第三章
──心に雨が降るなら、恋を理解しろ。雨が心を濡らすなら、愛を理解しろ。
終点に到達した。一切のアナウンスはないが、何となくそうだとわかった。ガクリと線路の変わる音が聞こえた。そのまま徐行に入っていく。暫くすると、光が消え始めた。おそらく車庫に入り込んだのだろう。彼は扉の窓に拳を突きつけた。ヒラが見守っている。表情は、お互い静かだ。
「行くぞ」
「はい」
空気が揺れる。声が響く。暗闇だから余計にそうなる。彼は身を逸らした。その間を縫って、箱が投げ込まれる。それを投げたのはヒラだ。彼は綺麗な姿勢を維持している。それを彼は横目に見ながら、耳を塞いだ。
「──っ!」
世界が崩れる。否、硝子が割れる。彼はその破片が飛ぶのを見詰めながら、ゆっくりと後ずさる。破片が当たっては元も子もない。特に顔は守らなくては。そんなことを頭が考えたのだろう。彼は右腕で顔を隠す。左手はその右腕を支えるように添えられている。ふとその合間から見えたヒラも同じ動作をしていて、笑いそうになる。──バラリと硝子の破片が落ちた。
「今更何ですけど何でわざわざ硝子割ったんです?」
「そりゃ、その方がカッコイイからに決まってんだろ」
「それで納得しちゃ行けない気がする」
彼の素朴の質問に、ヒラは適当に応え、硝子の欠片を踏んでいく。まるで破裂するような音を立て、硝子は割れていく。彼はその後を追う。ただ急ぐことはない。急ぐ必要は大してないし、逆に急いで何処かに傷を負うのも面倒だ。だからゆっくりと慎重に体を窓の外へと持っていく。少しだけ先にいたヒラが彼の手を取り、引っ張り出す。彼はそれに乗っかり、地面へと着地した。外側にも硝子が漏れていたようで、パキリと鳴る。彼は後頭部を掻く。右左右。真っ暗闇だ。一人なら不安に負けてしまうかもしれない。そんな風に彼は思った。ヒラを見る。大欠伸が写った。呑気なものだと彼は思い、しかしそれが摂り作りだと気付いて急に虚しくなった。それは底無し穴に落ちていくような感覚だった。何処までも何処までも落ちていく。そこに終わりはなく、自力では抜け出すことは出来ない。体という感覚も徐々に失せ、心と頭が剥き出しになっていく。そのまま勢いよく地面に叩きつけられればいいのだが、そうなることは無い。逆にそうなって欲しいと願う程だ。もしそうなれば心は頭はその場所から開放される。一気に放たれ、心は軽やか、頭はスッキリとするに違いない。そんな幻想を抱く。それは有り得ない想像だった。だからこそ幻想なのだと彼は思った。
「おい、しっかりしろ」
肩を小突かれた。意識が回帰する。循環していたはずの言葉が消え、視界と聴覚の優位性が逆転する。それらを探し求めてみるが、今の彼にそれは不可能だ。心と頭が殻に籠る今、その言葉が現れ出ることはない。こんなことはきっと沢山あるのだろうなと彼は思った。それはその場限りの感情だった。次にまたヒラに小突かれた時には、スッカリ忘れ去っていた。
「どうしたんだ? 急にボーッとして?」
「いや、よくわかんないです」
「あ、そうか。若いうちはそんなこともあるもんさ」
ヒラはそう言って彼の肩を持つ。そこに邪気はなかった。けれどだからこそ彼は疑問に思った。──自分は将来、こんな風に言えるのだろうか。
「さて、地図地図」
彼はそんな言葉に反応して、ポケットに手を入れる。奥の方に入り込んだ紙を取り出すと、ヒラに渡した。彼は満足気なヒラの様子を見てから、辺りを見渡す。今は少しずつ明かりのある場所になり始めていた。そこは車庫の一番端らしかった。彼は明かりの頼りもなく、そこから車庫を見渡す。車庫は相当広い。大声で叫べば、反響に五秒はかかるのではないだろうか。そんなややこしい喩えで彼は車庫を表した。しかしそれは事実だ。この車庫は車庫としての機能だけではなく、避難所としての機能もあるのだ。ただそれを知るものがいないだけで、この車庫はその時を待っているのだ。と、妄想を始める阿呆な頭を叩いて、彼は上を見上げた。そこには一つ二つ三つ四つ……と梯子がかかっていた。幾つも置いてあるのだから、きっと目的地が変わるのだろう。彼はそんな風に思った。ヒラを見る。未だに地図を睨んでいる。どうやら梯子とで比較しているらしい。彼の予想は当たっているようだった。
