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商材シャーデンフロイデ  作者: 尾妻 和宥


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18/19

18.「僕は死にません」

 そう言いながら竹田がすり寄ってきた。

 眼を見開き、私を見つめる。

 商材シャーデンフロイデは高い買い物にはちがいないが、アイデアしだいで心強い味方となってくれるのはたしかだ。それはわかる。

 だが、それを売り込もうとするこの男自身は、やることなすこといけ好かない。


「僕はついに優良顧客となる方を見つけました。佐那さん、あなたという人を。つきましては、今後ともどうかごひいきのほど、よろしくお願いします」と言って、うやうやしく頭をさげた。「きっと商材シャーデンフロイデが、あなたのストレスまみれの人生を改善してくれることでしょう。なにか困ったことがあれば、いくらでもフォロー致しますので、引き続き私とはよい付き合いを――」


 やっぱりそう来たか。

 この男は私を食い物にしようとするつもりだ。ケツの毛まで抜く気マンマンだぞ。

 そうはいくか。


「商材シャーデンフロイデのよさはわかった。だけど竹田さん、あなたとはあまりお近づきにはなりたくないな」


「おやおや、つれないお言葉……。佐那さん、この期に及んで、まだご理解されていないようですね。もし僕の言うことが聞けなければ、ダーティな手段を講ずるまでです。こうして裏を取ったことですし――」


 竹田は尻ポケットから、自身のものと思われるスマートフォンを取り出した。

 液晶画面を見せる。

 ボイスレコーダーのアプリ。録音中となっていた。時間はたっぷり40分近く録られているようだった。

 してやられた!


「まさか――」


「この懺悔の告白が、なによりの証拠。もちろん、あなたがオペラ歌手の修行時代に犯した罪の一部始終を記録しました。バッチリとね。……おっと。音声だけでは証拠にならないとおっしゃりたいのなら、声紋分析のプロを知っております。この声が、あなた自身のものだと証明させてもよろしいですよ」


 こんな男に西山殺しを吐き出したのは浅はかすぎた。

 あれほど眞子と墓場まで持っていくと約束したのに、このザマだ。

 いずれにせよ、これで決まりだ。

 この男を亡き者にしなくてはならない。それも確実に。


 私のなかに多少なりとも情けがあり、さっきはこの場から逃げ出すことも考えたが、こうなれば積極的にりに行かねばなるまい。

 なんとしても私の秘密を、白日のもとにさらしてはならないのだ。

 どうせ私は人一人殺害している。そのうえ竹田を黙らせたところで大差はない。

 やり方も手慣れたものだ。




 私は壁時計を見た。

 もうじき罠を張る時間だ。

 さあ竹田よ、死ぬときが来た。


 イッツ・ショータイム! しまっていこうぜ!

 無意識を心がけるのだ。現代版サトリに心を読まれないように。

 私は肘のところで両手をあげ、バンザイのポーズをしてみせた。


「……負けです。公園であなたにつかまったのが運の尽きだったらしい。私としては過去の過ちを警察に通報されたくないのはもちろんだし、強請ゆすりのネタにだけ利用されるのもうんざりなんだ。二度と思い出したくもない記憶です。だからこそ、あなたの言い分は飲むつもりだ」


 竹田は満面の笑みで深くおじぎをした。


「さすが佐那さん。話が早い。こちらこそ今後ともよろしくお願いします。弊社、東日本シャーデンフロイデ推進事業部は、1年に5回以上、リピートされる優良顧客さまには、さらなる特典をつけて大切にしてまいります。特典商品および商材ご使用の際の料金割引サービスは、随時報告致しますので、ご期待してください」


「ところでさっそく料金割引の件なんだが、ものは相談があります――」


 と言って、私は深刻そうな顔つきをした。

 これに竹田は食いついた。


「なんなりと、おっしゃってください!」


「さっき、ご覧になったとおりです。妻のお見苦しい姿を見せてしまいました。瑛美が不貞を働いてしまった手前、私は彼女と話し合いの時間を作り、今後の身のふり方を考えなくてはならない。これを機に離婚するにせよ、折戸との仲を清算し、もとの夫婦へと修復させるにせよだ」


