三話
「夜から咲はバイトだっけ?」
「うん、夕飯は作って置いておくから適当に食べておいてね」
「いいよ、自分で作る」
幼馴染とは言え、同世代の子にここまで世話をされるのは、いろいろと心に響いてくる。長い間の関係とはいえ、流石に俺も一人で何かをしたい。
大学生になって始めてみたアルバイトも咲が二週間後には同じ喫茶店に入ってきた。咲にはもうしわけないが、監視の目が強すぎて嫌になってきている。
お金を貯めて何か買いたいものがあるかと聞かれれば、特にない。けれど、親から送られてくる仕送りだけで生活するのと自分のお金で生活するのでは、少し違った。
一人で生活をしているみたいで少しだけ充実していた。だが、結局咲に知られてしまったせいか、今は惰性的にバイトを行っている。
ストーカーとまでは言わない。俺も幼少期に行方不明になって地元ではそれなりに有名な事件を起こした。それが原因で過保護なのは理解できるし、納得できる。俺自身に汚点があったからその辺りは仕方がない。
それでも、成人を過ぎたとしても未だに続いている。それが嫌で仕方がない。こんな縛りを抜け出して、どこかへ行きたい。けれど、思ったとしても今は実行できない。
せっかく勉強して入った難関大学、それを捨ててまでやりたいことというものが未だに心の奥底から出てこない。
咲がバイトに出かける時間になると、俺は自室に戻り自炊を始めた。
今日はスーパ―に会った麻婆豆腐を作ることにした。豆腐の容器に切り込みを入れ、中から水を取り除き、まな板の上にのせる。その後、いくつかに切り分けると麻婆の方を準備した。
フライパンに火を通し、油を張り、数分待つ。その後、スーパーにあった中辛マーボーのパックから中身を取り出し入れた。その後広げ、二分ほど待ってとろみを入れる。
「あっ、ネギ忘れている」
冷凍庫から冷凍ネギを取り出し解凍せずにそのままフライパンの中に一握り分入れた。その後、二分ほどまってから豆腐を入れて掻き回せば完成した。
約十分、それだけで今日の夕飯は完成した。
どんぶりに朝炊いたご飯を入れ込み、その上に麻婆豆腐をかけて食べ始めた。
無音のまま食事をするのが嫌になり、リモコンでテレビの電源をつけてニュース番組をかけた。
失踪事件が1件かあった程度で特別大きな事件ということは無かった。何もなく平和の象徴だ。
けれど、失踪事件が最近多くあるように感じる。昔経験をしたから強く覚えているのか、先週もどこで何歳の人が失踪したのかをしっかりと覚えている。さすがに名前まではしっかり覚えていないが、一般人にしては覚えているほうだと自負している。
「真夏の太陽は日中を灼熱地獄変えるが、危機として大雨を呼ぶ触媒になりえるため、皆厄災には注意するように……」
天気予報のキャスターがそんなことを言っていた。最近の流行なのだろうか、いまいち理解ができない。
田舎で長期的にいたことが原因して、流行の移り変わりというものにすごく疎い。都会に住み始めて二年と四か月、未だに慣れないことが多い。特に人間関係では苦労した。
当たり前だと思っていた方言も誰も使わず、みんなの言っていることが分からなかった。ドラマの話を一度だけした。けれど、そのことが次の日まで続かなかった。
何に関しても動きが速い、それが都会に過ごして初めて感じた感覚だった。
人が歩く速さも、電車が進んでいく速さも、流行の速さも、何もかも速く感じてし合った。
何度もホームシックになりかけた。けれど、そのたびにこのミサンガで落ち着いてきた。
普通のお守りと違い抽象的な何かを感じる。よく分からないが、俺を守ってもらうような感覚。
一度だけ、咲に貸してみたこともあったが、咲は何も感じることなく、結局俺以外には効果がなかった。
テストが今月末にあるので、それまで必死にレポートやテスト対策のノートづくりに必死になっている。レポートは後に週間で作り上げ、ノートはテストまでに完成すればいい。レポートはともかく、ノートは陸や咲と協力すれば何とかできる。
さすがにレポートは同じものを出せば、単位が消滅してしまう。今まで単位を落としたことは無いが、咲が何を言ってくるか分からない。
そんなことを考えながら皿を洗い、残った麻婆豆腐を真空パックに詰め込み、冷蔵庫に入れた。
「され、風呂に入るか……」
八時三十七分、これから風呂に入る。レポートを作る。俺の通っている学部は経済で、今回は年金についてのレポートをまとめている。
まずは、国が税金として回収して、自分の年金を積み立てる積み立て方式。そして働ける世代から税金を徴収してそのまま年金として老人に渡す、現在採用されている賦課方式。その二点を必死に比較してどうして賦課方式のままなのか、賦課方式のメリット、デメリットをまとめた。
さすがに一晩で完成するにはいたらず、賦課方式しかまとまらなかった。提出期限は今月末なのでペースとしては何ら問題はない。
レポートを書き上げることに集中していたのか気が付けば時計の針が11の数字を示していた。このまま続けるのは悪くはないが、集中力が急激に落ち始めたので、今日はここまでにすると決めた。
キッチンに行き、麦茶を飲み、室内の電気を消し、眼鏡を取りベッドで横になった。
夢というのは昔の記憶を見せる。ただ、足りない部分は空想や妄想、なかったことで補ってしまうことが良くある。
しっかりと覚えていないものほど、その傾向が強いと僕は思っていた。ただ、その夢の中で色や形を一切覚えていない、そのことだけが不思議で仕方がない。
通常の夢ならば、米粒程度だが、寝起きならば覚えている。けれどあの子が出てくる夢は一切記憶に残らない。
けれど、夢を見ている間はしっかりと覚えている。深紅い瞳を持ち、漆黒の髪をの女性。服装は平安時代のようにな何枚も羽織っている。
僕との共通点なんて一切ように見えるが、彼女の右手首には赤いミサンガがある。幼少期に誰かからもらったミサンガとそっくりの物。
きっと彼女から貰ったのかもしれないが、そのことを起きた僕は覚えていない。
彼女をずっと見つめていたい。そんな感情を抱いたころには現実に押し戻され、夢が覚める。
カーテン越しの日差しに起こされると、僕は起床した。眼鏡をかけ、時計を見つめる。7時37分、いつもこの時間辺りに俺は起きる。そのため、今まで目覚ましというものをあまり使わないで済んでいる。後20分もすれば隣の部屋から目覚まし時計の静粛するような音がやって来る。
隣の部屋でもかなり聞こえるため、当事者の咲は毎日轟音に見舞われていると思うと、少しかわいそうになる。けれど、俺には何もできない。寝ている女性の部屋に入るのはさすがに不敬である。
咲は一年生の夏まで、自室の鍵をあまりかけなかった。そのせいで一度だけ部屋に空き巣が入った。特別効果なものは取られなくて済んだが、彼女はかなり傷ついていた。
これが都会というもの、隙を作ればすぐに持っていかれる。そんなことを俺も覚えたのがその事件だった。けれど、そのおかげで俺と咲は防犯意識が高まり、それ以来部屋を開けて外に出ることは無くなった。