トン、と音がした。それの正体を探り、彼は首を回す。右左右左。しかし見つからない。ハッとしてヒラの方を見ると、地図を人差し指で叩いていた。何だかおかしなリズムを刻んでいる。彼はそれに合わせて首を振る。
「こんな時にスマホがあればな……」
ポソリとした声が響く。暗闇だからか余計に響く。もしかしたら色素と音の反響には何かしらのな関連があるのかもしれない。そんな風に彼は思った。しかし思考はすぐに切り替わった。スマホと言った単語に耳がなる。前にもヒラが言っていたような気がするそれ。何故だかわからないが、ビルと同じような雰囲気がする。もしかしたら、近未来的なものなのかもしれない。彼はそんな風に思った。久々にここが夢なのではないかと疑問に思った。
「あった、ここだ」
ヒラが口を開いた。トントンと言うリズムが止まる。彼は首を振るのをやめた。心が突然激しく唸り始めた。緊張しているのかもしれないと思った。彼はそのままヒラの方へ近付く。彼はヒラの後ろに回ると、手紙を見た。その人差し指は左から二番目の梯子で止まっている。ヒラはそのままながらで梯子の元へ向かう。彼はそれに着いていくことにした。
カンカンとなる。それは二つ重なり、定常波とやらになって耳元で唸る。彼はそれが何故だか心地よく思えた。けれどその【何故だか】の部分がよくわからなかった。彼は心の中に潜り込んだ。そこにはやはりあの人がいた。そう言えば、あの人はこの音が嫌いだと言っていた。彼はそれが分からなくて、首を傾げた。するとその人はいつも「面白い奴だ」と頭を撫でてくれる。何だか泣きそうになった。けれどそれがどちらが先か彼にはわからなくてなっていた。つまり思い出したから泣きそうなのか、泣きそうだから思い出しているのか。両者は全く同じもののようで全く違う風に思えた。そんなことはきっと沢山あるのだろうなと彼は心の底から思った。彼はヒラの方を見た。彼はカンカンと鳴らしながら、必死に梯子を登っている。その姿がまるであの人のように思えて、彼は少しだけ寂しい気持ちを抱いた。今は何を言われても心が切なくなる気がした。
彼は梯子を登る。それはヒラの背中を追うことと同意義だった。だからただ黙々とヒラへヒラへと体を動かす。そのうち、風が吹き始めた。涼しい風だ。程よく渇いたそれを顔に浴び、彼はほうと息をつく。しかし道のりは遠い。カンカンと言う音に少しの風が加わったくらいだ。けれど心持ちは少しだけ軽くなった。彼は未だに聞こえる金属の音で、一人鼻歌を歌い始めた。適当なメロディでリズム。心の中で聞こえたコトバをサラサラとあぶく。彼は突然出てきた【あぶく】という言葉が気に入った。どんな意味なのだろうと考えてみることにした。どこかそれには聞き覚えがあった。
光が見え始めた。それは彼の頭に一つ結論が出たのとほぼ同時だった。彼はその結論を頭の片隅に寄せて、見上げる。そこには空があった。青い空だ。何故だかそれは今まで見ていたものと違う気がした。思えば、今肌を流れる空気感にも違和感はある。ただそれを具体的に言い表すことは出来ない。これを理解しているのは頭ではなく心なのだ。彼はそんな風に思って、梯子を登る手足を早めた。それに気付いたのか、ヒラの動きも緩慢さを抜け出す。ヒラの手が、空に届いた。
「おい、早く来い」
一足早く着いたヒラはそんな言葉で彼を呼ぶ。そこに感情はなかった。ただぶっきらぼうなものだった。もしかしたらそれは震えだったのかもしれないと、空に手をかけた瞬間に思った。彼は体を外へ外へと押し出す。狭い正方形の穴から、彼はようやっと抜け出した。所要時間は約五分。出方を試行錯誤して見つけ出すのにそれほどの時間がかかってしまった。ヒラに頭を軽く叩かれる。少しの痛みのおかげで、彼の思考は改めて快晴となった。
「おおこれが」
顔を上げた途端、彼の口からそんな言葉がポロリと零れ落ちた。彼はそれが初め心だけの声だと思っていた。しかしヒラの賛同を示すような首肯に、本当なのだと気付かされた。彼はそれで、自分が無意識に声を発していたことに気づいた。しかしそれは仕方が無いことだ。そんな風に思える。その声の起因は、彼とヒラの目の前に広がる景色だった。
