【番外編】日野宮あかる、世界を釣る 〜シーバス編〜
俺の名は権田原 魚之進。今年29歳。この海ではちっとは名の知れた釣り人だ。釣りの雑誌なんかでも、地元の有名な釣り師として取り上げてもらったことだってあるしな。
ちなみにここいらの奴らは俺のことを、【丘シーバスの進ちゃん】とか【釣りどれん魚之進】なんて恥ずかしい名で呼んでるんだが……おっと、話題が逸れちまったな。
俺はこの海で、主にシーバスをターゲットとしたルアーフィッシングをしている。ちなみにシーバスとは和名スズキ……白身の淡白な魚だ。
シーバス、すなわち『海のブラックバス』と呼ばれるほど姿形がブラックバスに似ていて、悪食なところなんかもよく似てる。だけど海の魚だからちゃんと食えるし、それどころかけっこう美味いのがいいところだな。
そんなシーバスだが侮るなかれ、こいつは成長すれば一メートルを超える化物へと進化するんだ。とはいえ、小学校の頃から竿を振ってる俺でもメーター級に出会ったことはないけどな。
さすがにメーター級は例外としても、シーバスは80センチを超えると【ランカー】と呼ばれる。ランカーとは、すなわち『トーナメントでランキングに入るくらいの大物』って意味だ。ブラックバスだと50センチを超えるものをランカーって言うけど、それのシーバス版だな。ちなみにランカーの定義には諸説あるんだが、あえてそこには踏み込まない。だってそんなのナンセンスだろ?
ただ、そこまで成長するには十年かそこらの歳月が必要だそうで、それだけ長生きすると魚の方も狡猾になるので、めったにお目にかかることができない。事実、俺もここ一年以上ランカーサイズのシーバスには出会っていない。
ってなわけで、俺は今日もランカーゲットを目指して堤防に立ってルアーを投げている。あ、ルアーってのは『疑似餌』……小魚なんかに見せかけた道具のことな。こいつで魚を釣るんだ。
一見オモチャみたいだが、これがよく釣れるんだぜ? エサと違ってチマチマしてないのがまた良いんだよな。せっかちな俺にぴったりだ。
そんな俺があいつに出会ったのは、まだゴールデンウィークに入る直前の……とある週末のことだった。
◇◇◇
その日も俺は、いつものように堤防に立ってルアーを投げていた。そんな俺の視界の片隅に、すごく特徴的な姿をした人物が捉えられた。
その人物は、女性だった。釣り場に女性がいること自体は珍しくないが、ほとんどの場合は男連れである。ところがこの女性は、どうやら一人でこの堤防に来たみたいだった。
高い身長にモデルみたいにスラリと伸びた手足を、日焼け防止のためのロングTシャツとタイトなジーンズに身を包んでいる。頭には野球帽を被り、肩下くらいまである髪を収めている。
そして肩に担ぐのは、6.6フィート(2メートル)くらいの竿。手には釣り道具の入っているらしき可愛らしいピンクのビニールバッグ。
ひどく身軽な格好ではあるが、どうやら彼女は一人で釣りに来たらしい。顔はよく見えないが、そのバツグンのスタイルから相当な美女であることは察することができた。
なんなんだ、あの子は。さすがにあんな身軽な格好の子が釣りの常連には見えない。しかもあのロッドの長さはたぶんブラックバス用だ。オカッパリでシーバスやる奴ならもっと長い……9フィート(3メートル)くらいのロッドを使うはずだからな。
ってことは、あれか? ちょっと勘違いした若い女の子が、ブラックバス釣り気分でフラッとやってきた感じかな? だったらここは一丁良いところを見せつけて、俺にメロメロにさせてやろうじゃないか。
この時の俺は、そんなことを呑気に考えてたんだ。
シュッという空気を切り裂く音を立てて、俺のルアーがかっ飛んでいく。ちなみに今使っているのはメタルバイブというルアーだ。こいつはその名の通り金属で出来たルアーで、よく飛ぶので陸釣りアングラーには必需品だ。
取り敢えず様子見のキャストではあるが、バッチリ決まったはずだ。さーて、さっきの子は見てくれてるかな……って見てねえし‼︎ 彼女は眩しそうにしながら、海の方をじっと眺めていたんだ。
ちぇっ、せっかくナイスキャストが決まったのにな。そんなことを思っていたのが、彼女の横顔を視界にとらえて全部吹っ飛んでいった。
その女の子は、びっくりするくらいの美少女だった。まるで掌に収まるくらいの小顔、吊り気味の鋭い目。尖った顎と鼻。厚い唇。モデル級のスタイルとあいまって、彼女の美しさは際立って見えた。まさに釣りの神が遣わした女神。フィッシャーマンズエンジェル。
突如この釣り場に降臨した女神は、ちっぽけな俺なんかの視線に気づくことなく海を観察し続けていた。
やがて何かを見つけたのか、動きを止めるとスッとロッドを前に出す。竿先についていたのは、俺と同じバイブレーションタイプのルアーだった。ただあれは……おそらくブラックバス用のバイブだ。重量が無いので残念ながら遠投には向いていない。
