二話
ずっと彼を待っている。
名前は分からない。けれど、しっかりと約束をした。
君のことを忘れても、覚えていなくても、ずっと探し続ける。だから、その日まで待っててほしい。
なんて抽象的な約束だろう。別れて数か月は彼とは二度と会えることなんて思ってもいなかった。
けれど、私達鬼の中には交わした約束は絶対に守る。という義務がある。
人とは違い、絶対に約束を守る。破ることが許されない、鉄の掟。
子供同士の約束でも結婚でも絶対に破ることは許されない。
けれど、彼は私達鬼とは違い人間だった。
額には角はなく、身体能力も生命力も弱かった。
極々稀に、この世、平聖郷に人々が人々が紛れる。
紛れるといっても、子供だけだ。それも幼少期ですぐに忘れてしまうような年齢だ。
そんな少年に私は恋をしてしまった。
決して相いれない、禁断の恋。
叶えてはいけない、頭では分かっている。けれど、気持ちがどうしても抑えきれなかった。
あの七日間はすごく楽しかった。
けれど、そんなものはすぐに崩壊をした。
私は鬼の姫君。平聖郷を治める家系の一つ。そんな少女が一人山に行き、人間の少年に恋をした。
私は平聖郷にとって重要な鬼であった。
だから、すぐに大人たちに伝えられた。
楽しいひと時はすぐに崩壊した。
彼は私の前で傷つけられ、地を這いずりながら私に駆け寄った。
私は彼を守ることができなかった。
抵抗はできたのかもしれない。けれど、大人の鬼には決して勝てない。自分よりも大きいものには決して勝てない。そんなことは誰でも知っている。
けれど、少年は知らなかった。
相手が鬼であろうと、少年は私を守ろうとしていた。
そんな彼に恋をしていた。
無様な姿と罵る鬼ばかりだった。けれど、それでも私は彼が好きで仕方がなかった。
その後、彼の記憶はしっかりと消された。呪術でこの一週間の記憶をなかったことにされた。
少年は人間界に戻された。その後、彼がどうなったかは知らない。知りたくても、私達鬼にはどうすることもできない。
けれど、私は少年と約束を交わした。
そして、記憶を消した私の祖母とも約束を交わした。
もし、この子が誰も好きにならなかったら、もう一度会わせてほしい。
そんな約束をした。
無理だとわかっていた。
人はすぐに恋をするもの、すぐに約束を破るもの。代々そう伝えられていた。
記憶なんて頭の奥底に押し沈められた。思い出すことなんて二度と無いだろうと祖母言われた。
そして、もうすぐ約束の6000日。6000日彼が誰も好きにならなければ、私達はもう一度会うことができる。
後、たった30日。30日それだけ待てば、彼ともう一度会うことができる。
そのことを彼は知らない。けれど、ずっと待っていてくれた。
私達の約束を守ってくれた。それだけでうれしかった。
私は駆け出し、部屋を出て祖母に会いに行った。
「おばあ様、よろしいですか?」
「なんじゃ八重?よもや……」
八重、それが私の名前だった。ただこれは名称に過ぎない。祖母は六重、母は七重そして私が八重。ただの代々に歴史通りの名前でしかない。それが決して好きになれなかった。それは彼に会うまでは……。
「その話です。後30日で約束の日です。鬼にとって……」
私にとっては彼が太陽だった。彼に名前を呼ばれると、すごくうれしかった。それだけで天に召されるほどうれしく、名前の意味を初めて知った。
「ならん!」
強烈な風が祖母の周りから吹き荒れる。近くにある室内の装飾は落ち、割れ物はすべて割れた。
「ですが、約束です!」
私は臆せず言った。いや、言わなければならない。彼に会いたい気持ちは年々増幅していった。彼に渡したミサンガから彼のすべてを監視し、それを毎日のように祖母の告げてきた。
「それは、人との約束じゃろうが!」
「人が守った約束を鬼が破るのですか!それこそおかしな話ではありませんか!」
彼はずっと私を待っていてくれた。だから私が迎えてあげなければいけない。忘れても、ずっとミサンガを身に着け待っていてくれたんだ。
その約束を守ってくれた彼に約束を守らなければいけない。それが鬼としての掟だ。
「おばあ様は、鬼ですか?」
私の祖母の額にはたくましいほどに尖った角が二本存在する。もちろん私には同じような角が存在する。鬼の象徴だ。
けれど私が問うているのは心意のこと。鬼としての掟があるかどうか。
「獣に何を言ってたとしても同じじゃ。それより見合いを十日後に組んだ。平聖郷を同じく治める家系の一つ……」
「話になりません!私は行きません!」
いつにもなく強気だった。彼に会いたい気持ちがある以上、私にはほかの男の顔に対して何も感じない。一度だけ、お見合いに行ったことがあるが、何もなかった。話も進まず、最終的に破局した。
