉を繰り返す少年。
「気に入った?」
「えへへ、うん!ぼくのなまえはソレイユ!ありがとう、おねえちゃん!」
「……っ!」
少年……ソレイユはそう言いながら、先程と同じように勢いよく私の首の後ろにその小さな両腕を回した。
(温かい……)
「ぼく、なにかもらったのはじめて!」
「……そう」
こういう時、どういった言葉を投げてやればいいのか。会話に慣れていない自分がもどかしい。
「ぼくはソレイユ……!じゃあ、おねえちゃんのおなまえは?」
無垢な瞳を一切曇らせることなく尋ねる小さな太陽。
「ああ、そうね。私の名前は……」
自身の本当の名など、とうに忘れてしまった。
けれど……今の私にふさわしい名なら既に思い付いている。
(『ふさわしい』よりも『憧れ』の方が近しい、か)
この子が微笑むと元気を貰える。暗闇にいた私に光を見せてくれる。あなたが太陽なら、私は……
「私の名前はルナ。よろしくね」
「ルナおねえちゃん……すてきなおなまえ!」
「そ、そう?……ありがとう」
ただの自己満足な名だが、それも『素敵』と言ってくれる……
何故こんなにも優しい心を持っているこの子が捨てられなくてはならないのか。人間とは本当に残酷な生きものだ。
温かく眩しい光を放つ幼い太陽。この光を曇らせたくはない。
安心してソレイユ、あなたは必ず私が守る。もう二度と寂しい思いなんてさせさせない――