ふふふ、やはり海は素人っぽいな。海のルアー釣りでは遠投が必須条件みたいなもんだから、あんなルアーつかってるようじゃあたかが知れてるだろう。そんなことを呑気に考えていたのが、彼女がキャストの体制に入った瞬間にその甘い考えが全て吹っ飛んだ。
少しだけ竿先からルアーを垂らしながらゆったりと振り被るその立ち居姿は、もはや素人のそれではなかった。彼女の全身からは、今まで何十回、何百回、何千回とキャストを繰り返してきたものだけが醸し出す圧倒的経験者の気配すら漂っていたんだ。
ふひゅん。まるで空間を切り裂くような音とともに、鞭のようにしなった彼女のロッドからルアーが解き放たれる。弾丸のような勢いで飛び出したルアーが、猛烈なスピードで青い空の下を滑空していく。なんというしなやかで勢いのあるキャストだ。芸術的な動きについみとれてしまう。
だが、驚きはそこで終わらなかった。それほどの勢いで飛び出したルアーが、俺のメタルバイブをも上回る飛距離を稼いだ挙句、まったくの無音で着水したのだ。
あまりの異常事態に俺は彼女の手元に視線を向ける。なにせあれだけの勢いでルアーが射出されたのだ。なにか手を打ったのでなければ、水しぶきひとつ上げずに着水するなど到底考えられない。そこで俺は、さらなる驚愕の光景を目の当たりにする。
彼女の指は、リールから出ている糸を指でつまんでいた。なんと彼女は、リールから出ていくラインを着水する瞬間に指で押さえてして無音着水を成功させていたのだ。この技術は、ブラックバスの世界にあると噂で聞いていた高等テクニックに違いない。
こ、この子は素人なんかじゃない。かなりの経験を積んだ歴戦の勇者だ。そう確信した俺の目に、さらに恐ろしい情景が飛び込んでくる。
なんとなんと、彼女は目を閉じてなにかをブツブツとつぶやいていたのだ。あれは……間違いなくカウントダウンだ。すなわちルアーが海底に着底するまでの時間をカウントすることで、水深を測る技術だ。
大事な技術でありながら、着底を取るのは容易なことではない。なにせ目に見えないルアーの動きを、糸の動きとロッドを握る感覚だけで掴む必要があるのだから。
それを彼女は、ごく自然にやっていた。しかも、数秒後に迷うことなくリールを巻き始めていた。これは、ちゃんと着底が取れてる証拠だった。
しかも、リールを巻く姿がすごく堂々としていた。あれだけリールを手巻きで巻いてるのに、体全体が微動だにしないのだ。
そして時折入れている小刻みな動きは……間違いなくジャークだ。ジャークとは、シーバスにルアーをアピールさせるテクニックの一つだ。そんなテクニックを、自然にさりげなくこなしているところに相当の腕を感じたんだ。
なんてこった。この子は既に俺並みの技術を持ってやがる。
さっきまでの呑気な気持ちは完全に吹き飛んでいた。俺は彼女を対等なライバルと認め、勝手に釣りバトルを開始することにした。
……勝負は日暮れまで、どちらが先にシーバスを釣るか、だ‼︎
◇◇◇
ルアーフィッシングを含めた釣りは、一般的にそう簡単に釣れるもんじゃない。すごいときはバカバカ釣れまくるんだが、今は季節的に釣れる時期ではないので、一匹仕留めるのにも一苦労だ。
だがその点、俺はここをホームグラウンドとするアングラーだ。アドバンテージがある分、一見さんたる彼女には決して負けるわけにはいかなかった。
互いにキャストを繰り返すこと小一時間。俺の竿先に確かな感触が伝わってきた。
「フィーーッシュ‼︎」
よし、この勝負頂いた! そんな確信のもとリールを巻いていくが、どうにも感触がおかしい。シーバスらしい引きが無いのだ。
……結局上がってきたのは、外道であるカサゴだった。カサゴは岩場によくいる根魚で、地方ではガシラやアラカブと呼ばれており、煮付けで食うと美味いんだなぁこれが。ただ、カサゴは残念ながら今日のターゲット外だった。しかもサイズが小さいので、さっさとルアーを外して海に帰してあげる。
無駄な殺生はせず、なるべく優しく海に帰す。これがアングラーの心意気さ。チラッと彼女の方を見ると、こちらを見て少し微笑んでいるようだった。うっひょー、クッソ可愛ええ‼︎
◇◇◇
それから、また沈黙の時間が続く。だがそれは彼女も同様だった。彼女は何度も立ち位置を変えながらキャストを繰り返している。
実に粘り強い。やはり彼女は素人なんかじゃ無い。
やがて、ふたたび俺たちに大きな機会が訪れた。次のチャンスをモノにしたのも……やはり俺だった。
ガッ! まるでひったくるような強烈な当たり! 同時に俺のロッドにズシンと重みが伝わってくる。来たっ! このバイトは間違いなくシーバスのものだっ!
