34.ファースト・エクスペリエンス
翌日、いつものように電車に乗って登校してたんだけど、やっぱりお腹が痛い。変なもん食べたにしては長続きしすぎじゃね? やっかいな病気とかじゃなけりゃいいんだけど。
気分の晴れないまま校門をくぐろうとすると、またしても今日も背後から声をかけられた。声をかけてきたのはキングダムカルテットの一人、『堕天使』冥林 美加得だ。
「いよぅ、日野宮あかる! なんか元気無ぇツラしてんなぁ?」
「おはよう冥林くん。私は別に平気だからほっといてもらえるかな」
ただでさえ体調が悪いってのに、うっとおしい奴に話しかけられたもんだ。ミカエルのやつは今日も隣に取り巻きの女の子を何人か引き連れている。せっかく周りに女の子がいるんだから、こっちになんて構うことなくそっちで勝手にヨロシクやってればいいのにさ。
「くっ、相変わらず冷てえヤツだな。いいかげんオレとデートしろよ」
「……どうしてそう繋がるんだか、おめでたい思考回路だよね」
「くくくっ、ほんっと面白ぇやつだな。オレ様にそんな口きく女は姉貴以外には居ないってもんだぜ」
へー、こいつ姉がいるんだ。きっとこいつと負けず劣らずのキラキラネームで、ついでに言うとヤンキーなんだろうなぁ。
「おいミカエル、それに日野宮。朝っぱらから校門の前で風紀を乱すなよ」
「げっ、天王寺……くん」
ミカエルのやつとつまらない会話を交わしていると、また今日もガッくんに怒られてしまった。くそー、今回は俺は悪くないぞ! だから頼む、もうこれ以上達成率を減らさないでくれよ……。
「なんだよガクカ、オレのナンパの邪魔すんなよ」
「こらミカエル、風紀委員に向かってそんなことを堂々と言うなよ」
「ったく、次期生徒会長筆頭候補は相変わらず堅っ苦しいなぁ! あーあ、興が冷めちまった。いこーぜハニーたち。あと--日野宮あかる、またな!」
ミカエルはそう言うと、現れたときと同じように騒がしく去っていった。ったく、はた迷惑なやつだな。
「……日野宮、あんまり学校内で騒ぎを起こすなよ」
「今回は完全に不可抗力なんですけど?」
「それでも避ける努力をするんだ。お前は目立ちすぎる」
「……好きで目立ってるわけじゃないやい」
くっそー。このクソメガネ、ほんっとアカルちゃんに絡んでくるよなぁ。なんか恨みでもあるのかな?
……あ、もしかしてこいつが【魔王】に寄生されてるやつだったりして。もしそうだとしたら、こいつがいちいち人のことを目の敵にする意味も分かるってなもんだな。
よーし、いつかスキを見つけてこいつに【アナライズ】を仕掛けてやるぞ!
◇◇◇
あー、お腹痛い。どんどん痛みが増してくる。
昨日から続く腹痛が酷くなっていき、もう授業に集中することも出来なくなってきた。まいったなー、保健室にでも行こうかな。
休み時間に入っても具合が良くならないので机に突っ伏していると、心配した羽子ちゃんが声をかけてきた。
「……あかるさん、大丈夫ですか?」
「うーん、ダメかも。なんだか下腹が痛くって」
「あ、もしかしてあかるさん、アレの日ですか?」
「アレの日? アレってなに?」
もしかして羽子ちゃんはこの腹痛の原因を知ってるのか? もし知ってるならぜひ教えて欲しいんだけど! ついでにお薬とか持ってるならそいつも頂きたいんだけど。聖露丸じゃ効かなくってさ。
「あ、もしかして準備してないんですか? だったらわたしが予備で持ってるのを渡しますね」
そう言って渡されたのは、花柄の小さなポーチ。なんだろうこれ? 開けようとしたら慌てて羽子ちゃんに止められた挙句、「開けるならトイレで開けてくださいっ!」って耳元で怒られてしまった。
さて、そんなわけで重い身体を引きずりながら女子トイレの個室に入ってポーチの中身を確認する。そこに入っていたのは……。
「あ、ああ。そういうことだったのか」
中身を確認して、俺はようやく正体不明の腹痛の原因に思い至った。