「はい」


「私たちにはさして多くないが、貯金もある。両親の財産も受け継いだからです。もしかしたら人並み以上にあるかもしれない。仮に妻と別れた場合、財産分与の必要が生じます。そうなると、商材シャーデンフロイデを利用するのに影響してくると思うのです。私としては、夫婦仲を取り戻した方が、かえって利用するのにも制限が出てくる」


「なるほど。もっと自由にお使いになりたいのなら、かえってシングルになられた方がよろしいと?」


「そうは言っておりません。妻との仲を修復できたら言うことない。となると、コレの使用も我慢しなくちゃいけない。そんなわけだから、考えさせてくれないでしょうか? 悪いけど一人にさせて欲しい」と、私はいかにも悩んでいるふうに装った。「よかったらトイレにでも行って、席をはずしてくれないでしょうか」


「たしかに、この駅舎ではお一人になれませんね。よろしい。席を外しましょう。――トイレ? よろしいですとも。じっさい、用を足したかったのです」


「悪いね」


 私は申し訳なさそうに言って、竹田の背中を押した。

 こうして竹田は疑うことなく、駅舎右の通路をテクテク歩いていき、姿を消した。

 奴がトイレに入ったのを見計らって、すぐ行動に移した。


◆◆◆◆◆


「どちらにいらしたかと思えば、そこでしたか」と、トイレから戻ってくるなり竹田は笑いながら、私がいる1番ホームへとスロープをあがってきた。点字ブロックの上を歩いてくる。サーモンピンク色のハンカチで手を拭き拭きしながら、「一瞬、よもや佐那さんに逃げられたのかと思ってしまいました。せっかく商談が成立したのに、まだ振込先の銀行口座をお教えしていませんでしたからね」


 私はカバンと他の荷物を、すぐうしろのベンチに置いていた。

 どうか、スラックスのポケットのわずかな膨らみが悟られませんように。


「時に竹田さん。ひとつお尋ねしますが――もしこの商材シャーデンフロイデで、あなたに(、、、、)向かって(、、、、)使用したら(、、、、、)ちゃんと(、、、、)効果は(、、、)あるのでしょうか?(、、、、、、、、、) 飼い犬が飼い主を噛むような。つまり、うっとうしいあなたをふり払うため、これで撃退することが可能でしょうか?」


「ご冗談を――」


 私の強気の発言に、竹田は凍り付いた。


「いくら私の過去をネタに金をせびろうったって、こっちは大人しく従ってなんかいるもんか。もしあなたがタレコミしようってのなら、たとえ高額料金が発生したってかまわない。私はあなたを殺そうとするだろう。まだ契約書の類も残していないことだし、足はつかんはずだ」


「あいにくです。それを推進した僕には無効なのです。たとえ何十億単位の料金が発生したとしても――僕は(、、)死にません(、、、、、)。なぜなら僕は――」


「いま、あんたの額から汗が流れたぞ!」


「またまたまた! よしてください。はったりかますのは!」むろん、竹田は動揺していない。恐るべき面の皮の厚さだった。「仮に――仮にですよ。仮に僕に対し、商材を使ったとしても、この距離だ。わずか3メートルと離れちゃいない。ほんとうに商材にタッチし、僕の名を告げ、すばやく仕返し方法を言えますか? かんたんにあなたを取り押さえてみせます」


「それはいいことを聞いた。つまり、あんたにも効果があると認めたようなもんだ。あんただって怖いんだろ?」


 私は竹田と向かい合いながら、全身の神経を耳に集中させていた。

 竹田の背後から、かすかな気配。

 ガタッゴトッ……ガタッゴトッ……ガタッゴドッ……ガタッゴトッ……ガタッゴドッ……ガタッゴトッ。

 青い闇の彼方で、一対の光が見えた。

 こちらに向ってくる。

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