五話
授業はテストが近づいてきているので、復習が大半だった。四限目も同じような感覚で受けた。咲は五限目があるため、学校に残ったが、俺は特段用事はなかった。
校内放送で奨学金の申請のことが放送されていると、俺のすぐ隣には奨学金の内容を示すポスターがあった。
俺には全く関係ないことである。俺と咲の親は十分に大学に行かせてくれるほどの貯金をしてくれていた。そのことには最近気づき、本当に感謝している。
実際無関係だと思っていたが、正面から陸がやってきた。
「おっす」
「ああ、陸か……授業は?」
「ああ、それよりも重要なものがあって……」
なるほど、そういう事か……。
俺に何かを隠すようにいるが、ばれている。もちろん奨学金のことだろう。
奨学金。聞こえはいいが、実際のところは借金である。NPO法人からお金を借り、大学に無理やり行く制度。もちろん、成績上位者奨学金という大学から認められた学生は借金をなかったことにすることができる。ただし、それは国家試験に合格した場合の話だ。もし、合格した場合は大学としての名誉になり互いに利益を上げれるという関係を気づくためだろう。
ただ、俺は陸の成績を知っている。こいつの成績は俺と対照的にバラバラだ。いや、一般的と言ったほうが正しい。得意な科目は高く、苦手な科目は落単したこともあるらしい。決していい成績とは言い難いものだった。
つまり、彼はNPO法人に借金をする制度の奨学金をしている。
借金をしていることへの後ろめたさか、俺に今まで話すことは無かった。
「じゃあ、俺帰るな」
テキトウに挨拶をして帰ろうとしたが、陸の顔は下を向き、何かを言いたそうだった。
けれど、その気持ちは陽介に通じず、彼はそのまま帰ってしまった。
「結局言えず、か……」
陸にも隠し事があった。けれど、そんなこと簡単に言えるわけがない。友人であるからこそ、その関係に亀裂を入れたくない。そんなことが頭をよぎり、彼は何もいう事ができなかった。
家に帰れば、昨日の夕飯の残りである麻婆豆腐を食べる準備をし始め、家事を始める。洗濯掃除、早めにやってしまわなければ、テスト期間に無性にやりたくなってくる。
今朝レポートを仕上げたので、予定としては空いているほうだ。けれど、1LDKの部屋。掃除するスペースは広くない。一時間もたたずに掃除が終了すると、隣の部屋に物音が聞こえ、咲が帰ってきたのが確認できた。
「ノート被らないように、聞いておくか」
部屋を出て靴をはき、自室の鍵を閉め、咲の部屋のチャイムを鳴らした。
一分ほど待って、咲は出てくると、エプロン姿だった。夕飯を作っているのだろうか、エプロンには茶色いがあった。カレーでも作っていたのだろう。
「咲、日本経済の授業のノートまとめた?」
「ううん、まだだけど?」
「そうか、なら俺時間あるからまとめておく。それと、エプロン洗濯しろよ」
俺はあまりエプロンをつけることがない。料理に積極性がないと思う事もあるが、服に染みができたことがあまりなかった。そのため、エプロンを着る習慣が身につかなかった。
俺の言葉でエプロンのシミに気が付いたのか咲は慌てていた。
「え、嘘。どこ……シミって落ちにくいんだけど……」
「俺、時間あるからエプロン一つぐらいなら、もみ洗いしてやる。料理終わったら、俺の部屋に来い」
その言葉を残すと、玄関のドアを閉め、自室に戻った。戻ったころには8時ぐらいだった。
特段やることがない。暇というものは俺にとっての天敵であり、馴染み深いものだった。
今まで熱中するものがなかった。それがとても辛かった。野球、サッカー、陸上。なんでもよかった。何か一つ苦手なものを見つければよかった。何か一つ得意なものを見つければよかった。
すべてのものにおいてある程度まではすぐにできる。それが俺の特異性だった。田舎の高校であったため、人数が少ない部活の試合に出ることも多々あり、それなりに部活をしていた人たちからはいい助っ人とは思われていた。
そして、その試合の中で何度か勝つことがあった。けれど、その喜びは俺に感じることを許さなかった。
得られたものは勝利の二文字だけ。それ以外何もなかった。歓喜するチームメイト、悔しい敵チーム、その心の奥底にある感情が俺には欠如していた。
その時俺は初めて知った。俺は普通の人間ではない。
未だ、俺は幸福の喜びを知ったことがない。
受験勉強で必死だったが、この大学に合格したときも、なんだその程度だったのか、と落ち込んだ。
すべてにおいて完璧ではない。完成されたものではない。けれど、失態を一切起こさない。それが俺だった。
それが、嫌で嫌で仕方がない。
苦労する。そのことは大変重要だと俺は思う。
苦労して、手に入れたもの。そんなものを誰も手放したくはない。絶対に自分の懐に入れておきたいと誰しもが思う。苦労に見合ったものでなくても、その苦労というものに価値があった。
だから苦労というものは大切なのだ。けれど、俺には苦労がない。それなりに勉強はした。けれど、毎日の習慣でやっていた程度の勉強で、受験勉強だから、特段勉強したというわけではなかった。
高校三年生の秋のころには英鋭大学の合格ラインまで勉強ができていた。
対照的に咲がギリギリに合格をした。二回ほど、この大学の受験に失敗したが、それでも最後の最後のテストで合格をして通っている。
だから、彼女が持つ大学への拘りと、俺がもつ大学への拘りを比べると雲泥の差がある。
俺はその点においては咲に嫉妬してしまう。何かに熱中すること、そのことへの嫉妬が大きい。
大学生になり、自主的に行動しなければいけない状況になりようやく気が付いたのかもしれない。
やっぱり俺は熱中できるものがほしい。