すっかり忘れてたけど、俺の体はアカルちゃん--すなわち女の子の身体なのだ。ということは、当然普通の女子にあるものはあり得るわけで……。
「なんとなく、自分には起こらないって無意識のうちに思ってたんだけどなぁ。そんなこと無かったんだなぁ」
なんだか男として大事なものを失った事実を突きつけられたような気がして、俺は心底凹んでしまった。
☆★☆
「おかえりなさい、あかるさん。大丈夫でした?」
「う、うん。ありがとう羽子ちゃん。おかけで助かったよ」
「そうですか、間に合って良かったですね。はいこれ、お水無しで飲めるお薬ですよ」
ニッコリと笑いながら錠剤を渡してくる羽子ちゃん。ポーチと交換に受け取って確認してみると『痛み止め』だった。
「こんなものまで……重ねてありがとう、羽子ちゃん」
「困ったときはお互い様ですよ」
そう口にする羽子ちゃんが、生まれて初めての経験で精神的にめっきり弱ってる今の俺には天使のように見えたんだ。
あーそれにしても、帰りに薬局に寄っていろいろ買わなきゃいけないなぁ。なんか、なんというか……出来れば避けて通りたかったなぁ。
「それじゃあ、今日の体育の授業は見学します?」
「……う、うん、そうするよ」
「わたしから先生に伝えておきますね?」
「なにからなにまですまないねぇ」
「ふふっ、なにおばあちゃんみたいなこと言ってるんですか」
微笑みながら手を振って先生のところに向かう羽子ちゃん。あぁ、ほんっとにこの子っていい子だよなぁ。惚れてまうやろーっ!
◇◇◇
体育の時間。本当だったらアカルちゃん無双の時間なんだけど、今日は『女の子の日』ゆえに欠席だ。制服姿のまま座り込んで見学してたんだけど、下腹にズキンと痛みが走ったので、先生に伝えて保健室に向かうことにする。とりあえず寝たい。ダルい。
「アカルちゃん、大丈夫?」
「いくら天下無敵のアカルちゃんでも無理は禁物だよ。ゆっくりしてきなさい?」
「お大事に、です」
最近はすっかり仲良くなった一二三トリオに送られて、俺はお腹を抑えたままヨタヨタと歩き出した。
うー、それにしても痛い。女の子ってば毎月こんなに辛い思いをしてたんだなぁ。なんか軽い感じに考えててスイマセン。反省するから助けてください。
それ以上に精神的にダメージが大きかったのは、自分の身体が女なのだと思い知らされたことだ。これまで何となく軽く考えていた節があるんだけど、こうやってまざまざと現実を突きつけられると、浮ついた気分が吹き飛んでしまった。あー、なんか憂鬱だ。
校舎の間をすり抜けて保健室に向かう途中、俺の視界をなにやら華やかなものが横切った。初めは天使が地上に舞い降りたのかと思った。だけどよく見ると、それは……一人の女の子の姿だった。
摩利亞那高校の制服に身を包んだ彼女は、他の女生徒たちと持っている雰囲気が明らかに違っていた。細長い手足にとにかく小さな顔。整った顔立ちはアカルちゃんや布衣ちゃんと互角以上、ただ持っているオーラが桁違いだった。肩口近くで切った黒髪を風に靡かせ颯爽と歩く姿は『女優』そのもの。
もちろん彼女のことを俺は知っていた。彼女こそ、アイドルグループ『激甘☆フルーティ』の押しも押されぬナンバースリー、出演するテレビやドラマは多数。それでありながら問答無用の″塩対応″で有名な美少女、美華月 麗奈だ。
レーナちゃんはどうやらマネージャーから車で送迎されて学校に来たところのようだ。スーツ姿の男性に見送られて、一人校舎の中に入ってくるところに出くわしてしまう。
そういえばいおりんがそろそろレーナちゃんが登校再開するって言ってたのは聞いたけど、こんなときにこんなところで出会いたくなかったなぁ。
「……日野宮あかる」
「……やぁ」
ヨボヨボと歩くこちらの姿に気づいたレーナちゃんが、冷たい眼差しで声をかけてくる。あー、くそっ。体調が悪いときに嫌な相手に出会っちまったな。
実は彼女、初めて会ったときから俺のことを激しく敵視していた。それゆえに、すごい美人ではあったんだけどどうにも近寄りたくなかったのだ。
