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4.心のすき間を埋めるべく

「待ってください! なにも即金でいただこうってわけじゃありません。ちゃんと書類による購入もできるんです。銀行の口座番号を書いていただければ、毎月21日に自動引き落としにできます。ですからご安心を!」


「月払いしなきゃならないほど、そんなに高額なんだ、その商材シャーデンフロイデって奴は」と、私は雨に濡れながら茫然たる口調で言った。「怖い怖い。一瞬でも気を許した私が愚かだった。ローンを組まされた日には、家内から追い出されかねないよ」


「奥さまには、ずいぶんと尻に敷かれているようですね。ここいらで一発、立場を逆転させてみるのもいかがですか? 無料お試しは二回使えると言いました。実験的にいかがですか?」


「バカ言いなさんな! なんで家内をギャフンと言わせるようなことをしなくちゃならないんだ」


「さっき、僕が言いましたでしょ? 長年培ったカンがある。その人の考えどころか、ご家庭の秘められた部分まで覗く力があるのです。ちょっとした特殊能力って奴です」


「特殊能力。どうだか。少なくとも私がストレスを抱えてたとしても、家内に仕返しする道理はない」




 いくら私たちの関係が冷え切っていたとしても、だ。

 私は、カバンで作ったひさしで頭を守りながら走った。

 なにせ片手には、買い物をした品の入ったビニール袋がある。だいじな荷物を濡らしたくなかったのだ。

 竹田もコバンザメみたいに私のあとをぴったりついてきた。

 大人しいジンベエザメの腹に張り付き、餌のおこぼれをもらおうって魂胆らしいが、ない袖は振れない……。


◆◆◆◆◆


 やっとのことで無人駅の駅舎に飛び込んだ。

 ガランとした空虚さが落ちていた。建物のなかは誰もいない。

 素っ気ないデザインの自動券売機。時刻表や掲示物も昔から変わらないままである。

 もとはベージュ色のプラスチックのベンチは、経年劣化で色あせ、タバコの火で焦がされ、ガムが張り付き、およそ座りたくなる代物ではない。


 いつもなら同じ方向へ帰る客がいるものだ。その日にかぎって人っ子一人いないのはどういうことなのか。

 となりの公衆便所から、嫌なアンモニア臭が漂ってくる。

 JRもコスト削減のため無人にしたのであって、駅構内の治安維持が難しいことから、監視カメラを設置するものだ。


 ところがここにはない。

 せめて警察や、地域ボランティアによるパトロールなどもあるはずだが、本日はこの雨である。見まわりさえ来てくれそうにもない。


 ある意味、見捨てられた駅だった。

 だから竹田に商材を売りつけられようとしているところを止めてくれる人すらいない。

 完全な孤立無援だった。




 私は膝に手をつき、呼吸を整えながらスレート葺きの屋根を叩く雨音を聞いていた。

 この分だとしばらくやみそうになかった。

 竹田もが身体をくの字に曲げて、息をはずませていたが、じきに、


「この世は老いも若きも孤独な人ばかりです。そんな心のすき間を埋めるべく、僕たち東日本シャーデンフロイデ推進事業部は、人間社会の陰で暗躍しているといっても過言ではありません。お客さまのニーズに応じた商材、シャーデンフロイデを提供し、よりよく豊かな生活が送れるよう、勤めあげているのです」


「オイオイ、ちょっと待て。そのセリフって、どこかで聞いたことがあるぞ。さっきからこのシチュエーション、どこかでおぼえがあると思ってた。まるっきり、喪黒もぐろ 福造ふくぞうのパクリじゃないか!」


「喪黒氏はボランティアでお客さまの願いごとを叶えるセールスマンです。願いが通じ、満足していただけてこそ、彼の報酬になるわけです。ある意味、僕にとっちゃ、営業マンのかがみと言えますね。現実は利益も出さないとオマンマの食いあげです。なので、当然のことながら、相応の対価を得ることをめざします。ただし、法外な額は求めません。やっぱり究極は、お客さまが当商材をご購入いただき、たいへん満足され、リピートをかけてもらうのが一番ですから。すなわち、ウィンウィンな関係を築ける点については、喪黒氏とは共通するでしょう」


