7.いたずら以上復讐未満
およそ想像力のかぎり、あらゆる仕返しを叶えることができるそうだ。
むろんくり返すように、玄関を開けたらドラゴンが現れて、炎を浴びせられるといったものは却下の対象となるが。
中度やもっとハードレベルになると、当然のことながら高額の料金が発生する仕組みになっている。
軽度(レベル1~3)で10万から60万円。中度(レベル4~6)300万から1200万。高度(レベル7~10)3000万~1億と設定されているが、その線引きもあいまいだと利用者から苦言を呈されることもあり、現状は改善事項だと竹田は苦笑いする。
肉体的に重傷を負わせたり、金銭的な損害を強いたり、あるいは仕事で致命的なミスをやらかし、信用を失墜させ、降格処分を受けさせることも可能である。精神崩壊も狙える。
もっとも、ハードレベルになると生命にかかわるようなことになりこそすれ――そもそも商材シャーデンフロイデは、人の命を奪うことが主眼ではない。
それでは復讐と変わりないではないか。
とくに、人気漫画『デスノート』との差別化を図るため、基本的にそこまではさせない方針だという。
いずれにせよ、東日本シャーデンフロイデ推進事業部にかかれば、法もへったくれもないようだ。
あくまで商材は、憎かったり、羨ましすぎる相手を思いもよらぬアクシデントに遭わせ、心身ともにダメージを負い、そのあわてふためく姿を見て、「ざまあみろ」と胸のすく思いをすることこそメインである。
商材シャーデンフロイデは、『いたずら以上復讐未満』がコンセプトだと、竹田は強調する。
初回につき、お試し期間は無料。軽度のものを2回、試すことができる。
しかもキャンペーン中なので、一度でも本番を使用すれば5000円分のクォカードがもらえる。さらにレベルに応じても特典付きなので、いまがお買い得だと竹田は嘯いた。
◆◆◆◆◆
私は想像をめぐらせた。
たちまち笑みがこぼれる。
――折戸部長が入ったトンカツ定食屋で、キャベツの千切りの山から、モソモソとゴキブリが現れ、仰天するさまを。
下校途中の小学生の団体に囲まれ、よってたかってハナクソを塗りつけられる折戸の姿も捨てがたい。
いまどきエンガチョのポーズで爆笑されると、さぞかし屈辱的だろう。
職場で、誤って重要書類をシュレッダーにかけてしまい、頭を掻きむしって半狂乱にさせるのも悪くない。
あまりの事の重大さにパニックを起こし、折戸の奴、首にかけたネクタイまでシュレッダーにかけて、そのまま自決するかもしれん。それはそれで、間接的な自殺の手助けになってしまうが。当然そんなリスクが予想されるので、高額な料金が生じてしまうかもしれない。
ぼったくりバーで法外な金額を毟り取られるのもオツな話だ。
お通しのサラダスティックだけで80,000円もぼられた日には、白目を剥くぞ。店長にキーキーわめいた挙句、しまいには用心棒につまみ出される姿を夢想すると、私はゾクゾクしてくる。嗜虐的な一面が開花しそうだ。
そんなこんなの手法で、折戸が悔し涙を流して打ちひしがれる場面を目撃すれば、まちがいなく気分爽快だろう。
なるほど、うっとりするほどメシウマだ。飯どころか、安酒が勝利の美酒となって酔いしれる。
正直、私は惹き込まれた。
商材シャーデンフロイデ――あまりにも魅力的な小道具に思えてくるではないか。
折戸にはホトホト頭を悩ませてきた。積年の思い。この『魔力』をもってすれば、たしかに鬱憤は一気に晴らすことができる。
いやいやいや!――待てったら。
私はそこまで堕落したいのか? どれもがケツの穴の小さい発想じゃないか。あまりにもみみっちい。
しょせんは、その場しのぎにすぎないぞ。
折戸自身が私に対する横暴さを改めないかぎり、確執そのものが解消されるわけではない。もっと根本的に是正させるべきである。
むろん私にも落ち度があるにせよ、結局二人の、歪んだ主従関係のようなバランスは今後とも続くのだ。これでは非生産的な報復でしかない。
いたずら以上復讐未満。
いちいちストレスを解消するため、ウン十万も金をつぎ込んでリピートをかけるのもいかがなものか。中度レベル以上となると、ウン十万どころか3桁4桁行くのだ。あまりにもバカげている。
高慢ちきな折戸の鼻をへし折り、反省してくれたらいいが、人の性格というものは、ちょっとやそっとじゃ改善されない……。
私だって人並みの人間だ。
欲しいものだっていくらでもあるし、自宅の増築計画もあり、その資金を貯めなくてはならないのだ。腹が立つたび、せっかくの金を仕返しにばかり費やしてどうする?