そこは広く広く青い世界だった。そこにある建物全てが美しい青色で、その建物自体も奇妙な造りをしている。まるで皿をひっくり返したかのような形だ。こんな形をなんで呼ぶのだろう。彼の語彙にそれらを形容する言葉なかった。だから【これが】の続きが言えなかったのかもしれない。否、彼はそれをどこかで見──、
「やっぱり予想通り、ドーム型か」
「どーむがた?」
「ああそうだ。あの建物、全部ドーム型じゃねえか」
紅潮した頬をこちらに向け、ヒラはそう言う。何故こんなにも興奮しているのだろうと思った。きっと嬉しいからなのだな、と結論づけた。けれどそれが正解かどうかはわからなさそうだった。ふと、今なら声が出ることに気付いた。何を叫ぼう。青い世界を見下ろして、彼は頭を駆け巡る言葉を探した。けれど、この世界でそれは無意味だと、何となくわかった。だから心に聞いてみることにした。するとすぐに見つかった。それは少し嬉しいものだった。けれどその感情の半分以上は罪悪感に満たされていた。その行為は──つまり先程の行為は、駅員を裏切ることと変わりないと気づいてしまったのだ。初め会った時からずっと彼女が口にしていた言葉。それは未だにずっと頭の中で反芻している。だと言うのに、彼は今、言葉を心で探した。泣きたい気分になった。ふと、その時駅員にはきっともう会えないと気付いた。あまりにも遅いと自嘲しかない。では何故、あの時汽車で叫んでいたのか。それが全くわからない。あの時あったのは確実に心の喪失感で──それに気付いた時、彼の瞳から一筋の泪が零れ落ちた。そこに感情はなかった。
彼は呆然とした意識の中、ヒラに着いていく。そこに感情も意思もない。ただ付き従う人形のような状態だった。心と頭の何もかもが機能を停止している。否、拒否している。今動くのは体だけだ。足だけだ。ノソリノソリ、ノソリノソリと歩いていく。ヒラが時より振り返る度、安心感が胸中を埋め尽くす。その時だけ、心は動いてくれた。それが何とも嬉しかった。そんな時でも頭は動かないけれど。
あの場所から離れてから、一向に動こうとしない頭。これではまるで重石ではないか。そんなふうに思った。歩行の邪魔をする重石。今の頭にはそれがピッタリだ。そんな風に考えた。それが頭を使っての結果だと気付いて、彼は自分の矛盾に気付いた。それで申し訳ない気持ちになった。だからちょっとだけ心を──胸を叩いた。それで心が怒るのなら仕方がない。けれど今なら許してくれる。そんな風なことを思った。彼は頭を振った。それで迷いが消えてくれたらどれだけいいのか。そんな風に心が言う。ふと疑問が生じた。何だか不可思議な感覚を覚えた。しかしその答えが出ることは無い。ただ、彼はそれでもいいと思えた。彼はヒラの背中を見た。しわくちゃの背広が見える。それでホッとなった。ヒラの背中に駆け寄る。
「雨はどっちだった?」
ヒラは彼にそう問いかけた。彼はハッとなった。全て見通していたのだなと気付いた。けれそれで嫌な気分になることはなかった。逆だった。その感情に名前を付けるのはおこがましい気がするくらいだ。そんな風に心と頭が言う。それはまるで矛盾したものだった。今までこ闘争はどこに行ったのだろうと彼は思った。けれどそれは別に何でもいいのだと気付いた。きっとみんながみんな、こんな矛盾を抱えているのだと気付いた。
「どっちもです」
「そうか」
彼が気分良く言うと、ヒラも笑ってそう言った。承認してくれたことが嬉しくて、彼はヒラを真似て笑った。それはぎこちないものだった。ヒラの掌が、彼の頭に触れる。それはいつかのあの人のようだった。それが何となく、嬉しく感じた。
「そろそろ着くぞ」
ヒラがそんな風に言い出した。手元には地図が広げられている。現在位置と照らし合わせ、遠く明後日の方を見る。きっとそちらに目的地があるのだろう。彼はヒラの迷う姿を見詰めながら、伸びをする。それで心が、頭が、スッキリとした。ヒラもそれを見て伸びをする。頭を振った。どうやら迷いは取り払えたようだ。ヒラは歩く速度を上げ始めた。それが嬉しくて、彼はヒラを追う。風がとても気持ちよかった。そんな時だ。
