〈7〉
基本的に不定期更新です。
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勇者カスガは混乱していた。
「ここは今、勝手に使って良い……か」
医務室と言う名の粗末な部屋を一瞥し、寝台に身体を横たえる。
若干の薬品が棚に有り、カルテらしき書類が作り付けの机に放置してあるだけで、この寝台の他は先程まで艦長を名乗っていた女が座っていた丸椅子があるだけの小部屋だ。
「窓もねーのかよ」
身を起こして周囲を探る。
人工の照明は壁に掛けてあるランプらしき物が光っているが、その光は水銀灯の様に青白い物で油を使用した炎では無く、仄かに熱を持つだけの代物であった。
「魔力灯とか言っていたな。パンドーラの技術とも違うのか」
カスガは転移前の異世界の名を出した。
正確にはカスガはそのパンドーラ界の出身では無い。パンドーラ界に召喚された勇者であるが、彼が生まれ育ったのは地球と言う世界である。
魔法の代わりに科学が発展し、パンドーラ界とは比較にならぬ便利な世の中であり、その中で彼は平凡な高校生であった。
「よおっ、起きているか」
扉がノックされると同時に、昨日の魔物女の声がした。
確か〝ヤシクネー族〟とか名乗っていたアラクネー(蜘蛛女)もどきだ。名前はギネス軍曹とか言ったか、魔物のくせに下士官とは生意気だ。「ああ」と返事をしてやる。
「食事だ。お前の口に合うのか知らないが」
「親切だな」
「食堂で、お前の存在を全乗組員の前に晒す事もあるまい」
部屋に入って来たのは大きな鋏脚を持った異様な魔族だった。金属製のトレイに食事らしき物が載っている。
「何だ。口に合いそうもないか」
「いや、食器も金属製なんだな。しかも、これは米か」
アルミ製みたいな軽い金属食器に驚くが、それ以上にショックを受けたのがこんもり盛り上がった握り飯の存在だ。漬け物に焼き魚、しかも粗末だが箸まで付いている。
「こいつは皇国料理だ。米が陸稲なのは勘弁な。西方では水稲は普及しとらんのだ」
「箸があるのか」
「東方では一般的だろ。艦長も使っている」
答えずに箸を口へと運ぶ勇者。それを見て、ギネスは散々世迷い言を述べていたこの少年が、東方の皇国人である可能性を増々強くする。
こんな二本の棒を上手く使いこなせる者は、ヤノ大尉みたいな東方の関係者では無い限り、西方一般では見る事が出来ないからだ。もっとも、東方の皇国もルーツは〝墜ちて来た者〟テラの文花の末裔なのだが。
「さっさと食べてくれ。あたしは機関長としての仕事があるんだ」
「変だ」
「何か言ったか?」
ザケの塩焼きを咥えたままのカスガが、ゆっくりと顔を上げた。
顔に困惑の色が浮かんでいるとギネスは感じ、今回は帯剣している刀の柄にそっと指を掛ける。何をしでかすのか判らないから独房に放り込むべきだとの彼女の主張は、艦長の一言で却下されたが、ここで飛びかかられては堪らない。
「魔物が社会に出ているのはおかしいぞ」
「魔物じゃ無いって、魔族だぞ」
「モンスターは倒されるべき存在なんだ!」
少なくともパンドーラではそうだった。
人間に危害を加え、社会を破壊して混沌に染める存在。魔王の手先で残虐、無慈悲。勇者はこれら魔物を容赦なく滅する存在であった。
斬り捨て、叩き潰し、そうすると経験値と宝石を出すクリーチャーであった。勇者自体も何十、何百の魔物を倒して来た。
「魔物と言うのはこのエルダにも存在するけど、それは魔族の中でも反社会的な連中の蔑称だよ。仕事にも就いてない。
いや、窃盗や掠奪をやってるのは強盗だから、悪党だけど仕事には就いてるのかな?」
そこで彼女は思い出した様に「あ、戸籍を持ってない奴が魔物かもな」と付け加える。
益々、カスガは混乱する。
そう言えば、魔物は機械的に反応するNPCみたいな連中で、こんな風に会話が成立しなかったのをカスガは思い出した、
「大体、あたしらは人間だぞ。モンスターとは失礼な!」
「人間?」
「大雑把にヒト族、妖精、亜人、獣人、魔族に分かれているけど、人間として生きているんだ」
このエルダで社会的な生活をしている種族は、獣人だろうが魔族だろうが人間に分類されるらしい。聞けば、ヤシクネー族はその中でもかなり多い。
「そんな恐ろしい武器持ってるのかが」
「え、この鋏脚の事かい」
「人間を挟んで切断できそうだぞ」
言われてギネスは自分の鋏脚をしげしげと見る。
ヤシガニ同様の巨大な鋏脚は確かに武器にはなる。実際、魔王軍所属のヤシクネーはこれを武器として、古代王国民と戦っていたそうだ。
「あのさぁ、これは作業肢だよ」
「なに……」
重量物を引っ張ったり、木登りする時に使う方が多いのを説明する。
確かに戦闘にも使えるが、前述した通り、鋼製の武器と打ち合えば簡単に破損してしまうので、鋏がぽろっと取れてしまう危険は犯せない。
この前の非常時の自衛とかでもないと、積極的に振るう事は無いのだ。
「えーと、お前……」
「春日 勇だ」
「勇が名か、やっぱり東方人みたいだな。私はギネス・スタウトだ」
自己紹介を終えると、機関長は手を参考例にかみ砕きながら説明する。
「勇にも手があるだろう」
「それが?」
「それを使えば、例えばあたしの首をへし折る事も出来るし、首を絞めて殺す事だって出来る」
ヒトはそんな恐ろしい武器を持ち、歩き回っているのだ。
だが、それが可能だとしても「殺人をやれる」のと、「殺人をやる」のは違う。獣人の持つ恐ろしい顎や爪も、蛇人の絞殺可能な長い胴体もそうだ。
「この鋏脚も同じ。滅多に武器はしないよ」
「そんなモンか」
「もし取れちまったら、生え替わるまで時間が掛かるし、生えても鋏が貧弱になる」
再生したての鋏は小さい。数度、脱皮を重ねなければ元のサイズに戻れない。
「脱皮するのかよ」
「領都で市警やってる姉さんがやっばり片鋏を失って、元に戻るまでに苦労したって話を聞いた事がある。左右の大きさが違って、シオマネキみたいだって落ち込んでいたらしい」
昔話でしか知らぬ、姉の例を出す。
同じ領都に住んでいても、互いに休みが合わないと面会もなかなか難しいし、今の姉は昇進してお偉いさんになっていて、何となく会い辛い。
「食べたぞ。で、これからどうするんだ?」
「勝手に出歩かないなら、自由にしてて構わないとヤノ大尉は仰ってた」
「ここに閉じこもれと」
「誰かの監視があれば、艦内なら出歩けるぞ。武器庫とか、立ち入り禁止区域はあるがな」
一瞬、考えるそぶりを見せるカスガ。
「じゃ、監視よろしく、だな」
「え」
「監視役と言っても、俺の前にはお前しか居ないだろう。魔物」
〈続く〉
食器はアルマイト製。