「いっそのこと、『ドーン!』って言っちゃえばいいのに」


わたくし、お客さまの心のすき間に入り込み、その埋め合わせをする流しのセールスマンでございます。これが本当のすき間産業。――なんちゃって」


 竹田のお寒いギャグには、堅物の私も捻挫しそうになった。

 いまだこの男が勧めてくる商材シャーデンフロイデの実態がつかめない。

 漠然たるイメージすら沸かないのに、この営業トークにかかれば、話に惹き込まれてしまうのも事実だった。


「あなたは真剣なのか、それとも冗談で私を騙そうとしてるのですか。時間を浪費しているように思えてならないんだが」


「そんな冷静な口調でおっしゃらないでください」と、竹田は背筋を正し、私に向きなおった。両方の手のひらを私に見せた。「疑ってるわけですねー。無理もない。こんな怪しい風体なりだし、人間性も眉をひそめると。だったら、さっきの話の続き。僕の特殊能力の真偽について証明してさしあげましょう。ズバリ的中させれば、嫌でも信じるはずです。よろしいですとも!」




 私はがっくりきて、ベンチのひとつに腰かけた。これが脱力せずにはいられるものか。

 マイホームがある街に運んでくれる発車時刻は、まだ1時間は待たねばならないからだ。

 列車が来たら一目散に乗り込み、この男をふり切らなくてはならない。

 それまではどうにか耐え忍ばなければならないようだ。


「私のことは放っといてくれ。疲れてるんだ」


「またまた、つれない態度を取って。本当は興味あるんでしょうに! 行きますよ、僕のとっておきの特殊能力!」竹田はオーバーアクションでおどけて見せた。「ちなみにあなたのお名前は……。当てて見せましょう。あなたの名は――佐那 史郎さんでしょ?」


「当たり」私は眼をむいた。思わず心臓がキュッと縮んだほどである。「なんでわかったの、おたく?」


「でしょ。ズバリそうでしょ? いま、ピーンと来たんです!」


「トリックだ。そうにちがいない。さっき、私が公園からここまで歩いている途中、私の名刺かなにかをくすねた(、、、、)んでしょ。あなたも人が悪い」


「いくら僕がいかがわしい営業マンでも、手癖が悪いみたいに決めつけないでください。そんなわけないじゃないですか。――まだまだ、こんなの序の口ですよ!」と、竹田は顔じゅう皺だらけにして笑みを浮かべた。「今年19歳になる一人娘の晶子さんは、ズバリ下着を洗うとき、佐那さんのものと一緒に洗わないで!と、奥さま、つまり瑛美さんに口やかましく言っている!」


「正解」と、素っ頓狂な声を頭の先から放った。「……待て待て待て。私らの年代になると、どこの家庭でもあり得ることではないのですか。とかく年ごろの娘と一つ屋根の下に住んでいると、ありがちな事象だ。あなた、ハッタリかましたんじゃないか」




 だけど待てよ――この男、晶子と瑛美の名前まで当てたぞ。

 ありえない。

 偶然ではあるまい。なにか仕込みがあるにちがいないのだ。


 竹田とは、偶然私が歌っている最中に出くわしたのを装っていたが、あれこそ最初から仕組まれていたのではないか。

 ひそかに私の家庭を監視していて、今日、ついに接触を求めてきた。いかにもこのキャッチセールスが説得力を生むように見せかけて……。


 それともこの男、もしやハッカーではないか?

 自宅のパソコンのウェブカメラをハッキングし、盗撮していたとしたら……。

 あるいは家のどこかに盗聴器が仕掛けられていて、家庭での会話が筒抜けになっているのかも……。

 そうとしか考えられない。

 背筋が液体窒素を浴びせかけられたみたいに凍り付いた。


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