織田右府小唄好むこと
今は昔、織田右府若かりし折小唄好むなり。「死のうは一定しのび草にはなにをしよぞ一定かたりをこすよの。」とよく謡い侍るなり。織田右府未だ尾張に居りしころ、道を歩みつつ例の小唄口遊みて侍る。伴には前田又左右衛門、佐々内蔵助侍るなり。両人も例の小唄口遊みてける。町に着くに右府未だ例の小唄口遊みてければ、道往く人々「何事なるや。」と目を見合わせるなり。やがて、目当ての処に着くに右府共腰を下ろして休み侍る。しばし休むに道往く童らの例の小唄口遊みてけり。又左右衛門これを見て曰く。「此殿の謡ひ癖が写り申し候や。」と。右府此を聞くに「比興のことなり。」とぞと申す。またしばし居るに商人風なる者例の小唄口遊みて道を往きける。此を見るに佐々内蔵助曰く。「此度も殿の謡ひ癖が写り申し候や。」と。右府是に答へて曰く。「比興のことなり。」と。さて、日暮るるに右府らもとの城へ帰り侍る。右府城へ戻るに美濃の姫君迎へけり。右府町にて人々の小唄謡ひけること申すに美濃の姫君申して曰く。「其れは御殿の謡ひ癖が写り侍るものに候や。」と。右府此を聞きて曰く。「又左右衛門も内蔵助も同じく申すなり。」と。美濃姫此を聞くにからからと笑ひける。右府是を見るに「汝何故笑ひ申すか。」と問う。美濃姫答へて曰く。「我美濃に居りしとき父道三の申すに『領主は風にして領民は草なり。』とぞ。我今御殿の話を聞くに斯くのことを思ひ出しけるなり。」と。右府是を聞くに「比興のことなり。」とからからと笑ひ侍るなりと。