かいぶつどのにならうばか。
なんかびみょーに読書様つか作者様に読まれてる悪寒。
くるめの若殿についての話は聞いた。
然れども事の起こりは聞けなかった。
いや、"言うまでもない"、のだろうか。
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つらつらと"怪物殿"のやりように思い至る。
万事"はで"に動いているようで綱渡りの、然れども幕閣が恐れぬ穴を"わざと"作って遊び呆ける蘭癖大名。
大名になってまず行ったのは内治の丸投げ。
その間に蘭学をものし、今では読み書きを自在に操り外の学を疾く学ぶ事に余念なし。
一方で、儒の教えを軽視せず、軽輩者でも学べる藩の学舎を建立し。
万事米が銭の裏付けが取れぬさつまの国ならば、商売に強みある甘み(サトウキビ)を大量に搾取しては商家に信用取引持ちかけて。
およそ幕府ですら叶わぬ莫大な借金を引き出して。
「およそ尋常なハラでは到底出来ぬ図太さよな」
およそ先代の苦痛苦悩の裏返しなのだろう
さつまの地はおよそ豊かとは到底言えぬ
新田増やしたくとも水がない
水がないからさつまいも
そのくせ西国頂点七十七万石の"お大名"
なにかとゆとりあると勘ぐられる戦国の雄
そして思い知った幕閣官吏とさつまの"差"。
切っ掛けはあれしかないだろう、木曽の暴れ川のお手伝い。
ご先代の世で思い知らされたのだろう。
技術格差、官僚能力の差、そして経済観念の差を。
はっきり言えば、幕府からの命は命としてさっさと"損切り"と開き直れば良かったものを。
何を間違えたのか藩の内で士職同一だからといって
およそ二百を超える下士上士をまさに土地柄ひどく厄介な"おわり"の地にぶちこんだ。
当然さつまおとこの理屈など通らない、そもそもわかる訳がない。
武辺いっぺんを誇る家の士など、到底銭勘定で丁々発止の江戸者にしてみりゃただのカネ蔓でしかならぬ。
おもい知らされたのだろう。
関の算術に長けた者
天文測量に長けた者
銭の使い処を間違わぬ者。
およそ神君の世から百年を遥かに超えても未だし
ひたすらただ堤を築き川筋を変え、干潟を干し、小山を崩してお江戸を均した者どものちから。
だからこそ誰よりも蘭学をまず欲し
その危うさに家臣にいたずらに触れさせぬ為藩校を建て
大店札差相手にサトウキビを商材に、さつま七十七万石の信用を持って莫大な銭を引き出しては"貸し手を縛り"。
その銭のちからをもって、江戸幕閣を籠絡し。
そしてそれがわからぬ"ばかとの"が形ばかりに張り合って。
「岡目八目とは言えども、思い致せばなるほどつられて面子を張っては無駄銭を散らす。成る程八代様の御代なら成せぬとも、田沼が仕切る"けいせい"ならばむしろ是となるか」
「景気が良いのは成る程誰もが喜ぶところ、然れども…
結局のところ、景気の良さに踏み間違えて、身代潰すおおばかものが絶えぬのもこんなもの。
「真似てはならぬ、成る程確かにその通り」
苦い顔して若年の過去を噛み締める。
解説。
ぶっちゃけるとある程度経済的知識あるいは現場を踏まえた者ならば
宝暦治水事件って悉く悪手を踏んだと言わざるを得ないんですよ。
ちょっと考えても見てよ?
200名やそこらわざわざ鹿児島から正社員派遣して滞在費払うって…その時点で人件費億じゃすまねーんだよ。
(帳簿上のプラマイに騙される連中ならともかく)
宝暦事件の一番の課題は個人的には享保以降蘭書の輸入により一気に学術的に跳ね上がった地方格差と官僚能力の差、そして其奴らに伍せる人間が居なかった事による悲劇と思ってる。
故に重豪のやる事なす事成る程納得はいくのだけれども、逆に言えば重豪個人の器量なくば後を襲う"凡人"には過剰なストレスにしかならない。
重豪は多分見切ったのだろう、銭で薩摩を倒せる者など無い、と。
(わかりやすく言うとカエサルが資産家のクラックスから莫大な借金を引き出してむしろ出方を縛ったようなやり口…ぶっちゃけると現代でもバリバリ通用します)
それを表面しか理解せずに真似すると…
(も一度言うと名前出てくる大名家、悉くヤラかしてます)