52.エヴァンジェリストの日常
お待たせしました!
いよいよ完結編となる予定の第4章のスタートです!
薄暗い部屋の中、一人の人物がなにかの像に向かって膝をつき、両手を握りしめて首を垂れていた。その人物は女性であろうか、白と黒のストライプという変わった色の髪を持つ彼女は、ステンドグラスの七色の光が薄っすらと差し込むこの部屋の中で、一心に像に向かって祈りを捧げているようであった。
ギィィ、という軋む音が鳴り響き、新たな登場人物がゆっくりと室内に入ってくる。室内の女性と同様に白と黒のストライプの髪を持つその人物は、どうやら男性のようだ。一心不乱に祈りを捧げる女性を見ると、ふぅと呆れたようなため息をひとつ吐いた。
「……ふっ。君は本当に真面目だね、ゲートキーパー。聖魔神像にそんなにも真剣に祈りを捧げるなんてさ」
「……おい【F】、私のことをその名で呼ぶなと何度も」
「ここは施設じゃないから良いだろう? だから僕のこともフィクサーって呼んでくれていいよ。なにせあの方にわざわざ与えられた名なんだからね」
そう言うとフィクサーと名乗る青年は、ゲートキーパーが祈りを捧げていた像に無造作に手を触れた。
彼が【聖魔神】と呼んだその像は、彼らと同じく白と黒のストライプの髪を持ち、背中に天使の翼が生えた一人の女性を象っていた。ただその顔形は、美しいというよりもむしろ毅然とし、優しさよりも凛々しさが全面に出ていた。まるで世界を統べる女王のようにすら感じられる。
その名から推測されるように、おそらくはこの像の人物は、彼らにとっての神を模ったものなのだろう。ゆえにゲートキーパーは、フィクサーの無遠慮なその態度に不満げな表情を浮かべる。
「おいフィクサー、聖魔神像に対して無礼だろう」
「そう言うんだったらさ、君ももう少しそのぶっきらぼうな性格を直したほうが良いんじゃないの? そっちのほうがあの方……ラー様に対してよっぽど無礼だと思うんだけどなぁ」
「ラー様は……心広く優しき方だ。こんな私にもこれほど重要な役割を与えてくれたのだからな。私のこの性格もお分かりの上で包み込んで下さっているのだ」
「そのラー様が、いったい何をしてくれるんだかねぇ……」
フィクサーの言葉に、二人は一気に顔を陰らせる。もはや祈りを中断されて再開する気も無くなったゲートキーパーがスカートの裾を直しながら立ち上がった。
「私にも、あの方の深慮遠謀は計り知れん。だが私にできることは決まっている。これまで通り言われた仕事をこなすのみだ」
「既にあの人の指示と行動自体が矛盾してるってのに? あははっ、さすがはゲートキーパー、ブレないね。で、具体的にはこれからどうするの?」
「あやつ……【S】はつい先ほど『日野宮あかる』として三つ目のミッションをクリアした。もはや最終局面は近い。だから、こちらも最終手段を使う」
「最終手段……そっか」
ゲートキーパーの決意を知ってか、フィクサーはそれまでの気の抜けた表情を一気に引き締める。軽く髪をかきあげると、ゲートキーパーにの肩にポンっと手を置いた。
「わかったよ。いよいよ【扉管理者】としての面目躍如だね。じゃあ僕も【調整者】として全力を尽くさせてもらうとするよ」
「ありがとう、フィクサー。感謝する」
そう答えるとゲートキーパーは、かすかに頬を吊り上げて……微笑んだ。彼女のその表情を見て、驚き戸惑ったのはフィクサーだった。
「おやおや、まさか君が微笑むなんてね。驚くべき光景が見れたもんだ」
「私が……微笑んだ?」
同様に戸惑いを見せるゲートキーパー。自らの頬に手を触れて何かを確認したりしている。そんな光景を目にしながら、フィクサーがふふっと声を出して笑った。
「……無感情無表情の代名詞みたいだった君が微笑むとはねぇ。これも【S】のおかげかな?」
「【S】の、おかげ?」
「ああ。彼の監視モードに入ってから、きみは表情豊かになった。気づいてなかったの?」
「……気づいてなかった」
だがそう答えながらも、ゲートキーパーの中に沸き上がる気持ちがあった。それは彼女が、これまでほとんど抱いたことのない感情だった。
「……だとすると、やはり私は彼のためにも全力を尽くさなければならないな」
「そうだね。微力ながら僕も協力させてもらうよ」
二人は互いに顔を見合わせ、微笑む合う。そして共に方向を転換すると、部屋の出口に向かって歩調を合わせて歩き出したのだった。
◆◆◆
ふんふんふーん。
俺は鼻歌を歌いながら、顔にベースメークを施す。アカルちゃんの綺麗な肌に白いファンデが走ってゆく。
チークやアイメイクを軽くつけて、サッと眉を描いてまつ毛を整えると、最後にうっすらピンクの口紅を塗ってメイクは完成だ。
鏡に映る自分にウインクを飛ばす。制服姿の美少女は、最高の笑顔を見せてくれた。んー、完璧だ。夏休み明けで久しぶりに着る制服姿のアカルちゃんは相変わらずメチャクチャ可愛い。
俺はメイクの出来に満足すると、髪の毛をブラシで整えてそのまま部屋を出る。
……おっとっと、忘れてた。
俺は最後に机の上に置いていたバラのピンバッジ--【摩利亞那伝道師】であることを証明するそれを手に取ると、制服の襟のところに取り付ける。
