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じゅうはち

「そーいえばねー、まだ居たよねっていうか」


「居なかったよねっていうか……」


 ルイーゼにあの場を任せ、勢い込んで賭場を飛び出した僕らは。


「おうおうおう、中が騒がしいと思ったらまたテメェかぁ」


 ――裏口を出てすぐのところで、あの大男に捕まっていた。


 二人揃って猫の子よろしく襟首を掴まれている間にも、元コックの彼が路地の奥へと逃げていく。

 遠ざかる背中に焦って振り払おうともがくが、大男の腕はびくともしない。

 鳶も必死に手足をじたばたさせながら、悔しそうに大男を睨みつけた。


「うー! 待ち伏せとかずるいんですけど!」


「待ち伏せだぁ!? このオレがそんなみみっちい真似するかってんだ!」


「じゃあ何でこんなとこいるんだよー!」


「なぁに知れたことよ……明日は不燃ゴミの日だからなぁ……」


 ちょうどゴミ出しから戻ってきたところだったらしい。


「だ、だめですよ前日の夜に出しちゃ!」


「にーちゃん今それどころじゃないから」


 そうだった。

 僕はとっさに肩にかけていた鞄を外し、中から旧印を取り出してから、紐の部分を掴んで思いきり振りかぶった。

 これで少しでもひるんでくれれば、そう思って大男の顔面めがけて叩きつけるはずだった鞄の、その紐が。


「あっ」


 途中で手の中からすっぽ抜けた。

 空を飛んだ鞄は、見事な弧を描いて大男の後方に落ちていく。


「にーちゃん……」


「……僕、運動音痴なのかもしれない」


 かろうじて違うと思っていたが、先ほどからのアレコレで自信が無くなってきた。

 なんだぁ今のは、と大男に鼻で笑われ、悶絶しそうな気分で顔を押さえかけたところで、僕はふとあることに気付く。


 投げた鞄が落ちた音がしない。

 どこかに引っかかったのかと頭上を仰ぎかけたとき、大男の背後で、ざりっと地面を踏みしめる音がした。


「――ったく、このザマで何が“運が良い”だ」


 夜の路地に、呆れたような声が響く。


「あぁん?」


 それに反応した大男が体ごと振り返れば、掴まれている僕と鳶も自然とそちらを向くことになる。その先に立つ人影を確認した鳶が、「あー!」と声を上げた。

 その人物の片手には、先ほど僕が放り投げた鞄がある。彼がおもむろにそれを逆さまにして振った。


 中から零れ落ちたのは、例の通達書もどきと、蓋の無いアルミの弁当箱のような、楕円形の鉄の器。

 重い音を立てて地に落ちたそれの中にみっちりと詰められていたのは、何とも形容しがたい色をしたコッペパンだった。パンの表面は一部千切られていて、そこからまた内部の何とも言えない色をさらしている。


「マジで何が運だ。この野郎。完全に俺が追ってくんの前提の作戦じゃねぇか。ふざけんな。来ちまったし。……オイこら、何か言うことあんだろ」


 ぶつぶつと悪態をついた後、物言いたげにジトリとこちらを睨んできた彼の姿に、僕は思わず小さく噴き出して笑った。


「うん。助けに来てくれてありがとう、柴」


「そ、……うじゃねぇよ!! パン屑まいて道しるべって、何の童話だっつってんだ! しかもパンはパンでも兵器級にくせぇ代物だぞ!! 辿るほうの身にもなれや!」


「あーそれでパンまいてたのかぁ。えっ、ていうかホントにニオイだけで追ってきたわけ? 昼間のアップルパイ云々といい嗅覚ヤバくない? こわぁ」


「うるっせーぞクソガキィ!!」


 その点は申し訳なかったなぁと笑みを苦いものに変えつつ、僕は道中のことを思い出す。


 ここへ来る前に、僕らはくまねこベーカリーに寄った。

 そして閉店作業のためちょうど店先に出ていたリンさんに、今朝の倉庫掃除中に見つけた、あの“古今東西から選りすぐったありとあらゆるネバネバしたもので作ったコッペパン”を売ってほしいとお願いしたのだ。


 するとリンさんは僕と鳶をまじまじ見て、眉間にしわを寄せた後、「どうせ試作品だからタダでいいヨ」と言った。

 彼女の口から「無料」の言葉が飛び出した事実に驚愕しながらも、ありがたく頂戴したそれを道すがらに千切って落としながら、僕はここまでやって来たというわけだ。


 そう――柴の鼻には酷く強烈に伝わる臭いを放っているらしい、そのコッペパンの欠片を。


「こんなもん俺がいなきゃそれまでじゃねぇか。クソか。直前にあれだけ揉めた相手によくもまぁそんな期待が出来たもんだな」


「でも、来てくれた」


「…………」


 柴がしょっぱい顔で黙り込んだところで、背後の大男が、不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「おうおうテメェ、どこの誰だか知らねぇが、自分の身が可愛きゃさっさと帰りなぁ」


