なろうにおける多様性について
なろう作品は似たようなものばかりってのは私は誤解してた面がある。私は無自覚にアニメにおける批判となろうの中の批判を混同していた。敢えて言い訳をさせてもらうとアニメ視聴者に向けたなろうネガキャンの主体はなろう読者の批判的な意見の人じゃないか?と私はずっと疑っていた。
妄想だろ?と言えないのは、何故か先の展開や未アニメ化作品をを話し出してさらに追い打ちをかけて悪口を言う人がかなりいるのだが、これおかしくないだろうか?この先もっとひどくなるぞと言うのが予言通りになったと今アニメ視聴者は見てるようだ。この予言なろうの中からの意見だと考えない方が不自然だ。
たまたま素性がばれてしまったけど、ばれてない人間でもこういう人間がわんさかいると思われる。
アニメにおけるなろう作品の批判となろう内における同じものばかりって批判を似たようなものだとするのは仕方ない面があるのは理解してもらったかと思う。ただこれ間違いは間違いだった。
なろうの外の批判をなろうをジャンル的なものとして考える部分が弱い。何故偏ってるのか?と言うとそもそも異世界ファンタジーってジャンルの作品ばかりがアニメ化されてるからで。根本的にこれ一つのジャンルの話なので、推理小説などが似通ってのとなんら変わらん。漫画が実写やアニメ化などされるのと比べて漫画と大きく括った場合の多様性が有るわけがない。
なおかつここに、なろうには独特のファンタジーだけが多い。私はライトダークファンタジーと呼んでいる。正直言えば自分でも何を言ってるか?分からない。ダークファンタジーだけどライト感がある。ただ明確に何か違うってのは分かる。例えば今やってるオルタンシアサーガと言うゲーム原作のファンタジーがあるが、これを見ればすぐわかる。
メイドの女の子がいるのだが、この子何か浮いてないか?って意見がちらほら出る。多くの人は最初また異世界ファンタジーかと見てたら、これ普通になろうじゃないファンタジーだったと分かったようだ。その視点で見るとこのメイドの子の言動すべてが違和感があると。このメイドの子が自然と馴染むようなものがライトダークファンタジーだろうと思ってる。
一人のキャラクターだけ違ってもダメなんだ。全体で何か違うってものを作り出さないと。実際はもっと数多くのものが大量にあるが。なろうは一応ただの異世界ファンタジーってジャンルではない。その中でなろう系ファンタジーといって良い独特のものがある。
ただそれでもなろうは異世界ファンタジーってジャンルの1つでしかない。この中でアニメ側が求めるような漫画原作などの多様性を生むことなど到底できない。期待されるものが違いすぎる。面白いか面白くないか?で見た場合そんな事考慮されないんだ。そりゃそうだそれはおかしくないだろう。
ただ何故ダメなのか?って理由付けをしだすとおかしなことになるんだ。なろうアニメに多様性が無いなんてジャンルの1つにすぎないものがアニメ化されてるだけなので当たり前だろう。漫画原作の感覚で見ないでくれとなる。アニメ側の批判は正直論外であり大半のものは取り上げる価値のない物が多い。
ただなろうの中でも似たような批判がある。なろうの中の批判はランキングの上位が同じような作品ばかりになるって点。一定のジャンルの多様性が無いことは理解したうえで、かつそれでもひどいという話になる。
ここが今中心になってるものになる。これにアニメ側の批判を混ぜてしまったので話が広がりすぎてしまった。これに関しては、どちらかとと言えば似ている作品が多いで結論付けて良い。
その私なりの理由は、私は流行の傾向の転生転移のような隔離を推奨してるからになる。そもそも違うと強くいってしまったら、ジャンル分けが出来ないことを証明してしまう。じゃ矛盾してたのか?ならそうじゃないこれは程度問題で最初からやや賛否両論になるのは理解している。そもそもそれは転生転移で、自分は転生転移じゃないって曖昧な作品を隔離されて不快に思ってる作者も多いので、当たり前になろうに起きる問題だから。すでに転生転移からあったが強行できたのでやればできると思ってる。
結論から言うと追放系は可能だが、ザマァは無理じゃないかと思ってる…。たまたま追放系にザマァが含まれるのでつい同様に扱うが、明確に冒険者パーティーから主人公が追放される物語と追放系を扱えるのに対して、ザマァはどうやって分離すればいいか?正直分からない。本音を言えばザマァも隔離したい。