「あ、あの!」
突然、そんな声が聞こえた。周りは全て広がる草原だから、隠れる場所などないはず。そう思っていたら、その声の主が森の木々の中から現れた。こんな所に森? 何故だ? 頭が必死に情報を集め出す。今、唐突に世界の景色が変わった。先程までの草原はどこへ言ったのだ。彼はそんなことを考えながら、辺りを見渡す。答えは見つからない。心ですら、何もわかっていない。しかしここで混乱しては駄目だ。そう心と頭を落ち着かせる。声の主の方を向いた。
「私の姉は、何処へ行ったんですか?!」
声の主は──少女はそんな風に叫んだ。その目は血走っており、声は荒らげられていた。つまり彼女は怒っているのだな。彼はそんな風に思った。その怒りはどうやら全方位に──この世の全てに向けられているように思えた。その中には彼女自身も含まれているのだろうな。彼の視線は赤い線で切り刻まれた彼女の手首に向けられていた。彼は彼女へ向けていた視線をヒラへと向ける。ヒラは明らかに動揺していた。慣れていないから──という訳ではなさそうだった。何か知っているのだろうな。彼はそんなことを思って、ヒラに近付いた。
「す、すまねえが、オレたちは力になれそうにないな」
ヒラはそう言って、少女から目を逸らした。それに少女は視線を疑いの目に変える。彼もそれには思わずため息を吐く。あれはさすがにまずい。露骨に目を逸らせばそんな風になるのは必至だろう。彼は呆れ調子でヒラを見て、ため息。口を開く。
「申し訳ないんだけど、今急いでるんだ。だから君の相手は出来ないし、そもそもの話、君のお姉さんが一体誰なのか、サッパリ分からないんだ」
ヒラの肩を掴み、彼はそう早口で捲し立てる。呆気に取られているだろう少女には見向きもせず、彼はヒラを連れて進む。ズカズカと進む。十秒ほどして、少女が追いかけてきた。それをチラと見て、彼は依然唖然としているヒラに耳打ち。ハッとした顔をしたヒラはその言葉の通り一切振り向かず、前だけ見て歩き始めた。ちなみに彼の耳打ちの内容は完全に無視すればいなくなってくれるのではないか、というもの。おそらくこれをヒラは少女が諦めると言う状態を生み出す為と解釈したのだろう。しかしそれは違う。彼の考えはもっと単純だった。──この奇妙な世界なら、考えたことを実現出来るのではないか? それはヤマモトに猛進した際にもあった仮説だ。ヤマモトの時は必死になりすぎて結局正解か不正解かわからずじまいに終わってしまったが、駅員の言葉もある。車庫行きの電車が現れたこともそれのうちだ。つまり何が言いたいかと言うと、あの少女でさえも、自分の想像の産物ではないかという事だ。もしそうなら、きっと願えば消えてくれるはず。それにその仮説が正しいとすれば、平原が突如森と化したのにも納得出来る。もしかしたら──さっきからもしかしたらばかりで飽きてくるが──、あの森が消えさえすれば、あの少女も消えてくれるのかもしれない。可能性の域は出ないが、彼は少女と突如現れた森とには何かしらの関係性があると考える。
「ねえ! 応えてよ! 止まってよ! 何か知ってるんでしょ?! ねえ!」
少女が後方で、悲痛な声を挙げる。しかしそれに彼が心痛めることは無い。何故だか少女のその声を聞く度、彼の加虐心が疼いてしまう。だから彼は今、自分の加虐心を抑えることに必死だった。心が全身へ発令する加虐心の一切無視を貫かなくてはならない。そんなふうに思う。しかしただそれだけでは駄目だ。体を進めなくてはならない。ちょくちょく同情の目を後方に向けるヒラに、「早く行って」と声掛けし、彼は息を吐きながら進む。その速度は遅い。しかし少女は追いついてこない。大丈夫、仮説は正しい。無視だ無視。心を全て無視することに集中するのだ。無視することに集中? 意味がわからないな──大丈夫、大丈夫。心を落ち着かせ、不要な考えを排除する。今は前を向いて、ヒラの背中を追え。それだけしかしてはならない。それは心と頭の総意だった。
「嬢ちゃんすまねえ!」
と、そんな時だった。