 大男が地の底に響くような低い声で凄むと、柴はそれを面倒臭そうに見やって、深々と溜息をついた。そして手にしていた僕の鞄を、おもむろに振りかぶって投げる。


「ぉぶっ!!?」


 鞄は、僕と鳶で両手がふさがっているせいで避けることも払い落とすことも出来ない大男の顔面へと、吸い込まれるように直撃した。

 襟首を掴んでいた大男の手が緩んだ隙を逃さずに、今度こそ拘束を振り払い、一気に柴のところまで駆け戻る。


「柴! えっと、旧印は取り戻したんだけど、実はまだ」


「さっき表の扉越しに聞こえてきたので大体分かった。さっさと行け」


「うん、分かっ……」


「おうおう待てよ、このイカサマ野郎! 誰が逃げていいと言ったぁ!?」


 顔に張り付いた鞄をむしり捨てた大男が、血走った目で僕を睨みつける。


 双六に勝っただけでこんなに恨まれるものかと口元を引きつらせた僕の横を、柴がするりと通り抜けて行った。

 そして真正面に立ちふさがった柴を、大男が苛立たしげに見下ろす。


「おうおうおう、何のつもりだぁ? オレはな、そこのヤクザみてぇなツラしたイカサマ野郎に用があるんだ。倍にして返さなねぇと腹の虫が収まらねぇ……邪魔すんなら容赦ぁしねえぞ!!」


 すると柴は気のない表情で後頭部をがしがしとかき回しながら、「ジャック」と僕の名を呼んだ。


「今日中に終わらせて来いよ。これ以上メシの品数が減るのは御免だからな」


「そうだね。明日のバイトには絶対間に合わせてみせるよ」


 冗談めかした言葉に同じように返してみせた僕をちらりと見ると、柴は少しだけ口角を上げて、ふん、と鼻をならした。

 僕は持っていた旧印を服のポケットにしまってから、鳶に声を掛ける。


「……行こう!」


「りょーかーい!」


 元コックの彼が逃げて行った方には大男が居て通れない。

 僕らはその反対方向に向かって、路地を駆け出した。


「おい待てテメェ!!」


「あ゛ー。あの凶悪ヤクザ面した、お前いわくイカサマ野郎はな、あれでも忙しいんだ。だから俺が代わりに“用”とやらを聞いてやるよ」


「…………オレぁ、親切にも散々警告してやったよなぁ。仏の顔も三度までって知ってるかぁ? おうおう、もうシャレじゃ済まされねぇぞ、アア?」


 背後でびりびりとした殺気が広がっていくのを感じながら、前の道に抜ける。

 元コックの彼を見失ってだいぶ経つが、あの路地の奥から行ける方向は限られている。うまく先回りすれば、まだ追いつけるはずだ。

 頭の中に辺り一帯の地図を巡らせながら、夜の街を駆けだした。


「よぉ、ならお前は知ってるか? ヤクザってのはな、とにかくめんどくせぇ生き物なんだ。赤の他人が盃かわして兄弟っつったかと思えば、実の親子でも邪魔になりゃ殺し合う。

 ついでにヘマやって死に掛けてたとこ拾われりゃ、あっさり忠誠のひとつも誓っちまうような単純バカときたもんだ」


 路地から響く柴の声が、徐々に遠くなっていく。


「気を付けろよ、バカな犬はこえぇぞ。なにせ――加減を知らないからなぁ?」


 ひとつ角を曲がると、後はもう何も聞こえなくなった。


 *


「今日はずっと、逃げたり、追いかけたり、ばっかりだなぁ」


 息を切らしながら夜の街を疾走する……というには残念なスピードしか出ていない僕の横を、息ひとつ乱していない余裕の鳶が並走しながら、「次は?」と尋ねてくる。


「えっと、あの角の細い道入って、右曲がる」


「ほいほーい。にしてもホント、よくこんな裏道まで知ってんねー。オイラも知らなかったとこ結構あるんだけど。いつもこのへん出歩いてんの?」


「や、今日、初めて、通った、道ばっかり」


「何それウソでしょ。じゃ何で知ってんの」


「街の、図面とか、見てるから」


「……にーちゃんも大概デタラメだね。あーなるほど、あのときオイラが捕まりかけたの、にーちゃんの仕業かぁ……」


 鳶が遠い目で呟くのが聞こえたが、僕はただひたすらに足を動かす事と、頭の中の地図を追う事に集中する。


 確か元コックの彼も、運動神経はあまり良くなかった。昼間の鳶のようなショートカットは確実に出来ないし、足だってそこまで速くなくて持久力も無いから、さほど遠くへは行っていないはずだ。全ての項目がブーメランで自分に刺さってくるが今は目頭を押さえている場合ではない。

 道筋からある程度の予測は立てられるが、一本道でもあるまいし、確実にそちらへ向かう保証なんて無いのだ。柴にはああいったけど、正直 今日中にちゃんと片がつくのか非常に不安である。


