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 後悔したことがないと言えば嘘になる。

 今がまさにそうだった。

 なんで俺はハンバーグなんて注文したんだろう。

 最初から諦めてコーヒーとティラミスでも注文すればよかった。

 冷めてしまったハンバーグは脂が白く固まり、見た目も味も受け付けない。

 まぁ、食べるけどさ。

 食べ物を大切にするとか払った金が勿体ないとか、そういう話じゃない。自分で注文した料理を残す、そんなみっともない人間だと思われたくないだけ。

 ファミレスの店員は知り合いじゃないし、マニュアル通りに動くだけの他人に何を思われても気にする必要はないはずなのに、どうしてだか見栄は張りたくなるものだ。

 彼女もそうなんだろう。

 俺とは知らない間柄じゃない。というより、この世の誰よりお互いのことを知っている自信がある。

 いや、胸を張って言うことじゃないな。他の誰にも心を開かず、他の誰にも興味を持たなかった結果、お互いしか残らなかっただけ。

 まぁしかし、それはそれで良いところがある。

 お互いにだけ集中できるところだ。

 八方美人ではないにせよ、幅広い交友関係を保つ人間には、俺たちのような深く重く、身を削るような関係性は生まれ難い。

「食うか?」

「ん」

 マジかよ。

 冗談で言ったつもりなのに頷かれて、不承不承、冷めたハンバーグを切り分ける。その一片をフォークに刺して口元にやれば、ほとんど機械的な動きで咀嚼し、嚥下までされた。

 マジかよ。

 こんなゲテモノと化した冷めハンバーグを無表情で食えるとは重症も重症だ。

「かなりヘビーな感じ?」

「お前んとこにだって連絡行ったんだろ」

「知らねえな」

「知らないわけないだろ」

「蓋を開けてみるまで、お前のことか知る由はない」

 彼女が鼻で笑う。

 ようやく表情が生まれた。それだけで軽口に価値はある。

 だがまぁ、言われたことは否定しようのない事実だ。

 バイト先で時間いっぱい働いて、スタッフ用の休憩室に引っ込んだら彼女がいた。ロッカーに置いていったスマホには合計で二桁に達する着信履歴と新着メッセージ。差出人は三人。俺の父と、母と、彼女の父だ。何が起きたのかなんて想像できない方がおかしい。

「留年、することになった」

「で?」

 言葉は返されない。彼女は言葉を紡ぐ代わりに唇を噛んでいた。

 留年なんて目に見えていた話だ。

 二年になってどれだけ経つ? その間、学校に行ったのは何日? 出席した授業の数は?

 遅かれ早かれ宣告されることだったはずで、どの道、来年の春から三年生になる可能性は皆無だった。

 なのに何故、今になって騒ぐのか。

 期待していたわけではあるまい。何かキッカケがあって、また学校に通うようになるだなんて。

 むしろ逆だ。そう無理に追い掛けずとも、いずれ自ら袋小路に入ってくれる。そうやって逃げ道を失うまで待って、親であり大人の権限を振りかざしに来ただけ。

 全くもって正しいよ、その手際には惚れ惚れする。

 俺も親になって、子供が非行に走ったら真似させてもらおう。

 問題は俺が親になる日が来るかということだが、もしかしたら三年生になるより早いかもしれない。

「もう、帰れない」

 だろうな。

 何日どころか何ヶ月も実家には帰っていなかったのだ。ずっと俺が一人暮らしするアパートで寝起きしていた。その家賃は当然、俺の親の支払いである。契約も俺と大家ではなく、親と大家の間で結ばれたもの。

 彼女の居場所は彼女の両親にまで筒抜けで、だから捜索願が出されずに済んでいた。

 そんな俺たちの家に、今は四人の大人が集っていることだろう。

「誘ってるつもりか?」

 頑張ってクソ野郎の声を作ってみたが、思いの外いつも通りだった。

 つまり俺は、いつでもクソ野郎ってわけだ。

 ちなみに返事はなかった。五分、十分と待っても彼女は口を開かなかった。ハンバーグを切り分け、フォークに刺してやれば口を開いた。咀嚼、嚥下、沈黙。

「この後、ホテルに行こうって言ったらどうする?」

 ホテル行くぞ、とは言えない自分の弱さに泣きそうになる。

「財布寄越せ」

「五万しか入ってない」

 油断していた。いつもは諭吉さんが十人ほど集会している予備の財布を鞄に忍ばせているのだが、今はそもそも鞄ごと家に置いてある。

「それで十分」

「安いな、初物の十七歳が五万か」

「お前以外には売らない」

 俺だから売ってくれるのか。そこがタダの上に恋愛感情のオマケ付きなら舞い上がれたんだけど……いや、どうかな、案外そうでもないかもしれない。

 フォークでつつくハンバーグみたいに、本来は甘く温かいはずのそれが白く冷めてしまった可能性もある。

 彼女は美人だ。スタイルもいい。欲情しないと言えば嘘になる。

 でも不思議なほどに、恋情は生まれなかった。

「なんにせよ、五万なら安いな」

 少し小さすぎるポケットにねじ込んであった財布を引っ張り出す。

 更にその中から、揃いのお偉いさんが五人。ポーカーならフォーカードにジョーカーまで加えた大盤振る舞いである。そんな役があるのか知らないけど。

「財布ごと」

「こことホテル代がなくなる」

「下ろしてこい」

「仕送りしか入ってないんだよな、あそこ」

 親の目が届くところに生命線を預けられるわけがない。

 彼女はふっと笑うでもなく息をつき、五万をくしゃりと握り込んだ。それきり存在を忘れたかのように、拳が脱力する。一枚が乾いた音を立てて椅子から、そして床へと落ちていった。

 俺のn時間が今はファミレスの汚れた床だ。

 席を立つ。

 と、千々に切り分けられたハンバーグが無残な目で俺を見上げていた。

 そんな馬鹿な。

 よく見れば、銀色の皿に俺の両目が映り込んでいただけだ。流石に鏡ほど鮮明な姿ではなく、かろうじて目の位置が分かる程度だが。

 仕方なく、皿を持ち上げる。

 彼女も席を立っていた。その靴が何かをくしゃりと踏みつける。俺のn時間だった。彼女はそれを通路に蹴り出した。それから拾う。

「仕方ない、ここは私が払ってやる」

 下手くそな笑顔に、腹がずしりと重くなった。持ち上げていた皿をテーブルに戻す。

 肉片たちよ、パニックホラーで人食い鬼が眼前で回れ右した主人公とヒロインの思いを想像できたか。ならば喜び、感謝するといい。

「俺は馬鹿だな」

「私も馬鹿だ」

 お似合いだな、と声に出さず笑った。彼女は悲しそうに俺を見ていた。

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