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 私は恋を知らない。知りたいと思ったこともない。

 だから気にしてこなかったんだけど、ふと気付いてしまった。

 私は恋をしたことがない。

 今にして思えば、昔は恋をしていると誤解されていた。

 それどころか今だってそうかもしれない。

 小学校に入学したその日、彼と出会った。

 あぁ、違うか。出会ったなんて綺麗なものじゃない。

 一番好きな服を、一番綺麗に着られて、それを崩してしまうのが勿体なくて、家を出る前にトイレに行くのを渋った。別に行きたくなかったし。半日なら大丈夫。もし行きたくなっても我慢できる。入学式が終わったら写真撮影があって、その後ならトイレに行ける。

 でも、失敗だった。

 学校に着いてすぐトイレに行きたくなった。

 幸い小さい方だったけど、お母さんに言えば、家を出る前にあんなに言ったのにって怒られる。それが嫌で、もう一年生なんだから怒られたくないって、こっそり抜け出した。

 けど、失敗だった。

 トイレが見つからなくて、もう歩くのも大変になってきた時、彼と目が合った。

 何故だか同じ一年生だとすぐに分かった。同じ一年生、同じく入学したての彼が訳知り顔で見ていた。そんなになんでも知っているような顔をしているならトイレの場所を教えてほしい。早く、早く。

 思っていても気付いてくれないのに、彼はずっと訳知り顔だった。

 そのうち、どこからかお母さんが走ってきた。お母さんはすぐに気付いてくれて事なきを得たけど、トイレから戻った時、彼はもういなくなっていた。

 まさか漏らすところを見たかったんじゃないか。

 恐るべき可能性に思い立ってしまったのは、小学三年生の時。

 一年生なのにそんなエッチなこと考えてたなんて、と全身が震えそうになった。

 それで本人に訊ねてしまう辺り、私はまだ子供だったのだろう。

 ちなみに彼は「……ふぇ?」みたいな、なんだか間の抜けた声で返した。彼はもっと子供だった。大人がどんな目で私たち子供を見ているのか知らないようだ。私が引っ張っていかなくちゃ。

 ……なんて思ったのかは覚えていない。

 でも多分、私たちは対等だった。

 お互いにお互いのことを馬鹿にしていた。こいつは馬鹿だ、自分より下だ。手のかかる奴だな、って。そういう対等。

 それに気付いたのはいつだろう。

 分からない。

 いつの間にか当たり前の認識になっていて、幸か不幸か、それは私たちの共通認識でもあった。

 ただし残念ながら、一つだけ認めなくちゃいけないことがある。

 彼の方が背が高いのは、彼が男で私が女だから当然。この世には平均身長というのものがある。だから私が負けているわけじゃない。

 でもテストの平均点数は男も女も一緒くたに割り出されるから、多分男と女で同じくらいなんだろう。

 そのテストの点数で、私はずっと負けていた。

 なんなら惨敗していた。

 彼は休み時間になると廊下やグラウンドを駆け回る。私はぼーっとしながらも前の授業で習ったことを考える。

 なのに点数は十五点も違うのだ。

 十五点の大きさは、小学生にとって問題三つ分。もしくは難しい問題一つと、そうでもない問題一つ分。

 だからどうしたって話だけど、私はその難しい問題をよく間違えた。テストの最後にあるやつだ。いつも、もう少しで解けそうなのにってところで時間が足りなくなる。彼はその時間、答えの確認をしていたという。卑怯だ。

 だから毎回、私が十五点も低くなる。最後の問題と、最後に見返して直せなかった一問分。時には二十点低くなることもあった。

 それが彼と私の明確な差、絶対的な『頭の良さ』の違い。

 中学に上がっても、その差は縮まらなかった。むしろ広がった。

 点数配分が細かくなって、毎回同じだけの差が付くことはなくなったけど、それでも二十点は差が付く。ひどい時は倍も違った。なんで九十八点も取れるの。

 聞いたら「お前、馬鹿だろ」と言われた。怒れなかった。私もいつもは彼のことを馬鹿だと思っているから。

 いつかの放課後、地面に落ちていたスチール缶を蹴り飛ばした時、私は缶の行く末を見ている傍らで彼は私のスカートの下を凝視していた。

 ただ見ていたわけじゃない。隠れることなく、がっつり凝視していたのである。馬鹿だ。大馬鹿者だ。

「えっ」

 驚いて声を零したら、彼は涼しい顔で言った。

「ありがとう。君は俺たちのヒーローだ」

 死んじゃえ、と言わなかっただけその時の私を褒めたい。

 でも我慢したわけじゃなくて、いつも『お前』としか呼ばない彼から『君』と呼ばれたことに舞い上がってしまったのだ。そういうところが私は馬鹿なんだろう。彼はその時、『俺たち』とも言っていたのだから。

 彼に見られることは十歩ほど譲って我慢できても、他の男に見られるのは我慢ならない。

 もし仮に何かの間違いでそういうことのそういうものにされたら、世界を滅ぼして余りある怒りが臓腑を焼きかねない。あれ、臓腑ってなんだっけ。どこの臓器?

 まぁいいか。

 そんな私だったから、周りからは恋する乙女のように扱われていた。

 いつでも彼を見ていて、その時の私の表情は、きっといつになく馬鹿っぽかったのだろう。

 でも、断じて言うけど、彼に恋心を抱いていたわけじゃない。

 最初の頃は知らないけど。一年生の時、同じクラスだと知って最初に抱いたのは恥ずかしさだった。あの子は私がお漏らししそうになったのを知っている。それを言い触らされないか心配もしていた。

 それから何がどう転んで、今みたいな関係に落ち着いたのか。

 ちょうど中間に位置するはずの思い出が曖昧で、手を伸ばせばはらりと消えてしまう。

 けど、今のことなら分かる。

 私が彼に抱く感情を一言で言い表すなら、それは友情だ。

 友達を想う心と書いて友情……じゃないな。情はどこから出てきたんだ。

 正しくはそう、友達を想う感情と書いて、友情。

 恋人を想う感情と書く恋情とは、全くの別物だろう。

 だから私は恋を知らない。知りたいとも思わない。

 恋をしたことがなくたって、構うものか。

 そこに彼がいる。私がいる。

 二人の間には友情があるのだから、恋情なんてなくていい。

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