嵐の後に
グリスラテス王国東端、ランス王国に接するコーンリッツ地方。
俺の領地だ。
きれいな水と緑豊かな森林。
冬の寒さは厳しいが、風光明媚な気候といい、個人的には、世界で一番良いところだと思っている。
ランス王国内での戦いが終わってから、すでに一ヶ月が経過している。
「お館様。返書が届いております」
「あぁ、ご苦労」
側近のサスーンが部屋に入ってくるなり、俺に手紙を差し出す。
先週に調印したランス王国との通商条約と、軍事協力協定の副本だ。
正本はすでに、王都ロウドニウムに使者が持っていっているはずだ。
先々週に王都ロウドニウムにて、戦勝報告をヘンドラッド陛下に行い、先週には、ランス王国のガスカー公との間で、通商条約と、軍事協力協定を正式に調印した。
これで一応、政治的には決着がついた。
ランス王国のスレイマー皇太子軍は弱体化し、大勢は決した。
もう間もなく次期国王も決定するだろう。
「ねえ、ハノウス。そういえば、ベクルトはうまくやってるのかなー?」
「あいつなら、卒なく立ち回るだろうよ」
対面で、りんごの皮をむいていたシャーリーが、ウサギの形に向いたりんごをこちらに差し出しながら聞いてきたので、ありがたくいただきながら、答える。
シャーリーはニコニコしている。
教会内の権力争いについても決着がつき、今後は、教皇派、信仰派、といったくくりでは争わないことが確認されたらしい。
まぁ、どうせ、次の権力争いが始まれば、有名無実になるのだが。
所詮、現在のところ、という留保がつくだけの代物だ。
ちなみに、ベクルトはグリスラテス国内の筆頭枢機卿に推挙され就任した。
これで、名実共に、ベクルトは、グリスラテス国内でもっとも偉い宗教者となった。
この年齢での抜擢は異例中の異例だ。
この先が思いやられる。
そして、ラカスル枢機卿は教皇庁へと栄転した。副教皇だ。
教皇の地位は終身なので、教皇が死ぬまでは次代の教皇は選ばれないが、教皇崩御時、通常、副教皇がいればそのまま横滑りで教皇になる。
がんばって生き残って欲しいのか、早めにくたばって欲しいのか、なかなか判断が難しいところだ。
ただ、ラカスル枢機卿のことなので、現教皇を謀殺、とか普通にしそうだな。
まぁ、いい。
「そういえば、ミリーとララはどこに行ったんだ?」
「ん?ララたちなら、今日は買い物があるとかいって、朝から市場に行っているよ」
人差し指を唇にあて、首をかしげながらシャーリーが応える。
あざといポーズだが、かわいい。
「そうか。たしか博士も実験の関係で王都に行っているはずだから、今は屋敷には俺たちしかいないのか」
「うふふー。ねぇねぇ、ハノウス。このベリーも食べてみない?」
俺たちはソファでくつろぎながら、お茶を飲んでいるのだが、だんだんと、シャーリーが近づいてきている気がする。さっきまで対面で座っていたシャーリーが、今は俺の隣に座り直し、俺の口にベリーを押し込もうとしている。一人で食べれるって。
「お楽しみ中のところ、申し訳ありませんが、お客様でございます」
音もなくサスーンが直立不動にて背後に立っていた。
「わかった。お通ししろ」
「はっ」
サスーンが出て行くときに、顔を真っ赤にしたシャーリーがまた対面に座りなおした。
ちょっと、タイミングが悪かったみたいだ。
しばらくすると、扉がノックされ、客人が入ってきた。
漆黒の法衣の上に、紫の帯を巻いた黒髪の美少女。ベクルトだった。
「ご挨拶が遅くなり、もうしわけありませんジャスタン公」
「あ、いや、ベクルト枢機卿にわざわざご足労をおかけし、もうしわけなく思います」
つーか、なんで、のこのこと、こんな地方までやってくるんだよ。立場をわきまえろよ。
「なんで、あんたがここにいるのよ。早く帰りなさいよ。信者のみなさんに愛想を振りまくのがあんたの仕事でしょ?」
シャーリーの口調が非常に敵対的だ。とげがあるという表現がもっともしっくりくる。
「あら?あなたこそ、こんなところで油を売っていないで、早く誰かと政略結婚しちゃいなさいよ。それが国王陛下のためでしょ?」
「むっかー!あ、あんたねー。私は‥‥」
「まぁまぁ、二人とも落ち着け。とりあえず、用事があるのならば、まずはそれを聞かせてくれ」
このまま放っておくと、血で血を洗う闘争が始まりそうだったので、二人の間に割って入り落ち着かせる。
なんだって、この二人は昔から中が悪いんだ。
