13.捜査の行方
どしゃ降りは続いた。
西山が失踪したとして眞子本人が所轄の警察署に相談したのが、殺害3日後のことだった。
死亡当日に会う約束していた恩師、神戸の佐伯氏は待ちぼうけを食らったが、単に都合が悪くなったんだろうと、むくれて帰った。あえて携帯電話にも連絡しなかったと、のちの取り調べで証言している。
妻である眞子は、「このごろは業界の会合があったり、なにかと交友関係が広い人だったので、ひと晩くらい帰らないことはめずらしくなかった」と言い、連絡がつかなくなって3日後に捜索願を出したのだと強調。
殺害されて翌日、翌々日には、レッスンを予約していた受講者たちでさえも、気分屋の人だったからこんなこともあるだろうと、とくに不審にも思わなかった。
県警は、一応名の通ったオペラ歌手兼講師ということもあり、特異行方不明者として特例の措置をとった。事件と事故の両面で捜査が開始された。
すぐに西山の知人の口から、西山は妻の不倫に激怒していたとの情報をつかんだ。
当然、その愛人に焦点が絞られた。さすがに相手はわからないと、誰もが首をふった。
よもや眞子と愛人が結託し、西山とトラブルの末、殺害したのではないかと疑われるまで時間はかからなかった。
しかしながら、私と眞子は発覚前から巧みに擬装をこらし、世間をあざむいてきた。
不倫相手が、まさか23も年の差がある私とは特定できなかった。
おかげで私は、オペラ受講者の一人として、マニュアルどおりの事情聴取を受けただけで、とくに厳しく追及されることなく解放された。
西山邸に捜査員が入った。
PCの履歴分析が行われ、家じゅうのゴミをひっくり返し、自発的に失踪を匂わせるような書置きはないか捜索された。
なにも見つからなかった。殺害をほのめかす脅迫状のようなものも同様である。
◆◆◆◆◆
捜査のメスは、スタジオにも及ぼうとしていた。県警が動き出して、2日後のことだった。
中央に据えたグランドピアノ。あれほど大切にしていたにもかかわらず、不自然に天井板が破損し、粘着テープで応急処置を施していたのでは、嫌でも県警の関心を惹く。
鑑識を呼び、そこからルミノール反応が検出されてしまえば一巻の終わりだ。
ところが思わぬツキがめぐってきた。
私にとって、オペラ歌手の夢を断たれたいまになって、皮肉な話である。
殺害直後からしつこく豪雨が続いていた。
県警がまさにスタジオへ入るすぐ直前、ついに森林の保水力が限界に達したのである。
なんと裏山で山崩れが発生した。
流れ出した土砂が防音ドアを破り、ほぼフロア全体に行きわたり、グランドピアノまで泥に飲み込まれた。
その際に、根こそぎ倒れたヒノキの大木までが流れ込み、ピアノを直撃。完膚なきまでに破壊した。
スタジオの泥をかき出す復旧作業に9日を要した。遺留物も泥にまみれた。これで指紋すら検出できなくなったのだ。
一方で捜査は、眞子にも伸びることになった。
西山邸の部屋という部屋、トイレ、浴室、ガレージのみならず、物置、芝生を敷いた庭、愛車の車内にも広がった。
後部座席でわずかな体液が検出されたが、ふだんから西山はそこで横になる癖があり、汗か唾液であろうとの結論付けられたときは、ヒヤリとしたほどだ。
眞子は取調室で尋問されることになった。
すぐに優秀な弁護士をつけて自らを守った。いわゆる無罪請負人と称される高ギャラのそれだった。
そして身の潔白を連呼し、その後、貝になった。
口さがない近隣住民は、かえって守りを固めた眞子を怪しんだ。やましいことがあるからこそ弁護士を立て、ましてや黙秘したのだと噂し合った。
県警は追及した。――不倫の末に、西山とトラブルになったのではないかと。
このままでは眞子は精神的に追いつめられ、自供しかねない。
そこで私は怪文書を作成。他県の駅でそれをバラまき、陽動作戦に出た。
さも事件の真相を知る人物は、オペラ界の関係者であり、西山の地位を妬んだ末に誘拐し、インドネシアへ逃亡したのち、海にセメント詰めにして遺棄したと、リアリティあふれる嘘で捜査を攪乱した。
まんまと警察は惑わされた。
ありがたいことに、同業者は、たしかに西山の人柄は怨みを買いがちだったと同調。そういったトラブルがじっさいあったと証言してくれた。
捜査は混沌とした。
眞子に向けられた疑惑の眼が逸らされ、オペラ業界全体が対象となった。
数年を費やして調べられたが、確たる証拠は得られず、時間だけが遅々と流れていった。
年月とともに、別な凶悪事件が発生し、捜査員はおのずとそちらへ割かれ、事件はなんの進展もないまま、フェードアウトしていった。
ようやく眞子も解放され、平穏な日常を取り戻すことができた。
私と眞子は、完全に縁を切ることにした。西山をスッポン池に沈めて以来、事情聴取のため指折りで数える程度会っただけで、疎遠になっていた。
これからも二度と会わない、電話すらしないと約束した。このことは二人だけの秘密として共有し、ともに墓場まで持っていくことを誓い合った。
私はその後、縁もゆかりもない地方都市へ移り、いまの電設工業所に就職したのだった。
生まれ変わったつもりで、仕事に没頭した。没頭することで罪から逃げた。
昔取った杵柄から、オペラを熱唱する習性があった。
なまじ夜中に公園で歌うのは目立ちすぎたかもしれない。当時の事件と結び付けられかねない危険性もあった。私も慎重な一面と、大胆不敵な面が同居していた。
亡き西山が、妙に上機嫌なときと、サディズム全開の性質が表裏一体であったように、人は大なり小なり両義性の要素を持っているものであろう。
西山という師匠を殺してしまった罪の意識は長年にわたり、私を苦しめた。直接手をくだしたわけじゃないにせよ、その場にいたのだから同義にはちがいない。
いつかバレるんじゃないかと怯えて暮らしてきた。忘れるべく、私は自身に暗示をかけてまで偽った。
念願のマイホームを手に入れ、一国一城の主となった。返す返すも、歌手を断念したことが悔やまれた。
あれはちょうど10年前だった。
運命共同体だった西山 眞子から、久しぶりに連絡があった。
60歳をまえに、末期の乳がんが見つかり、いま病床についているという。
余命いくばくもなく、おそらくこれが最後のあいさつになるだろうと、電話口の向こうで、力ない声が言った。
――「私は先に逝きます。文字どおり約束を守ったつもり。これから先、あなたは一人でこの昏い過去を胸にしまい、生きていかねばならなりません。時には不安で押し潰されそうになることもあるでしょう。ですが、どうかせっかく築いた幸せな人生が末永く続きますよう、あの世で見守っています」
と、告げられて通話は切れた。
そのとき、眞子は初めて涙を見せたのではないか。
私の人生はそれなりだった。
はたして眞子のその後のそれはどうであったか、私には知る術がない。




