記憶の欠片
気がつけば俺は教会の中に立っていた。
外国によくありそうな、映画などにも登場する、どこか神聖な、どこか空虚な中規模の教会。俺はその真ん中に立っていた。
「ここは…?」
俺はとりあえず周囲を見回した。しかし、誰もいない。
牧師の説教を聞くためにところ狭しと並べられた独特な長椅子は人気がないためか、どこか虚しさが感じられる。
宗教的なガラス細工が施された色とりどりの絵から射す光から見れば、人がいてもおかしくない時間帯だというのに。
辺りを見て、何もないことが分かると、俺は天井を見上げてみた。
そこには教科書に載っているような夕飯な絵や、名前も知らない絵など、様々な絵が規則正しく天井を彩っていた。が、
「なんだ…?あの絵…?」
一通り天井を見ていると、その中に一つだけ、明らかに雰囲気が違うものが混ざっていた。まるで、障子に一つだけ穴が空いているように。
「…家?」
宗教的な趣向にそぐわない、一つの絵。そこに描かれていたのは、現代的な民家、古くも新しくもない普通の家だった。特に見所もなければ、美しくもない。これを飾った人を問い詰めても文句は言われないだろう。
そのくらい、見る価値の無い絵だ。
が、俺はその絵に釘付けになってしまった。
なんとも言えないが、どこか見覚えがあるからだ。
俺は頭の中を詮索し、同じようなものをどこで見たか必死に思い出そうとした。まるで、そうしなければならないとでも言うように。
「君、どうかしたかね?」
はっ、と俺は反射的に振り返る。
そこに居たのは、肉付きの良い、優しそうな老人だった。
背は彼と同じくらい、本心か作り笑いかは判らないが、その顔には微笑みがたたえられている、
「いや、俺は…その…」
俺は上手く回答出来なかった…何故だろうか?
いや、待て、この人は一体いつからそこにいたのか?
そもそも、何故俺は気が付かなかったのか?
理解出来ない事実、頭の中を疑問という疑問が埋め尽くす。
その答えを探している間に、老人は新たな言葉を投げ掛けてきた。
「ふむ、もしや君は、『卒業式』に出るのかな?」
元々混乱していた俺の頭に、更なる疑問の種が蒔かれ、さらに混乱を加速させる。
自分は何故この老人の存在を認知出来なかった?
いや、まずこの老人は誰?
いやいや、この老人をどこかで見たことがある?
いやいやいや、卒業式とは何か?
いやいやいやいや、まずここはどこ?
やがて、疑問の芽と混乱の蕾は新たな要素、不安と恐怖の花を咲かせる。
「ひッ…!」
思わず俺は後退りをして辺りを再度見渡す。無論何も変わったことはない…筈だった。
まず、宗教的なガラス細工が施された美しい窓は、無機質な乳白色のガラスへと変貌していた。
無駄な色は全て取り除かれたその中に映っているのは、病院の一室だろうか。しかし、何故だろうか、俺はどうしてもこの絵が懐かしく感じてしまう。
「こんにちは、*****君、もう行ってしまうのね。」
「ッッッッッっっっ!?」
様々な感情が異様に渦巻いているーーー何故だっけ…?ーーー俺の頭を更にかき混ぜるかのように、真横から声が聞こえた…?
いや、まて、考えろ………え?
俺は半分くらい思考が停止し始めていた脳から無理矢理命令を送ります、声の方を振り返る。そこにいたのは、どこかで会ったような気もするーーー会ったっけ?ーーー熟女だった。
その顔には、どこか名残惜しいようなーーー何故俺は読み取れた?ーーー表情が見て取れた。
「あら、どうしたの?暗い顔して。もしかして寂しいの?」
熟女は少し意地悪そうな顔をしながら俺の顔を覗き込んできたが、俺はその顔を直視出来ず、顔を逸らした。しかし、心のどこかで、何故逸らす必要があったのか、挨拶を返すべきだ、などとよくわからない感情が沸き上がってきたが、俺は深く考えることをやめた。
「一体…なんなんだよ…クソッ…」
もう俺の心は限界に近かった。見覚えの無い顔に挨拶や会釈など、行動を返させようとする気持ちがある。何故か?
まるで、心や記憶、気持ちや考えがそれぞれ別人のものになったみたいだ。
もう止めて欲しい、否、止めろ。もう、これ以上なにも考えさせないでくれ。そう願う俺に対し、夢ーーー現実?ーーーは更なる追い討ちをかけてくる。
「あれ?*****君じゃない、元気にしてた?」
「おう、*****、てめぇ、抜け駆けしやがったな!」
「…は、は、はははははっ…」
もう、訳がわからない。
確実に知っているが間違いなく知らない、そんな顔をした少女が右の長椅子に座り、どこかで見たことがあるはずだが見たことはない少年が左肩を豪快に叩いてくる。
もう俺は狂ってしまったのだろうか。
教会の長椅子はほとんど全て埋まり、やがて立っているのは俺だけになった。
座っているのは勿論全員赤の他人だ。しかし、そうとは思えない感情が同居しているせいか、何が何なのかもうわからない。
彼、彼女らは全員が俺のことを凝視し、それぞれ様々な表情を浮かべている。まるで、品定めをするかのように。
これを、悪夢と呼ぶのだろうか。
もう、恐怖は感じない。足はもう震えない。表情は希薄になってきた。もう、何も感じる必要はないのかもしれない。
…そうだ、目を閉じれば終わるのではないだろうか。
醒めない悪夢はない、ならばもう目を開ける必要はないだろう。
意識を手放してしまえば、思い出せない毎日に戻れるだろう。