ただ、現実問題として追放系を早くやってほしいのに、ザマァにもこだわると進まないのじゃないか?って危惧があるから。ザマァは保留して、追放系を隔離して、追放系と大して変わらないザマァばかりになったら考えればいいかと。
ここが以前から書いてるポイントになる。ザマァと言うストーリーラインは、以前水源さんが指摘していたが物語の王道である下から上に上がるって基本的流れに乗ってるだけと言うのが大きい。この程度の事じゃ一つの型に従った過程が違うストーリーなんてものにならない。はっきり言えば違う要素が絡めば全くの別物。
野球部活でザマァとお仕事系でザマァじゃ多分ストーリーとして多様であるといって良いと思う。なろうの場合ジャンルと素材がかぶってるのがもっと大きな問題だと思う。練り上げげられた編集しにくいち密なストーリーラインじゃないからこんなものどうにか違うものにしようと必死になるの方がストーリーの面白さを知らないと言いたくなる。
なろうの場合、女性向け恋愛や追放系と重なっていたのがものすごく問題だったと思う。以前も書いたが、ラブコメと言うジャンルのハーレムとなろうのハーレムを同一視するのは違和感があると書いた。作品のストーリーとして占める部分が限りなく薄いんだ。なおかつこれはハーレムに限ったことじゃなくて、他にもいくらでもある。なろうのザマァはこれよりは濃いが、程度問題にすぎない。
ザマァを見るんだって濃密に描かれたとしても先ほど書いたが、ジャンルが違う作品のザマァはそれだけでストーリーの面白さが全く違う。掛け合わせる要素で変わってしまう。そしてなろうファンタジーはどうもジャンル的とは言えない部分もある。
そりゃ矛盾じゃないか?と言うなら、ジャンル的なものとそうじゃない部分の間みたいなところがある。両面性とそれを呼んでいたが、まあ線引きして左右の間みたいに捉えた方がいい。その理由は通常ジャンルを合体させるって非ラノベ系だと難しいんだ。多分リアリズムと、ファンタジックな要素が原因だと思う。
なろうはファンタジーの中に様々な要素があるというより、別のジャンルの面白さが雑多に混ざっても成立してしまう雑さがある。それはなろうだけじゃなくて、漫画アニメラノベ皆そうなんだ。だからなろうを漫画原作的にアニメでとらえている人たちがいるのも的外れじゃない部分がある。ただ同時にそもそも多様性が無いジャンル的な部分が確実に同時に影響している。
両面性と言うよりは線引きした左右の間がとらえやすい。創りて受け手がリアリズムのこだわりが薄くて、ファンタジックな要素に溢れた物語を作ると大体こういった雑な合体作品が多くなると思う。この点は作り方の安易さよりも、受け手が結果として楽しめるか?に問題が無い方が大きい。創手の都合より受け手の許容の方が重要。
ある面を強調すれば似たような作品に見えてしまうって現象が起こる。これが先ほどのザマァは転生転移みたいに分けるの無理じゃない?って話になる。ケースによっては冒険者パーティーから追放された主人公じゃない追放ものは多分可能だと思う。ただ追放ものもかなり限定しないとこのザマァと似たような問題をはらむ。
これから作られるものじゃなくて現時点では大半の作品がこれに当てはまるので問題はない。ただこれから隔離して規制措置のようなものを作るとどうなるか?は分からない。
ちなみに考えてないわけじゃない。程度問題と書いたがその程度でこれはザマァのストーリーが濃いとしたものはザマァとして隔離するのも考えている。問題だらけだが、そこまでしないと深刻だとも私は思っている。そもそもアニメ側でザマァが問題になったことはない。今やってる回復術師がその系統の復讐系だけど。
明らかにそこじゃない部分で注目されてるので私見てないし、これを基に話す必要もないだろう…。アニメ側となろう内の受け手の批判として両者は多分質が違うのはその点からも確かだと思う。
アメリカの白人至上主義者で一滴でも多人種が混じっていたら認めないってのがあったが、DNAチェックしたら一滴だらけだった。北部アメリカは比較的混血が少ないが、それでも純粋にこだわると何かしら祖先が混血してるようだ。ちょっとでもザマァしてたら隔離だってやるとかなり問題になる。
その点転生転移やかなり限定的になる追放系はやりやすい。