6.商材シャーデンフロイデについて
ショッキングピンクのワイシャツに、紫のネクタイをつけた竹田は、さもありなんといった仕ぐさで私と対峙している。
下のスラックスは地味な灰色だったが、魔女みたいな湾曲した三角形の靴といい、全身から放たれる甘ったるい麝香じみたコロンといい、寂れた無人駅の駅舎内で、その姿はあまりにも場ちがいに映った。営業マンにしては誠意の欠片も見当たらず、ひたすら胡散臭さを醸している。
「これで信じてくれましたか、僕の特殊能力を。僕には覗けるんです。どんな人間の秘められた過去も、心の闇さえも」
と、竹田はにんまり唇を吊りあげて言った。ほうれい線がくっきりついている。
確信めいた得意顔。見開かれた眼には、稲妻みたいな毛細血管が見えた。
おれは、おまえの隠された秘密を暴いてやったぞ、という笑み。
――まさか!
こいつはまずいぞ。――もしや、私の20代のころの恥ずべき行いと、忌まわしき犯罪をも透視されたのではないか?
折戸部長との確執を見抜いたとなると、これはまちがいない。
この男は本当に見えるのだ。
あの若き日の過ちは暴露されてはならない。
それをネタに強請られようものなら、ましてや警察に密告されたくらいなら――そのときこそ、私は破滅する。
用心しなくてはならない。
心を遮断するのだ。奴に覗かれないように。
思考をとめ、雨風が吹き込んでこないようにシャッターで完全封鎖すべし。
だが竹田は、うろたえる私をよそに、
「僕はさっき、あなたの心の奥深くに入り込みました。いまさら、思考をシャットアウトしたところで時すでに遅しなんです。僕は覗いてしまった、あなたの秘められた昏い過去を――」と、魔性の笑みを浮かべた竹田は私を指さした。「その前に、衝撃的な真実をお教えしてさしあげましょう。あなたが知らないことが、秘密裏に行われているのです。それはご家族を巻き込んでいる。知らぬが仏、とは言いますが、この際です。僕の力を信じてもらうために、さらに一押しを」
なんだって?
家族を巻き込んだ形で、なにが水面下で進んでいるのか?
心当たりは――ありそうでない。
いずれにせよ、この男は私のプライベートな部分を暴いてしまったのは確かなようだ。
とすれば、私にも考えがある。
急きょ作戦を立てなくてはなるまい。
まず、私は待ったをかけた。気を逸らせるべきだ。
「わかった。わかったよ、竹田さん。――さらなる一押しがどんなものか興味深いが、その前に、商材シャーデンフロイデとやらを具体的にレクチャーしていただきたい。白状すれば、さっきからソソられていたんです」
さもセールストークに食いついたように言った。
ベンチから渾身の力をこめて立ちあがる。
竹田と向かい合った。
悟られまいと演技するしかない。どうせ情報はダダ洩れだろうが。
かまうものか。とにかく攪乱させるのだ。
「ほほう! なるほど、佐那さんにも心のすき間があったわけですか」
「折戸部長。まさにご名答です。私の目の上のタンコブだった。胃潰瘍の原因はあいつだ。あいつにギャフンと言わせたい。シャーデンフロイデってことは、つまり、他人の不幸は蜜の味って意味でしょ? だったら、折戸が不幸になる姿を見て溜飲を下げたい。――で、つまるところ、あなたの勧める商材はどうやって使うの? その効果は、どうやって表れるんです?」
竹田は背をまるめ、してやったりといった様子で笑った。
「ついに堅物の佐那さんを口説き落としたってことですか。僕も営業マンとして腕をあげたものです。商材シャーデンフロイデについてのご紹介ですね。よろしいですとも!」
と言うや、竹田はスラックスのポケットに手を突っ込んだ。
プチプチの緩衝材シートに巻かれたものを取り出した。
ちょうどスマートフォンほどの大きさと薄さの端末機器である。中央下部に、意味ありげなスイッチが出っ張っているのが特徴的だった。