「オレは、お前の姉ちゃんの居所を知ってる!」
そんな風に、ヒラが声を張り上げた。
「ほんとにすまねえ!」
土下座までして、少女に謝る。そんなヒラの様子に、彼は驚いて、しかし少ししてからため息。何を考えているんだ? そんな疑問が頭を通る。彼はまたため息を吐いた。凡その未来が予測出来てしまった。これはあれだろう。その少女の姉を探すため、寄り道をしなくてはならない奴だろう。マジか、と心が言う。やばいな、と頭がそれに賛同を示す。心と頭が総意で、この場から逃げ出せと言っている。しかしそうすることは出来ない。出来るものならそうしたいところだが、今目的地を知っているのはヒラだけだ。ここにヒラを残してしまえば、彼は途方に暮れる。おそらくそのままこの森で朽ち果ててしまうだろう。それは嫌だな、と思った。だから渋々と言った表情でヒラに近付くと、肩に手を置いた。
「それ、本当なんですか?」
そう耳打ちすると、ヒラは首肯で応えた。これが成り行きならどれほど良かっただろうか。そんな風に思いながら、彼はため息を吐いた。これで何度目だろうと、数えるのすら億劫になってくる。彼は少女の方を向いた。
「それで? 彼女のお姉さんって言うのはどこにいるんですか?」
しかしその問はヒラに向けられたものだった。少女は一瞬、ほんの瞬きの間だけ、目を丸くする。すぐさま表情を戻すと、頬を硬くした。その目は真剣だ。心と頭全てが全て一つのものに向けられている──その異常性をヒシヒシと感じる。彼は自分が少女に臆していると気付いて、恥ずかしくなった。
「とりあえず、始めから話す」
一度息を吸うと、ヒラはそう言葉を始めた。その表情は真剣だった。邪魔をしてはならないと頭が言った。
【ヒラの話】
「その……オレがその子の姉と出逢ったのは三日前のことだ。まあまずなんであいつがこの子の姉かってわかったかって話だが……これはまあ顔が似てたからな。こんな特徴的な髪色、オレは今まで見たことがねえ。まあ、それは良い。とりあえず三日前のことだ。オレはオレのスマホを探して、あの駅をうろちょろしてて──それはお前も知ってるよな。とにかく、それでオレはあいつに出逢った。初めあった時はビックリしたよ。この世界にこんな髪色してる奴がいるんだなって。まあ、あいつが、自分はこっちの人間じゃないって言うから納得したんだが……それは良い。オレはあいつにも、オレのスマホを知らないかと尋ねた。もちろん知らないって応えれたよ。当たり前の話だわな。まあそれで、オレは立ち去ろうとしたんだが、あいつはオレにこう言ったんだ。──道案内してくれないかってね。オレはまあ別に忙しわけじゃないし、断る理由なんてなかったから、とりあえずわかったって応えたんだ。そしたらまあニンマリ笑ってな。オレたぶん一生あの顔を忘れられねえんじゃねえかな。ま、それは良いんだそれは。オレか話したいのはこの後……たぶん嬢ちゃんが聞きたいのもこの後だろう。……オレはあいつに、どうしてここに来たのか聞いた。そしたらあいつははぐらかすばっかりでな、オレはもういいやってなっちまって、深く追求することはなかったんだ。で、オレは次にこう尋ねた。──行きたい所とかございませんか? ってーーおいこら! お前、今鼻で笑いやがったな! 何たる失礼。オレに敬語に合わないとでも──ああすまねえ。元凶はこいつだかとりあえず謝っとく。それでまあ、オレは、行きたい所とかございませんか? って──おい! お前次笑ったらただ済まさねえぞ、覚えてやがれ! ──とりあえず話を進めさせろ。いいか、オレはその時そう尋ねたんだ。そしたらあいつはこう言った。──面白い所に連れて行って、ってな。あいつはそれがまるで【でーと】みたいだって言ったんだよ。オレはそれの意味がサッパリ分からなくて聞いたんだが結局わからずじまいで……お前わかるか? わからない? だよな。あんなん言われたらビビるよな。ま、それは良いんだ。それでオレはあいつの言う通り、面白い所に連れてった。とは言っても、あの場所に面白い所なんて大してねえから、駄菓子屋行って、焼肉屋行って、あとはまあ駅員にちょっかい出しに行って……最後に、オレはビルへ言った。