「こほん。お見苦しいところをお見せして申し訳ありません、ジャスタン公。今回はこちらをお届けしたくてやってまいりました。本来であれば王都にて正式な儀式を執り行いたかったのですが、タイミングを逸してしまいましたので、こうして私自身がまかりこさせていただきました」
そういって、ベクルトは、白木の箱に入った金色のメダルを俺に手渡した。
このメダルには見覚えがある。
「こ、これは、『教会の守護者』証じゃないか!?」
『教会の守護者』。それは、死後確実に聖人に列せられる、教会で最も高位の勲章だ。
通常は、教会に相当寄進した王族や、枢機卿レベルのものでないともらえない代物だ。
ある意味、これを持っていると、現世では、国家を超えて、最大の名誉といえるものである。
「ランス王国の枢機卿たちからの推挙もあり、われわれグリスラテス王国の枢機卿たちも同意して、教皇庁に依頼しておいたのですが、過去最大の速さで印可されました」
副教皇あたりの根回しだな。
俺なんかを抱きこんだところで、うまみなんてないって。
「謹んで、頂戴いたします」
まぁ、断る理由もないし、いただいておこう。なんだか、教会の勢力争いに巻き込まれただけのような気もするが。
ベクルトの正面に、膝を突いて、メダルを受け取る。
「あと、個人的なプレゼントもあるのよ」
ベクルトがメダルを手渡した後、俺が立ち上がったタイミングで声をかけてきた。
「ん?なんだ?」
「前にあなた私に聞いたでしょ。教会法の何を変えたかったんだって」
あぁ、たしかに聞いたような。
「それね、私が変えたかったのは」
そういって、ベクルトは不意に俺の顔を近づけてきた。
「へ?」
不意をつかれ、相当なアホ面をしていたと思うが、唇に柔らかい感触を感じる。
ちょっと、脳天がしびれる。
「あんたー!」
シャーリーが容赦の無い蹴りをベクルトに食らわせようとするも、ひょいっ、とうまくかわすベクルト。
「私が変えたかったものは、教会の結婚禁止令よ!私は教会での栄誉も、愛の成就もどっちも手に入れるんだから!」
そういって、部屋を出て行ってしまった。まさに嵐が過ぎ去った後、という感じだ。
今は、まともに、シャーリーの方を見ることができない。恐ろしすぎて。
「しかし‥‥」
唇の感触、柔らかかったなー。
などと悦に浸っていると、後頭部を蹴り上げられ、すっ飛ばされた。まじで痛い。
「鼻の下を伸ばすなー!」
やっぱり、シャーリーの怒りが俺に向いてきた。かんべんしてくれ。
そうこうするうちに、ララとミリーが帰ってきた。
「まぁまぁ、どうしたんですか」
「‥‥シャーリー怒ってる?」
それぞれが聞いてくるが、シャーリーはそっぽをむいて応えない。
仕方がないので、俺から声をかける。
「まぁ、なんだ。シャーリー。たまにはひき肉とたまねぎのパイでも久しぶりに作ってくれよ」
そっぽを向いていたシャーリーがこちらをちらっと向いた。
「シャーリーのご飯。本当においしいんだよ。たまには作ってくれよ」
「ま、まー、ハノウスは私がいないとダメなんだからねー。そこまでお願いされちゃ、しょうがないなー」
急ににこにこしだし、部屋から出て行った。ちょろいんだな。
「結局何があったんですか?」
ララが聞いてくる。
俺は肩をすくめて言い放った。
「嵐が過ぎ去ったのさ」
ララとミリーはお互いの顔を見合わせていた。
どうやら、通じなかったらしい。
今回も最後までお読みいただき、まことにありがとうございます。
なんとか無事に、宗教紛争編も終わらせることができました。こんなハイペースで執筆したことが過去になかったので、自分でも奇跡的だと思っております。
ちなみに、今回の話のモチーフは、英国国教会がカトリックから独立した、という逸話です。ほかにも、ルターらのプロテスタントとカトリックとの宗教紛争をイメージしております。ただ、本編をお読みいただければ、モチーフ以上のものでもないことはすぐにわかっていただけるとは思いますが(汗
もし、なにか感想とかアドバイスとか感想欄に書いていただけると作者としてはとてもうれしいです。
次は、たぶん、過去編、ということで王立士官学校編を執筆したいと思っておりますが、場合によると、南部での異教徒の帝国との戦争にしちゃうかもしれません。
どちらを書くかは悩み中です。
とりあえず、今は、ちょっとお休み期間をいただきたいと思っております。
では、また後日お会いしましょう。