ここで竹田は、慣れた口調で一気にまくし立てた。商材シャーデンフロイデのことを。さぞかし研修で接客ロープレをやり込み、セールストークを叩き込まれたにちがいない。
◆◆◆◆◆
端末機器そのものは無料だという。
問題はそれの使い方しだいで、ピンからキリまで料金が発生する仕組みになっているのだ。
にわかには信じがたい話だった。
それは言ってみれば、魔法に他ならない。およそこの世の物理的法則を無視した代物だからだ。
竹田いわく――仕返ししたい相手や妬ましい奴がいたならば、このスマホ然とした機器に相手の名を告げ、そして近くでスイッチをポチッと押すだけでいいそうだ。ただし、対象者の半径5メートル以内に入らねばならないリスクがつきまとうので、怪しまれないようにする必要があった。
たったそれだけである。
たったそれだけで、名指しされた相手はただちに、もしくは数分後に、なんらかの被害を被るという。
機器を扱った者の前で、その効果を見ないとシャーデンフロイデの気分は味わえないが、時には例外もある。
むろん、希望の仕返し方法を指定してもよい。
ただし、あまりにも現実離れしたものは警告音とともに、却下される。その場合も漏れなくキャンセル料が発生してしまうため、注意が必要である。
『隣に蔵が建つと腹が立つ』という諺がある。
蔵そのものが羨望のシンボルからして、おそらく江戸時代のころに派生したものではないか。嫉妬からきているのは明白である。
妬みから相手をギャフンと言わせるのもいいし、憎らしい職場の同僚を引きずりおろしたいとき、この商材によるふしぎな力が働き、同僚は不正が明るみに出たり、あるいは濡れ衣を着せて、降格・懲戒解雇処分を受けるか、金銭的損害を被り、恥をかくはめになる。
竹田いわく、それはもはや、神の御業に等しい力だという。
商材シャーデンフロイデのスイッチを起動させた者は、打ちのめされた相手の姿を目の当たりにし、ひそかにスカッとするわけである。
竹田は軽度レベルの例として、こんな仕返し方法をあげた。なかには拍子抜けするような、子供っぽいイタズラも多いが――。
●自宅のブロック塀が何者かによって壊される。
●自転車のタイヤのムシが抜き取られ、前後ともパンク。
●タンスの角で足の小指をぶつけて悶絶。
●散歩中のトイプードルに向う脛をガブリとやられる。
●仕事の最中、むしょうにTwitterをやりたくなり、上司に見つかって叱責される。
●車での通勤途中、異様に信号機で引っかかって遅刻。業者との待ち合わせの時間にも遅れる。
●靴を履こうとしたら、中にムカデが潜んでいて、足を咬まれる。
●宅配便で頼んだ品が誤配され、いつまで経っても届かない。
●自動販売機で1000円札を突っ込むも、ジュースが出ないうえ、札も戻ってこない。腹立ちまぎれに自販機を蹴りつけると、オーナーに見つかり怒られる。
●身に憶えがないのに、隣人からテレビの音がうるさいと苦情を入れられる。
●あおり運転にからまれ、因縁をつけられ、怖い思いをする。
●突然、山から猪がおりてきて、鼻で小突かれる。
●満員電車内で痴漢の罪をなすりつけられる。
●スマートフォンなりパソコンに、エロサイトのワンクリック詐欺の画像が音声付きで表示され、職場の人間や家庭内に暴露される。
●飛んできた野球のボールが額を直撃。
●いまどきおやじ狩りに遭い、金をせびられる。
●満員の映画館で脱糞。肛門括約筋がコントロール不能。
●建設現場のそばを通りかかったら、頭上から足場の一部が落下してきて、あやうく直撃しそうになり、たっぷり冷汗をかく。
●突然、株価が大暴落する夢を見てうなされる。
●取引先から、なぜか取引を中止させられる。
●駅の階段をくだっていたら、バナナの皮ですべって下まで転倒。
●なぜか女性職員全員から総スカンを食らう。
●川上から鉄砲水。スーツを濡らす。
●往来のバキュームカーが大爆発。盛大に飛沫を浴びる。