「フィーーッシュ‼︎」
ロッドが大きくしなり、なかなかの大物がかかったことを確信する。おっしゃ! もしかしてこいつは、久しぶりのランカーかっ⁉︎ そう喜びに満ちたのもつかの間、シーバスが海面へと上がっていく気配を感じる。
ま、まずい! これは……「エラ洗い」をされちまう⁉︎ 慌ててロッドを下げようとするも、時すでに遅し。 バシャバシャ! という音を立てて、大きなシーバスが大きく宙を舞った。同時に激しく首振りする。その瞬間、シーバスの口に刺さっていた俺のルアーが遠くに飛んで行ってしまった。
ポチャン、という音とともに、ロッドから魚の手応えも消えていく。
あぁ……やっちまった。逃しちまったよ。シーバスの激しい「エラ洗い」と呼ばれる首振りにより、俺のルアーは外されて遠くに飛んで行ってしまったんだ。
結構いいサイズだったんだけどなぁ。60……下手すりゃ70センチはあった。ランカーには届かないものの、久しぶりの大物だったのになぁ。
悔しさを隠しきれずにいた俺の耳に、『ぎゅうんっ!』という異音が飛び込んできたのはその時だった。この音は……間違いない、リールのドラグ音だ!
ドラグ音とは、リールから糸が出されていく時に聞こえる音だ。つまりそれだけの大物が釣れたということになる。
驚いて音のした方に視線を向けると、例の彼女のロッドが大きく曲がっていた。なんと……彼女は俺とほぼ同時にバイトさせていたのだ! しかも、強烈なドラグ音をさせるほどのバイトを‼︎
なんてこったい、まさか彼女も魚を掛けてるしてるなんて。魚をバラしたショックも吹き飛んでしまい、俺は驚きを隠せないまま彼女の戦いに注目することにしたんだ。
彼女のロッド捌きは見事なものだった。短めなロッドを巧みに操り、シーバスのエラ洗いを見事に封じ込めている。だが相手もさることながら、何度も水面深くへと潜って激しい抵抗を繰り返していた。その度にジジジ……と糸が出される音が聞こえてくる。
これは……もしかして相当デカイのか? そう思ったとき、ようやく水面にギラリと光るシルバーの魚体が姿を現した。
で、でかい。さっき俺がバラしたのよりもはるかにデカイ魚体だった。もしかしてあれはランカーサイズじゃないのか?
だが同時に彼女の戸惑いも伝わってくる。その理由はすぐに分かった。なにせここは防波堤。海面からの高さが2メートルほどあるので、竿一本ではこれほどの大物を引き上げることが出来ない。すなわち彼女はこの魚を釣り上げる手段を持って無かったのだ。
困り果てた顔の彼女と視線が合う。その瞬間、俺は網を手に取って彼女の横に立っていた。ここは戦場、同じ戦士として協力するのは当然のことだからな!
「俺がタモ入れするぜ! がんばれ!」
「ありがとう!」
鈴のなるような声、とは彼女の声を指すのではないか。それほどに魅惑的な声で、彼女は感謝を伝えてきたんだ。その声だけで、俺は簡単に有頂天になってしまった。
そうこうしているうちに、ついに敗北を認めた巨大シーバスがゆっくりと海面に浮き上がってきた。こいつは……間違いなく80センチを優に超えている。余裕でランカーサイズだ。
俺は慎重にタモ入れすると、巨大シーバスの巨体をなんとかタモの中に収めることに成功した。
だが、今度は重すぎて簡単に持ちあがらない。この防波堤は海面から二メートルくらいの高さにあったんだけど、魚がデカすぎてなかなか持ち上がらなかったんだ。
そしたら、横にいた彼女もタモに手を添えて一緒に持ち上げるのを手伝ってくれた。もぎたての柑橘類みたいな香りが、俺の鼻腔をくすぐる。むっほー、ええ香りやぁ!