「これはどっち?」


「…………」


 さぁ、ここからが勝負だ。

 別の方角へ延びる二本の道を前にして、僕らは足を止めた。

 どちらを進んだ先も、彼が“通る可能性がある”道の先に出る。だがそのどちらに彼が来るかは分からない。ここは完全に勘で選ぶしかなかった。


 ごくりと息を飲んで、進む道を決定しようとしたとき。


「だーれダ!」


「うわぁ!」


 突然 背後から目を塞がれて、心臓が跳ね上がった。

 視界を覆う何かから逃れるため、反射的に数歩前に進んでから後ろを向いた僕は、そこにいた予想外の人物の姿に目を丸くする。


「リンさん?」


「なんだ、パン屋の人じゃん」


 僕の悲鳴に驚いて飛び退っていた鳶も、ほっと息を吐いて戻ってきた。


「こんなところで奇遇ネ、センセ」


 肩にかけたパンダポシェットの紐部分を掴んでくるりと回しながら、リンさんが僕を見上げる。


「あ、はい、きぐ……」


「ほんと偶然、たまたまばったりなのヨ。別にセンセが知らないガキンチョと夜中に店に来たと思ったらいきなりクッサイパン欲しいとか言うし猛獣共は一緒じゃないし何か心配で様子見にきたとかじゃないからネ! 本当だからネ!」


「ヤバイくらい嘘ヘタだねパン屋の人!」


「リンさん、あのパンのおかげで助かりました。すみません心配かけて」


「だから違うって言ってるヨ! でも役に立ったなら良かったですネ!!」


 やけくそ気味に怒鳴った後、リンさんは話題をそらすように「それでセンセはこんなところで何してるノ」と、やや耳を赤くしながらこちらを睨んだ。


「ええと、人を追ってるんですけど見失っちゃって」


「先回りしようとしてるとこー」


「んン? 見失ってるのに先回りするノ? 出来るノ?」


「まーオイラだったらこんだけ時間あればとっくに逃げきってるだろうけどねー、相手は運動不足で運動音痴のおっちゃんだからさぁ」


「う、運動音痴ってほどでは無いと思うな!」


「なに庇ってんのにーちゃん」


 僕はひとつ咳ばらいを零して、話を戻す。


「最短距離で追いかければ先回り出来ると思うんです。ある程度は向かう方向も目星つけたんですけど、この先がちょっと分からなくて」


「ふーン……」


 リンさんは顎に手を添えて何か考え込んだかと思うと、真剣な顔になって分かれ道に向きなおった。


「センセが追ってるってことハ、その相手は逃げてるのよネ」


「え、あ、ハイ」


「何か音のするものは持ってル?」


「えっとねー……あ、アヒル! 押すと鳴るヤツなんだけどさー、アレ持ったままだったよね?」


 確かに投げ捨てたりはしていなかった気がする。まぁどう考えてもそれどころじゃなかったのだろう。ルイーゼ降ってきたし。


「そのオモチャどんな音ネ?」


「ぷきゅう、って力が抜ける感じの音ですけど」


「分かっタ。ちょっと待っテ」


 そう言って彼女がおもむろに目を閉じると、ぴんと張り詰めた空気が辺りに満ちた。

 僕と鳶は頭の中に疑問符を浮かべつつも、声を掛けられそうな雰囲気ではなかったので、黙ってそれを待つ。


 少ししてリンさんはパッと瞼を開けると、ある方向を力強く指さした。


「あっちネ! センセの追っかけてる人いるヨ!」


「えっ……ええ?」


「もうだいぶ疲れてるみたいでろくに走れてないネ、ずるずる足引きずってる音するヨ。夜中にあんな必死な走り方してる輩なんてろくなもんじゃないネ。

 それに、アヒルのオモチャ? やっぱり持ったままみたいヨ。手に力が入った時かなんかぷきゅぷきゅ鳴ってるネ」


 まるで見てきたかのごとく語るリンさんに、鳶が若干引いたように僕の後ろに隠れる。


「ちょっ、にーちゃん、なに、この人もなんかヤバイ人なの?」


「失敬なガキンチョだネ! ワタシちょっと耳が良いだけヨ!!」


 コッペパンの具にしてやろうカ!と謎の脅し文句で威嚇するリンさんと、わりと本気で怯えている鳶の傍らで、僕は一人納得していた。店のどこにいてもお客が来るとすぐに分かるのは、音が聴こえていたからだったのか。


 とにかく、これで進むべき道が分かった。


「ありがとうございます、リンさん。重ね重ね助かりました。もう夜も遅いし、リンさんは気を付けて帰って下さいね」


 本当は送って行きたいところだけど、この状況ではそうもいかない。

 鳶との睨み合いを中断したリンさんが、じっと僕を見て、それからふいと顔をそらす。


「……明日のバイト、遅刻したら承知しないからネ。別に心配してるわけじゃないヨ。人手が無いと困るだけだからネ」


 頬を膨らませながらそんなことを言う彼女に、僕は小さく笑って「はい」と頷いた。

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