実はオレは何でかビルに入れなくてな。案内をする時も敢えて避けてたんだが……何故か、あいつはそこに行きたがった。不思議だと思わねえか? だっねあんなただデカいだけの建物に、面白い所なんてありゃしねえってのに。だけどまあ、オレも暇だったから、ビルに行くことにしたんだ。とは言っても、さっき言ったみたいにオレは中に入れねえから、外で待っとくことにしたんだ。あ? 本末転倒だって? お前もそう思うか? だよな、オレもそれあいつに言ったんだ。けどまあそれを聞かずに、あいつは行っちまった。何でかわからねえが、何となく、引っ張られてる? とか、吸い込まれてる? みたいな雰囲気だったんだよ。それはやっぱ不気味でな、外で待ってる間、ずっとオレは不安だったんだよ。何か、緊張してるみたいな? いやそれは違うな。言っちまえば虫の知らせとかの時のやつだよ。体が冷えちまって震えてるのに、何故だか動かなきゃ行けねえ、そんな感じがするんだ。それで、オレはビルの中に入ることにした。さっき言ったみたいに、オレは中に入らねえ。だけどそんな時だけは、何故かすんなり入れたんだ。おかしな話だろ? けどほんとなんだよ。オレは中に入って、真っ白なロビーを抜けて……そこで、【教祖】とか言ってる訳わかんねぇやつが、あいつに抱きついてるのをみたんだよ。オレはそん時、頭と心どっちもカッとなってな、突進したんだよ──ああもちろん【教祖】ってやつにな。で、オレはあいつを抱きしめて、ビルから逃げ出した。たぶん今同じことやれって言われても無理だろうな。それくらい頭と心が冴え切ってた。オレはビルから抜け出した後、急いで焼肉屋に逃げ込んだんだ。あそこの店主は割と親切だからまあヤバいって言ったらすぐに匿ってくれて──ってそういやそんな時お前おったよな? 普通におったよな? まあ今その話は良いんだ。とりあえずオレは焼肉屋の倉庫か何かに入って、しばらく過ごしてたんだ。でまあ事件はそこに入ってから二日目に起きたんだ。それはもう突然の話だった。突然、カンって音がしたんだ。いや、信じてくれてなさそうだからもっかい言うけど、カンってしたんだ。ドンとかバンとかゴンとかベシとかじゃなくて、カン。これで焼肉屋が吹っ飛んだんだ。オレ達はちょうど倉庫にいたから無事だったが、たぶん店主は死んだんだろうな。きっとそうだ。まあその時はそんな所まで頭が回らなかった。とにかく急いで逃げなきゃって心も頭もそう叫んだんだ。だからオレはあいつの手を引っ張って外に逃げ出した。そしたらよ、突然世界が揺れたんだ。揺れるんだぜ? 世界が。お、オレは驚きすぎて腰抜かしそうになっ──でも、あいつが隣にいたから、なんとか踏ん張ったんだ。折れそうな心をなんとか支えれたんだ。ただまあ、それにあんまり意味はなくてな。オレがどうこうした所で、何か変わるわけがねえってことさ。結局、そんな時現れたあの【教祖】って奴に捕まって──そっからは覚えてない。たぶん記憶の何かを弄られたんだろうな。今話した内容を思い出したのもあの電車の中。同じように爆発が起きたからだ。まあ、音は違ったんだが。とまあオレの話はここまでだ。……え? 結果として姉は何処にいるかって? そんなの、わかり切ってるだろ。あのクソ野郎……【教祖】とかなんとかいう訳わかんねぇやつのとこさ。オレは……アイツを許せない。許せないっていうか、許しちゃいけないって思うんだよ。それはきっとこいつも一緒だ。だからよ、言っちまえば目的はオレら全員同じなんだ。あの訳わかんねぇ野郎……【教祖】をぶっ飛ばす。それが目的なんだよ」
そう言って、ヒラは少女の肩にグゥの手で触れた。ニヤリと笑って、 少女の目を見た。そこに迷いはなかった。もしかしたら、あの会話の間に決心がついたのかもしれない。彼はそう思った。しかし──あの焼肉屋に、そんな女がいただろうか? ヒラの言うその日、つまり彼がこの場所に訪れてから二日目に、自分はそんな女と遭遇したのだろうか。思い出せ。思い出せ。
「──あ」
世界が暗転する。
──心に雨が降るなら、恋を理解しろ。雨が心を濡らすなら、愛を理解しろ。