こいつを付け忘れると、ガッくんとかにメチャクチャおこられるんだよなぁ。あぶないあぶない。
「それじゃあ行ってきまーす」
「あかる、行ってらっしゃい」
「おねーちゃん、いってら〜」
最後に鞄を手に取ると、俺は母親やマヨちゃんの声に送られて、ようやく住み慣れてきた我が家から飛び出していったんだ。
ガタンゴトン。
夏休み明けの最初の登校日。今日もいつものように電車に揺られての通学だ。だけど周りの視線が自分に集中しているのがよく分かる。
「……なぁあの子、すごい可愛いな」
「お前知らないの? 襟のバッジ見てみろよ、あの子が例の……」
「あー、かの有名なマリアナの薔薇姫か! どうりで……」
「さすがエヴァンジェリスト、オーラが違うよな」
そんな感じのささやきがちょこちょこ耳に入ってくる。くそっ、注目の的じゃないか。こんなんだとおいそれと変な行動を取るわけにはいかない。
なので背筋をピンと伸ばして姿勢を正してつり革に掴まる。まったく、ただの通学だってのに一挙手一投足が監視されてるみたいだ。こんな状況だと息を抜くことさえできやしない。
学校のある駅で電車から降り、久しぶりとなる学校へ続く坂道を登っていると、今度は同じ制服を着た生徒たちがこちらに挨拶をしてきた。
「おはよー、日野宮さん!」
「きゃー! 日野宮さんステキ!」
「あかるちゃん、今日も可愛いね! さっすがエヴァンジェリスト!」
「うおっ、朝から日野宮先輩が見れた! ラッキー」
そんな声に一つ一つ手を振ったりして応えながら、ゆっくりと学校へ向かっていく。気分はまるでレッドカーペットを歩く女優さんだ。実際歩き方もすごく気を遣ってて、モデルウォークみたいな感じで歩いてるしね。
さて、この一見とんでもなく見える状況。実はこれ、別に今日が特別というわけじゃない。
なにせこの状況は、俺がエヴァンジェリストになってからの極めて日常的な光景なのだから。
◇◇◇
俺がエヴァンジェリストになって、既に二か月近くが経過していた。
思いがけず手に入れたエヴァンジェリストという称号--それは、俺が思っていたより遥かにとんでもない存在だった。
実は俺、エヴァンジェリストについて最初は生徒会長の延長線くらいなもんだと考えていた。だけど実態は、俺の想像をはるかに上回っていたんだ。
エヴァンジェリストになった直後から、まず俺に襲いかかってきたのは、周りからの圧倒的なまでの注目の視線だった。そう、俺は……文字通り学校中の注目の的になったのだ。
確かにこれまでもそれなりには注目されてはいたんだけど、今はもはや桁違いだ。なんというか、これまで局地的な知名度だったものが一気に全校生徒規模に格上げされた感じだ。
恐ろしいことに、その影響範囲は学校内に止まらなかった。なぜか他校の生徒や、近隣の中学校、はたまたネットなんかで激しく広がっていたのだ。マヨちゃんのお友達が俺のことを知ってたときには驚いたもんだ。
もはやこの近隣で『エヴァンジェリスト・日野宮あかる』を知らないものは無いくらいの状況になっていたんだ。
しかもエヴァンジェリストは、良くも悪くも『摩利亞那高校の象徴』であった。俺の言葉や行動が学校そのものの評価に直結していく。ゆえに、不用意な言動や行動が許されなくなってしまったのだ。
女の子らしくない行動を取ろうものなら、即座にいおりんやガッくんから「ちょっとアカルちゃん、ダメだよ〜」とか「おい日野宮、エヴァンジェリストがそれではいかんぞ」って怒られるんだよ? やりにくいったらありゃしない。
「勝手にエヴァンジェリストにしときながらそれは無いんじゃないの⁉︎」とガッくんに逆ギレしたりしたものの、実態として俺はまぎれもない『摩利亞那高校の代表』だ。ガッくんに八つ当たりしたところで、俺がその役目から逃げることは出来ない。
だから気がつくと俺は--自然と自分の行動や振る舞いを女性らしくするよう注意するようになっちまったんだ。
こうして立派なハリボテで周りを固めたエヴァンジェリスト日野宮あかるが完成したわけである。なんでやねん、トホホ……。
いつのまにか、自分でも意識しないうちに無理やりスターダムにのし上がってしまった俺。最初のうちはいろいろと戸惑ってたんだけど、最近になってようやくこの生活に慣れてきたんだ。
……ただ、ひとつのことを除いてね。
今日もたくさんの生徒たちに挨拶を返したりして、自分の教室に辿り着く。ふぅと息を吐きながら席に着くと、背後からふいに声がかかった。
「どうした? なにやら疲れているようだが」
俺はこめかみを揉みながら、ため息とともに背後を振り返る。するとそこには……白と黒のストライプの髪を持つ人物が、うちの高校の制服に身を包んで立っていたんだ。
そう、彼女こそが--俺の身に突如降り注いだ最大の不確定要素とも言える存在。
「あぁ、別に疲れてなんてないよ。それにしてもまた現れたんだな……【G】」
俺がため息混じりにそう答えると、それまで無表情無感情に見えた【G】が、口元を少し歪めてニヤリと笑ったんだ。