いちばんいいのは、私が転職するか、さもなくば折戸がよその部署へ異動するなり、いっそのこと退職してくれることで、まるくおさまるのだが……。
しかしながら、電設工業所にほぼひと筋、46にもなる私が、一からやり直すには、あまりにも勇気が要った。
結局のところ、臆病な私には、丸裸になって大海に飛び込む度胸なぞ、ありはしないのだ。
――となるとだ。
畢竟、大枚を積んででも折戸をいまの職場から追い出すしかない。
それこそが最善策のように思えてきた。むしろ満員電車内でゲリ便を脱糞させるよりか、賢明な使い方だろう。
まさに天から光がさし込んできた心境である。
むしょうに商材シャーデンフロイデが魅力的に思えてきた。増築資金を切り崩してでもやる値打ちはある。
はたして、お試し期間すら試していないのに、うまくいくのだろうか?
このいけ好かない竹田のことだ。商材を試したあと、なんらかのデメリットが生じる恐れはないか?
金をつぎ込んだところで、思惑どおりに対象者が会社を辞めてくれるだろうか? それこそファンタジーではないか。そんなことがまかり通るのなら、誰もが試すに決まっている。
東日本シャーデンフロイデ推進事業部の存在はブームとなり、利用者が殺到するだろう。誰もが金にものを言わせて。持っている奴は、唸るほど持っている。
メディアに取り沙汰されてもおかしくはないのに、ついぞ聞いたことがなかった。『週刊文秋』の記事になったことすらあるまい。
まあいい。竹田の言うことも信用してやろう。
形あるものを買うだけに、人は貯蓄するわけではない。不安がつきまとう老後のために、転ばぬ先の杖、という思いもある。
しかしながら、こういうお金の使い道があってもいいはずだ。精神的にまいっている人はみんな、大枚はたいてでも縋りつくだろう。
この世は、老いも若きも人間関係で悩んでいる者がいかに多いことか。
人間関係ゆえに泣く泣く会社を辞めたり、なかには精神を病み、死を選ぶ者だってめずらしくないのだ。現代社会はあまりにも屈折している。
この商材シャーデンフロイデがあったればこそ、社会は円滑にまわるはずだ。
物事はおさまるべきところに、それこそジグソーパズルのピースのようにピタリとおさまる。
◆◆◆◆◆
駅舎の屋根を打つ雨音が大きく聞こえた。
線路の方を見た。手前の1番ホームと、対岸の2番ホームがライトに照らされ、おぼろげに見える。
おいおい、落ちつけ。深呼吸しろ。
私は迷走してやしないか?
本来、竹田の注意を逸らすために、わざと商材シャーデンフロイデに食いついたのではなかったか。ほんの演技にすぎなかったはずだ。なのに、竹田のセールストークに魅了されてどうする?
竹田はさっき、私の名前や家族構成のみならず、折戸部長との仲も言い当てた。
そして私の心に深く入り込み、恐るべき過去を覗いてしまったと口にした。
きっと20代のときの、オペラ歌手をめざしていたときにしでかした犯罪を示しているにちがいない。
いまでこそ迷宮入りの事件として、世間から忘れ去られている。
かつて地元警察も、情報提供者には懸賞金をかけてポスターまで作ったほどである。
私自身、罪の意識から押しつぶされそうになるため、暗示をかけてまで無理やり封印してきた。
恐るべき過去。思い出すたび、私は慄然と我が身をふるわせる。