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【恋愛論者】  作者: 毛利 馮河
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プロローグ

──恋はいつだって初めてのように感じるものだ。


一人きり、流れていく空を眺めている。無垢な色が何だか昔とは違うように見えて、彼は少しだけ寂しい気持ちになった。

断線したヘッドフォンが、今、彼の手に握られている。古い、本当に古いヘッドフォンだ。耳当ての部分も既に褐色化している。それを繋ぐ接続コードもボロボロだ。

しかしそれはついさっきに壊れた。それは彼が父から受け継いだものだった。ムシャクシャした拍子に壊してしまった。だからひどく後悔している。


ガタ、ガタガタ、ガタガタ、ガタ。そんなふうに、不規則に身体が揺れる。きっとちゃんとした整備がされていないのだろうなと思った。

それは事実だった。この時代、この電車を使う者は本当にいなかった。今も彼が一人座っているだけである。


彼はポケットに手を入れる。しばらくまさぐり、「あ」と声を出して一枚の紙をとりだした。それは手紙のようであった。しかしそれは同時に地図でもあった。二つの意味を持つそれは、彼の手により拡げられる。すると、嬉しそうにカサリと音を立てて彼に情報を与えた。


──三人でつるんでた時の方が、人間らしかったよ。


その手紙を読んだ途端、風が吹いた。それは強風だった。彼は思わず頭を抱える。しかし髪が逆立つこともない。物理的な部分では、一片の影響もなかった。それで彼は、その風が何なのか悟った。しかし口にしようとは思えなかった。


アナウンスが流れた。終点の名を告げる。それは聞いたことの無い駅名だった。もしかしたらこれは全部夢なのかもしれないと思った。それならどれほど良いのか、とも思った。


ガタガタ、ガタガタ、ガタガタ、ガタガタ。終点に近付いてくると、少しずつ揺れが周期的なものに変わっていく。それはその終点が都会なのだということを嫌でも知らせた。彼はそんな些細なことで寂しい気持ちになれた。今なら何を見ても寂しい気持ちになれるかもしれない。そんなふうに思う。それは冗談に出来る類のものではなかった。


終点の名を告げ、電車が止まった。煙が半秒ほど遅れて放出された。彼は「あ」と声を上げる。それで、彼は今自分が乗っている電車が蒸気で動いていたことを知った。それなら電車ではなく、蒸気機関車──汽車ではないかと思った。

それはきっとそうなのだろうと心が理解していた。けれどあまりにも外観が電車に似ているものだから、勘違いをしてしまった。誰かに話す前で良かったと安堵する。

ただ同時に、その誰かとは一体誰なのかわからなくなり、不安な気持ちになった。それは寂しい気持ちと同じくらい気分の悪いものだった。


汽車から降りようとしたら、突然、舌打ちをされた。誰だと思って辺りを見渡す。右左右。そこには見知らぬ男がいた。男は一人でずっと舌打ちを続けている。それが以外は何もしていない。寂しい人だなと思った。

それから、彼は少しだけ距離を取って、その男の姿を写真に収めた。何故かそうしなくてはならないような気がした。そうしたら、案の定男に気付かれた。男は舌打ちをしながらこちらへと近付いてくる。彼は重たい荷物を引きずり引きずり距離を取る。しかし男の歩幅が広すぎて、一向に逃げられない。もしかしたらこんなことを追い詰められている、というのかも知れないなと彼は思った。


「お前さん、オレのスマホ知らねえか?」

「す、すまほ?」


【すまほ】とは一体なんなのだろうか。彼は不思議に思い、首を傾げる。わからないことに仕方はないのだから、結局、男の話を聞いてみることにした。


男はどうやら、不動産会社の社員らしい。ただの平社員だと男は名乗った。それが彼にはよく分からなかったから、彼はその男のことをヒラと呼ぶことにした。

ヒラは大事な面談に遅れそうなこと、彼此一時間くらい同僚を待っているが、なかなか現れないこと、そして、彼を同僚と勘違いしてしまったことを語った。

それだけ喋ると、ヒラは煙草を吹かせて息を吐いた。長く伸びた髭に煙がかかって行く。それで、そのヒラはきっと嘘をついているのだなと思った。きっと見栄なのだろうと思った。しかしそれを口にするほど彼は愚かではなかった。ただ少しだけ同情の光を目に灯した。自分でも認識出来ないほど少しの侮蔑がそこには混ざっていたように思われる。


「そうかそうか、すまねえな」


「知らない」という彼の一言に、ヒラは笑ってそう言った。初めから頼りになどしていなかったのかもしれない。何だかそれは腹が立つなと彼は思った。

力になれなくて残念という気持ちも確かにある。しかし初めから頼りにされていなかった、だなんて拍子抜けだ。否、それはきっと失望されているのと同じなのだ。彼はそんな言葉が頭で鳴るのを感じた。とは言えそれを口にするほど彼は愚かではなかった。


ヒラは手を振り振り彼の元を去っていく。その足取りは重たい。上半身の軽やかさとは比べ物にならないほどに重たい。彼はそんな姿を哀れさを込めた目で見つめて、自分の撮った写真を見返した。そこにはピンボケしたヒラの姿が映っていた。ため息を吐く。何故かそれでもいいと思えた。否、それはただヤケになっているだけでしかなかった。


彼はふと、自分がまだ汽車から降りていないことに気付いた。ゆったりと落ち着いた気分で、開かれた扉を潜り抜ける。太陽がキラリと光った。無垢な空がそんな光を反射していた。そこで、彼は思った。


──自分は一体何故こんな場所にいるのだろう。

初投稿です。

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