そうして……ついに俺たちはビッグシーバスを釣り上げることに成功したんだ。
ハァハァと肩で息をする彼女。だがその顔には会心の笑みが浮かんでいた。俺が思わず手を前に差し出すと、彼女は笑顔を爆発させて力強くタッチしてきたんだ。うひー、役得役得!
とりあえず魚のほうをタモから出してメジャーで測ってみると、なんと92センチもあった。紛れもない、文句無しのランカーシーバスだった。
「やったー! すごいの釣れちゃった!」
彼女は無邪気にそう言うと、そのまま無造作にシーバスの口に手を突っ込んだ。そして下あごに手を入れると、そのままグイッと持ち上げたんだ。
こいつはいわゆる『バス持ち』と呼ばれる魚の持ち方なんだけど、これだけデカイシーバスを、女の子が、何のためらいもなくバス持ちするのを生まれて初めて見たよ。だってさ、軽く拳が飲み込まれるくらいの口の大きさなんだぜ? 男の俺でも躊躇するサイズだよ。
「うっわー、さすがに重いなぁ。すいません、写真撮ってもらえますか?」
絶句している俺にそう言いながらスマホを差し出してくる彼女。俺は無言で頷くと、魚と一緒に写真を撮影する。
パシャリ。画面には巨大シーバスを持つ美少女が映し出されていた。そのあまりの可愛さに、思わず俺は口を開いていた。
「あの……俺も撮っていいですか?」
「えっ?」
「あ、いや。こんなデカイシーバス初めて見たんで」
慌ててそう言うと、彼女は満面の笑みを浮かべながら撮影許可をしてくれたんだ。
◇◇◇
そのあと彼女は、俺が貸したナイフを使ってサクッと血抜きすると、ランカーシーバスを無造作にビニール袋に突っ込んで、そのまま帰ってしまったんだ。呆気に取られた俺は、結局彼女に名前すら聞くことが出来なかった。
……それ以降、残念ながら彼女と会うことはできていない。
いまでも、彼女の写真は俺の携帯の中に格納されている。なにせ彼女は釣りの女神。俺にとって彼女の写真は、最高の釣りのお守りになっていたからね。
事実、あれから俺は87センチのランカーシーバスをゲットすることが出来た。名前さえ聞くことができなかった彼女が釣り上げたサイズには遠く及ばないけど、別にそんなこと気にしちゃいなかった。なにせ彼女は釣りの女神だからね。
俺の目の前に突如現れた、釣りの女神。フィシャーマンズエンジェル。
願わくば、また彼女に会いたいな。
そんなことを思いながら、今日も俺はこの防波堤でロッドを振るのだった。
〜おまけ〜
アカル「ただいまー」
マヨちゃん「おかえり、おねーちゃん。どこ行って……って、ギャァァァアァァォァア‼︎ なによそれーーっ‼︎」
朝日「なんだようっさいなぁ……って、のぅわぁっ⁉︎ なんだそのバケモノは⁉︎」
アカル「なにって、朝日兄さんのバス釣り道具を借りて、海で釣ってきたんだよ?」
朝日「はぁ? 釣ってきただぁ⁇ それで、そいつをどうすんだよ?」
アカル「どうするって、食べるに決まってるじゃん」
マヨちゃん「げっ……マヨちゃんそんなグロいの食べれないよぉ〜」
アカル「ふふっ、そこはアカルちゃんにおまかせあれ!」
ゴリゴリ、バリバリ。
ザクザク、ブチブチッ!
ドン、ガンガン!
マヨちゃん「おにーちゃん、マヨ怖いよぉ……」
朝日「お、俺も怖いよマヨ……」
〜夕食時〜
アカルパパ「おっ、この刺身美味いな?」
アカルママ「ふふっ、アカルが買ってきてお刺身にしてくれたのよ?」
アカル「そうだよー。ほら、朝日兄さんもマヨちゃんも食べなよ?」
朝日「……」
マヨちゃん「……」
アカル「……食べなさい」
朝日「っ⁉︎ あ、あのバケモノが……モグモグ。う、うまい!」
マヨちゃん「お魚さん、ごめんなさい……モグモグ。お、おいしー!」
アカル「でっしょー?さーて、 次は何を釣ってようかなぁ♪」