私は祖母の部屋を出ると、廊下を歩き、自室へ戻った。
廊下では何人かの侍女が私達の話を聞いていた様子だったが、そんなことはどうでもよかった。
「八重様、よろしかったのでしょうか?」
侍女の一人、色が話しかけてきた。この子だけが私の部屋に入ることが許され、身なりを会わせてくれる。
「いいのよ、色。どうせ、彼以外、私のことをしっかりと見てくれないもの……」
彼は人間であった。けれど、この逞しく、いきり立った角を褒めてくれた。触ってくれた。撫でてくれた。それだけだけど、それが私、八重の始まりだった。
「わたしは八重様がうらやましいです。思いを寄せる殿方がいられるだけでうらやましいです」
「けど、人間だからあの糞ババアいい加減理解してくれないのかな、ほんと……」
「それはきっと難しいと思います。かつて、六重様は幼き時に人間に襲われたと聞きました」
「所詮、ババアのトラウマよ。それに彼はとっても弱いもの。色よりも弱いかもね」
「そうなのですか?」
「うん、彼は弱いの。だからすごく優しいの」
「その殿方がうらやましですね。八重様に慕われる。それだけでわたしは満足です」
私の髪を髪をほどきながら色はいろいろと話してくれる。彼女と一緒に話すといつも口調が荒々しくなってしまう。けれど、これが私の本質だ。
身勝手で暴言も吐く。鬼らしいと言えばその通りだ。
「色は好きな子とかいないの?」
「わたしには持て余す幸せです。こうやって八重様に拾われただけで、わたしは満たされています」
「ふ~ん」
この子を拾ったのは路地裏。子供のころから私はずっと家を飛び出しては、何度も母に叱られた。けれど、その途中で角がおられたこの子を拾ってしまった。
可愛そう、という感情よりも何とかしなければいけない。そんな義務感に駆られ、屋敷に招き入れた。
それが彼女との出会いだった。
鬼の角は二度と生えてこない。角を折られる、その意味は私達は知っている。
親からの勘当。子供でありながら、名前を失った彼女は行き場を失った。
彼との出会いもそんな感じだった。
たまたま山を歩いていたら、その子が倒れていた。全身血まみれで死にかけていた。意識もしっかりとしていなく、すぐに助けようと思った。
結局どうやって彼を癒したのかを覚えていない。私は傷を癒す術なの覚えていない。けれど、彼は元気になり、一週間共にした。それだけは鮮明に覚えている。
そして、記憶を失う前に赤いミサンガをプレゼントした。
そのミサンガのおかげで彼の心を今も感じることができる。場所は分からない。けれど彼が今も生きているのが私の持つ赤色のミサンガ越しにわかる。
もちろん、このミサンガには欠点がある。彼が私以外に恋をすれば、千切れる。今でずっと千切れないのは、彼がまだ恋をしていないから。
私のことを忘れているけれど、それでも私を待っていてくれる。だから私は彼に会わなければいけない。
「それより、この服歩きにくい……」
彼と出会う前は一枚か二枚程度服を羽織る程度だった。けれど、歳を重ねるごとに羽織る数は増え続け、今は六枚も羽織っている。
羽織った服は地に垂れ、裾は地面をこする。
部屋が汚ければ、すぐにダメになる。本当になんでこんな服を着なければいけないのか、面倒で仕方がない。
「仕方がありません、正装ですから……」
色は苦笑いをしながらも、私に返事をしてくれる。そのおかげでいつも退屈をしない。
毎日毎日、愚痴を聞かせて本当に悪く思う。
「色は人のことどう思う?」
「人のことですか?」
「うん、人。全体的に」
不意の質問でかなり困っている様子だったが、時間をかけて答えを出してくれた。
「やはり、出会ったことがないので、何もは言えません。わたしは親に捨てられた存在ですので、人よりも、親のほうが怖いです」
悪いことを聞いたのかもしれない。けれど、色は鏡越しに私の目を見てしっかりと答えてくれた。
「私は色の欠けた角も好きよ」
突然のことで色の手が止まった。丁寧なブラッシングも途中で止まり、鏡越しに彼女を見ると赤面していた。
「八重様、そのようなお言葉、わたしには余る祝福で……」
言い訳をしているようだが、喜んでいるのは確かだった。
「どうにかして、あの糞ババアを黙らせないと、それにあの人がどこにいるかも調べないと……」
前者は何とかなると考えていた。けれど、問題は彼がどこにいるか。人間界は平聖郷の何倍も広い。角のこともあるから、どうにかして探す方法を考えなければいけない。
手がかりはあの時送った赤いミサンガ。それだけだったが、彼は見つかる気がした。