今日も無視して横を通り抜けるようとするものの、ガッチリと腕を掴まれてしまう。
「な、何か用?」
「何か用じゃないだろう? いおりんを堕落させた悪の化身め!」
そう、レーナちゃんはいおりんが女装を始めたのは俺のせいだと思い違いをして、激しく敵愾心を燃やしていたのだ。
でも俺はいおりん本人から聞いて知っている。彼が女装に目覚めてしまったのは、幼い頃からレーナちゃんにさんざん可愛い格好をさせられたりしたせいなのだと。
人の人生を狂わすほどの悪どいことをしていながら、本人に全くその自覚がない。そのことからも分かるとおり、美華月 麗奈は極悪天然美少女なのだ。
「だーかーら、それは勘違いだってば美華月さん。いおりんはもともと……」
「そんなわけないだろう? あの天使みたいないおりんが自分で女装するなんて……。アナタのせいに決まってるじゃないか! そもそもアタシが小さい頃からどんなに女の子の格好をさせたって、いおりんは受け入れなかったってのにさっ」
おいおい、お前さんがいおりんを真にイケナイ道に落とした元凶ぢゃねーか! なーに人のせいにしてんだよっ! さりげなくとんでもない爆弾発言をしてくるレーナちゃんに、俺は思わず心の中で突っ込んでしまう。
「濡れ衣はやめてくれよ。だいたいあんただっていおりんと一緒に買い物して喜んでたじゃないか」
「うっ……」
そう。実は先日、女装したいおりんと変装したレーナちゃんがこっそり街で買い物しているところに出くわしてしまったのだ。まるで女の子同士のようにお買い物を楽しんでいる二人は、実に楽しそうに見えたんだ。そのときのレーナちゃんも実にバツの悪そうな顔をしてたんだけど……。
「あのときだって本当はいおりんと買い物できて楽しかったんだろう?」
「そ、それはそうだけど……」
以前いおりんに聞いたところによると、なんでもいおりんとレーナちゃんは家も近所の幼馴染で、まるで姉弟のように仲が良かったらしい。よくレーナちゃんのメイクをいおりんがしてあげたり、逆にレーナちゃんに無理やり女装させられたりしていたのだそうだ。
ところがあるときレーナちゃんがアイドルのオーディションに合格して、そこそこ売れるようになってしまった。
俺が大好きな『トキメキシスターズ』ほどじゃないけど、レーナちゃんの所属するアイドルグループ『激甘☆フルーティ』もまぁまぁ有名だ。週に一回程度はテレビで見かけることがあるくらいだから、アイドルとしては売れてる方だろう。
その結果、下手に異性と関われなくなったレーナちゃんは、仕方なくいおりんと距離を置かざるを得なくなってしまったのだとか。だけど先日女装に開眼してからは、また以前のように遊びに行けるようになったんだとか。
……あれ? いいことばっかりじゃん。なんで俺、彼女に恨まれてんの⁇
「で、でもダメだ。いおりんを最終的に堕落させたのはアナタよ。許すわけにはいかない」
堕落って……堕天使かなにかかよ! って、そんな呼び名のやつがいたな。金髪チャラ男の顔が浮かび、思わずため息が漏れる。ふーっ、ほんっと勘弁してくれよ。
「あーもう。いいよ、好きに恨んでくれて。私は体調が悪いから保健室に行くね」
「えっ? アナタ、体調悪かったの?」
「ああ、そーだよ。ここがね」
「……そういえばアナタ、顔色が悪いわね。悪かったわね引き止めて。アタシが保健室までには連れて行こうか?」
むむっ。こいつ、塩対応で有名なくせに妙なところで優しさを出してきたな。ただ顔は相変わらず無表情でなんだか怖いんだけど。
「いや、大丈夫だ。一人で行けるよ」
「そ、そう……。それじゃお大事に」
なんとなく尻切れとんぼになってしまったが、こうしてなんとかレーナちゃんから逃げ切ることに成功した。
ああ、そういやレーナちゃんの【アナライズ】もまだだったな。たぶんハズレだとは思うけど、いつかスキを見つけて分析しないとな。




